契約の在り処
〜だいすき!・・・でうっかり書き忘れた契約書の謎〜


うっかり書き忘れた謎を補完するお話。
故に「たぶんきっとだいじょうぶ」と「だいすき!」をご覧になってからお読み下さい。
 ルルーシュ・ランペルージ17歳

 青春真っ盛りの彼は今日も義理の父の為に食事の下拵えに勤しんでいた。
 全ての作業を終え、一休みしようと包丁を拭いた瞬間に指先に痛みが走った。
 うっかり刃の部分に触ってしまったらしく赤い筋が一筋流れる。
 直ぐに消毒と絆創膏を出そうと思ったルルーシュだが、親指についた血が薄く広がり指紋を浮き出したのを見て動きを止める。
 鮮やかな赤。
 だが時間が立つと錆びた銅の色へと変化する。
 もう何年も前の事だというのに、ルルーシュは一枚の紙の存在を思い出した。
 それは、ルルーシュがここにいる事を許す契約。

「何処に仕舞ったんだ?」

 急に思い立ち、ルルーシュはリビングを素通りし自室へ戻りながら8年前の事を思い出していた。



 * * *



 枢木家に入ってまずルルーシュが悩んだことはベッドではない寝具への戸惑いでも胡乱気に自分を見ながらも部屋へ案内した家政婦の視線でもなかった。

「寝巻きがない・・・。」

 何しろ自分を連れて来たスザクは顔色を変えてはいないものの明らかに酔っ払っている。
 家政婦も僅かに香るアルコール臭に何があったのか悟ったらしく電話台に向かっていた。
 微かに聞こえる話し声にルルーシュは軽く頭痛を覚えた。
 既に時計の針は日付変更線との境目を示している。実際ルルーシュも眠い。
 目の前には大の字になって布団の上で眠るスザク。寝巻きがないのは仕方が無い。考えても事態は動きそうに無いと上掛け布団を引っ張り半分までスザクにかけてやり自分も布団へと潜り込んだ。
 慣れない日本式の布団はまるで地べたに寝ろと言われているみたいで抵抗を覚えるが布団の質は普段用とは言え流石は名家枢木家の品。
 お日様の匂いと適度な柔らかさに睡魔に襲われる。
 だがしかし、それにしてもと考える。
 C.C.がどうやってスザクと話をつけたのか、いつ契約を結んだのがわからない。
 目の前で見ていたと言うのにルルーシュには理解できなかったのだ。

《特に僕を預かるという話をしていなかったし何かの契約書を交わしていたようにも見えなかった・・・・!?》

「契約書!」

 がばりと起き上がりルルーシュは叫んだ。
 彼が見た限りでは書面を交わした様子は全く無い。
 明らかに酔っ払っていたスザクがした口約束など殆ど意味を成さないのだ。
 何よりもスザクは未成年。親の承諾も無しに契約など結べない。

《どうするつもりだ。あのピザ女ぁあああっ!!?》

 契約無効

 そんな言葉がルルーシュの頭を埋め尽くす。

 がばりと起き上がりルルーシュは叫ぶ。
 たとえ口約束であったとしても状況により契約は有効と判断されるケースもある。
 だが今回は日本の法律では未成年であるスザクに対するものであり、保護者たる日本国首相枢木ゲンブが承認していない。
 契約書があればどうにか捻じ込めるかもしれないが、C.C.が契約書など書いていないことはルルーシュがよく知っていた。
 視線を滑らせれば幸せそうに眠るスザク。
 ルルーシュ自身も眠いのだがこのまま眠ったら明日にはブリタニアに強制送還、戦争回避不可の未来しか予想できない。

「一か八か寝ている家人全員を叩き起こして枢木首相に連絡を・・・。」
「する必要はないぞ。」

 聞きなれない皺枯れた声にルルーシュは思考を止める。
 背後から感じる静かな威圧感に思い浮かぶのはブリタニアからの追っ手。

《ここまでか・・・。》

 これからの人生を思うと暗澹たる思いでルルーシュが振り返るとそこにいたのはブリタニア人ではなかった。
 禿げ上がった頭と小さめの目。この人物に見覚えは無い。
 だが杖を突き立つ姿は以前日本文化を勉強するために見た絵に似ていた。
 その名は・・・

「ぬらりひょん。」
「誰がだ!」
「夜中に人の家に堂々といるし、日本には妖怪がいるのでしょう?」
「信じてないくせにぬけぬけとよく言うわ。」

 淡々と答えるルルーシュに立っていた老人は嘆息しながら答える。
 すると更にその後ろから聞きなれた声が響いた。

「面白いだろう? 本当は手放したくないのだが仕方ない。
 さっさと事を終わらせるぞ。」
「ピザ女が・・・持ち帰ったピザはどうした。」
「全部食べたぞ。」

 ぽんぽんと腹を叩きながら現れたのはゲンブの元へ行くと言っていたC.C.だった。
 ストンとほぼ垂直を描くラインは食事前と変わらない。
 しかしながらテーブルいっぱいに載せられたピザの質量を考える限りあり得ない。

「お前の胃は四次元ポケットかブラックホールなのか?」
「お前が少食過ぎるだけだ。」
「問題の次元が違う。妖怪なのはお前だったな。」

 不愉快そうに目を細めるC.C.が何か反論しようとするが、ルルーシュはその前に老人に向き直り話を再開した。

「先ほどは失礼しました。お名前を伺ってもよろしいですか。」
「・・・桐原だ。」

 一瞬の間を置いて告げられた一言でルルーシュは目の前にいる人物の素性を全て理解した。
 日本のサクラダイト採掘権を一手に担う桐原産業の会長。
 日本経済界のドンとも呼ばれる彼は現在の枢木政権を陰で支え政界に多大な影響力を持っている。
 その彼が何故枢木家に現れたのか。
 そしてルルーシュを見て何故驚かないのか。
 理由は傍らにいるC.C.を見れば容易に想像できた。

「事情は全てご存知の様子。
 では日本政府としての回答を貴方が持っていると考えてよろしいですか。」
「全く、年に似合わぬ物言いをする皇子だ。
 だが悪くない。父親とはいえあのブリタニア皇帝に反抗しようという気概は気に入った。
 利害も一致する以上、おぬしの望みを受け入れることに異議を唱えるものはいない。
 わし等も最大限の支援をしよう。」
「ありがとうございます。」
「ゲンブからも伝言を預かっている。
 首相としてではなく、そこで寝ておるスザクの父としての言葉をな。」
「父親として・・・。」

 桐原の言葉にルルーシュは俯いた。
 確かにルルーシュが日本に身を隠すことでブリタニアは容易に戦争を仕掛ける事は出来なくなる。
 日本の為とはいえ無関係のスザクを利用しようとしている事は事実。
 彼の父親でありゲンブは複雑な心境だろう。
 首相としては日本の利の為に契約を受け入れるべきだと考えるが、父親としては常に危険と隣り合わせになる息子を思えば拒否したい。
 それでも国民全ての命には代えられないと苦渋の決断をしたゲンブの息子は、17歳という若さでルルーシュの為に生きなくてはいけないのだ。
 自分が望んで得た子供ではないルルーシュを。
 息子をそんな状況に追い込み未来の可能性を狭めようとしているルルーシュに彼はどんな言葉を桐原に託したのか。
 出来れば聞きたくないがそういうわけにもいかない。

 ふぅ

 軽く瞑目し深呼吸。
 僅かな間で気持ちを切り替えたルルーシュは再び桐原を見上げ次の言葉を待った。

「『不出来な息子をよろしくおねがいします。』」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 一瞬耳が遠くなった気がした。
 日本語の読み書きは苦手だが日常会話に問題ないと自負しているルルーシュは言われた言葉を反芻し脳内で改めて英語に変換し考える。
 再度理解した途端に自分が聞いた日本語が間違っているとしか思えず無言のまま桐原を見上げるとぬらりひょん顔の老人はルルーシュの様子に愉快そうに笑いながら問いかけた。

「どうした? わからない日本語でもあったのかの。」
「い・・・いえ・・・・・・少々ヒアリングが上手く出来なかったようなので聴いた言葉が間違っているのではと今考えている最中なのですが最も近い正解と考えられる言葉が見つからないので出来ればゆっくりとはっきりと再度言って頂けないでしょうか。」
「どうも混乱しているようだが・・・多分聴いた言葉は間違っていないと思うぞ。
 なんと聞こえたか言ってみてはどうだ。怒らないから聞こえたままに。」

 こんな時ほど自分が日本語を覚えたての子供であることに感謝したことはない。
 ルルーシュは一息吐いて答えた。

「・・・・では。
 『不出来な息子をよろしくおねがいします。』と聞こえたのですが、やはり間違いですよね。」
「正確にヒアリング出来ているぞ。
 その通りだ。ゲンブの方が息子の世話をよろしくと言っておった。」
「嘘だ!」
「嘘ではない。わしが嘘ついて何の利がある。」
「それは確かに・・・って普通逆でしょう!?
 僕が彼に世話してもらう立場でしょう。」
「まぁ、アヤツも何だかんだいって野心の塊だからな。
 息子に政治家になってこの国の覇権を握ってもらいたいと思っていたのに才能は皆無とは言わないが政治的な才覚にあまり恵まれていない。
 首相の息子としてマスコミの餌食になると危うくアイデア程度で熟考していない政策らしきものまで話しそうになる迂闊さ&天然さに恐れをなして首相になってからは絶対に政治の話をしないようにしていた。
 もう息子に政治的な面で期待するのは止めておこうと考えていたところにおぬしの話だ。
 政治的な面で役に立つ唯一にして最大のチャンスととって礼を言いたいぐらいなのだろう。
 もう暫く政権握れそうだとにやついていたぞ。」

《どいつもこいつも腹の中は真っ黒だ。》

 ブリタニアで慣れていたがこうも堂々と言われては呆れるしかない。
 ルルーシュが呆然としている間にもC.C.は黙々と上質紙に向かい一生懸命に書いていた。
 そしてルルーシュが脱力し座り込むと同時にC.C.は桐原に向かい話しかける。

「おい。私の分は書き上がったぞ。
 見本通りに書いたつもりだが間違ってはいないな?」
「・・・おぬし、漢字が上手いの。
 何処かで手習いでもしてきたか? もしや中華連邦の・・・。」
「国は関係ない。私がC.C.だからだ。
 ところで枢木スザクの分のサインはどうする気だ。」
「適当にスザクの字に似せて書く。その為に部下を連れてきたのだからな。」

 桐原の会釈で控えていたスーツ姿の男が一人C.C.から書類を受け取りたくさんのノートと突合せながら書き込みを始める。
 恐らくノートはスザクの授業ノートか何かなのだろう。
 完全に同じには出来なくてもスザクは酔っ払っていたのだ。
 字が乱れていても酔っていたせいだと考えるだろう。
 そんな彼らの考えを察しC.C.は呆れたように呟く。

「もし筆跡鑑定にかけられたらどうする。」
「依頼するにもゲンブが絡む。偽の鑑定書を作らせるのは簡単だ。」
「いい根性だ。気に入ったぞ。」

 不敵に笑うC.C.に桐原も笑みを深くする。
 腹黒い笑いが渦巻く部屋の中、安らかに眠るスザクにほんの少しだけ同情するがそれも一瞬にして消えた。

《本当にどいつもこいつも!》

 この怒りをどこにぶつけてくれようか。
 拳を握り思い浮かべるこの問題に関わる人々の顔。
 だが真っ先に浮かんだのは真っ白なくるくるヘアー。

「おのれブリタニア・・・。」
「お前もブリタニアだろう。
 印鑑代わりは拇印良いとして、そいつはどうする?
 指を傷つけたら痛みで起きないか?」
「念の為に薬を嗅がせて一瞬で終わらせる。」

 この一言だけ聞いたら殺人予告のようだと思いながらもルルーシュは止めない。
 作成された契約書にC.C.の指が押し付けられるのを見て安堵の溜息を吐く。
 捏造だろうとなんだろうと契約書は作られた。
 穴があっても周囲が固められていればスザクが拒否することは難しい。
 これでルルーシュが日本に住む為の保護者が確定したのだ。
 喜ぶべきことだろうが・・・・・・。

「だが不安が残るな。ルルーシュ、私が言ったことを覚えているか?」
「何のことだ?」
「ブリタニアでの続き・・・。」

 ニタリと笑う魔女。
 黄緑色の髪がさらりと流れ落ちルルーシュの目の前に垂れ、肩を掴まれる。
 小刻みに揺れる髪が堪え切れぬ魔女の笑いを示し、視線の先にいる桐原も事情を知っているらしく企み顔で笑っていた。

《やな予感。》

 得てしてこの手の予感はほぼ100%の確率で的中するものである。
 ルルーシュのこめかみに浮かぶ汗が流れ落ちる前にソレは証明された。

「「枢木スザクを篭絡せよ。」」

《やっぱりかぁ!!!》

 予想はしていたが文句はもうひとつある。

「何で桐原翁までハモってんですか!」
「気にするな。」
「気にするわ!」
「あのブリタニア皇帝を魅了したのであれば情に脆いところのあるスザクなど赤子も同然。
 お手並み拝見といこうかの。」
「面白がってるだろアンタら!」
「当然だ。私はC.C.だからな。」
「全然理由になってない!」
「ルルーシュ。現実問題で考えろ。
 お前はどうしたい。ここまで来た理由と決意を思い出せ。」

 そう言われてはルルーシュには何も言えない。
 泣きじゃくる妹を説き伏せ母に協力を頼みここまで来たのだ。
 今引き返せば戦争は確実に起こる。
 その前に、今はルルーシュの言い分を聞いて望む環境を提供してくれるだろう日本もルルーシュを易々と帰すわけがない。

《戻る道なんてとっくの昔に無い。》

 ならばどうするか。
 すやすやと眠るスザクの寝顔は平和そのもの。
 まだ幼い自分は国際問題に身を投じているのに同じく国の重鎮を親に持つ者であるスザクはルルーシュほどのプレッシャーを受けていないのだ。
 実に不公平だ。

《ならば彼にその重荷の一部を背負ってもらっても良いだろう。》

 心に決めたルルーシュは口角を上げて笑う。
 その笑みは彼が確かに神聖ブリタニア帝国皇帝の息子であることを証明していた。

「契約書は?」
「書き上がった。最後はスザクの拇印だけだ。」
「ではナイフを。」

 ルルーシュの言葉に桐原は無言で小刀を渡す。
 C.C.も心得た様子でスザクの口元に何かの薬品を染み込ませた布を当てた。

「これで契約成立だ。」



 * * *



 懐かしいと思う。
 既に変色した血の色は時間の流れを思わせた。
 あの日、契約書の偽造に関わったのはスザクの父ゲンブ、桐原、桐原の部下その1、C.C.そしてルルーシュの5人だ。
 当然彼らが口を割るはずも無い。
 今も皇帝はルルーシュを探しているようだが、某情報源からすると今のところはまだ安全ということだから安心して良いだろう。
 再び契約書を折りたたみしまおうとした瞬間、背後から何かが落ちる音がした。

「父さん?」

 振り返るともう少し帰宅が遅くなるはずのスザクがいた。
 チャイムや鍵を開ける音にも気づかなかったルルーシュが驚いて駆け寄ろうとすると、先にスザクの方が契約書を持った左手を捕まえた。

《まさか・・・契約書を。》

 今のスザクの生活が彼のためになっているかと問われればルルーシュは首を振るだろう。
 既に結婚適齢期に達している彼の周囲に女性の気配がしないのはルルーシュがいるからだ。
 一度は見合いの話も持ち込まれたようだがスザクはルルーシュを理由に断っている。
 昔はそれでよしとした。
 だが時間が経てば状況も変わる。

「ルルーシュ。」

 硬い声が耳を打つ。
 契約書は一枚きり。
 C.C.にとって契約に書面は必要ない。
 破棄するつもりがないからだ。
 書面を必要としたのはスザクに言い逃れをさせない為。
 これが失われれば契約は解消出来てしまう。

《それも良いか。》

 今は微妙なバランスながらも国交が続いており、日本に理解を示すブリタニア人も増えた。
 ここでいきなり戦争に踏み切ろうとすれば国民からの反発も起こるだろう。
 上手く立ち回ればブリタニアに戻されても最悪のケースは免れる可能性が高い。
 覚悟が決まりルルーシュは目を閉じた。
 左手から契約書の感触が消える。
 次に響くだろう紙を破く音を待っていると更に左手が引かれ・・・生暖かい濡れた感触が指先を襲った。

「ほわぁ!?」

 驚いて目を開けるとルルーシュの左手の指先を口に含むスザクがいた。
 ざらっとした舌の感触と共に小さな痛みが走り思わず眉を顰めるとスザクが慌てて口を離した。

「何やってるんだよ。救急箱はこの部屋にはないだろう!?」
「へ?」
「へ? じゃない! 紙で指切ったの?
 直ぐに消毒しないと・・・結構大きい傷じゃないか。」
「いやこれは包丁で・・・。」
「包丁!? じゃあ台所で!!?
 消毒もしないで・・・こんな紙切れ読んでる場合じゃないでしょう!」
「でもこれは・・・。」
「いいからほっとく! 雑菌入るといけないから今日はもう料理しちゃダメだよ。
 洗い物は僕が代りにやっておくから今日は水に触れさせない様に気をつける事。
 お風呂に入ったら湯上がりに消毒し直す事。いいね。」
「えと・・・。」
「お父さんの言う事はちゃんと聞きなさい。
 い・い・ね!」
「・・・・・・はい。」

 怒りを抑えながら言われたら素直に従うしかない。
 普段は能天気に笑うスザクだが長い付き合いで怒らせると怖いと知っている。
 ここは逆らうべきじゃないとルルーシュは腕を引かれるままに部屋を出て素直に治療を受けた。
 消毒されバンドエイドを巻く義父の手は温かく手放し難い。

《C.C.からはまだ連絡は無い。
 ブリタニアの状況からはまだ少し猶予はあると言う事だろう。
 なら、あの契約書があればまだもう少しここにいられる。》

 救急箱を片づける為に立ち上がったスザクの背中を見る。
 10歳も離れていない彼に負担をかけているとは思う。
 それでも居心地の良さからまだ此処にいたいとルルーシュは願った。

「父さん。」
「どうしたの?」

 救急箱を棚に仕舞いながら振り返るスザクに少し胸が痛む。
 けれど・・・。

「俺は、まだ父さんと一緒にいていいよね?
 その・・・契約にもあるし・・・・・・。」

 楔は打たなくてはならない。
 本来こんな風にスザクを縛るべきではないとわかっていても言わずにはいられない。
 もっと上手く立ち回る方法があるというのに、こんな言葉しか出ない自分が情けないとルルーシュは俯いた。
 沈黙が落ちる。
 場の重さに言うべきじゃなかったと落ち込むルルーシュの髪がワシワシと掻き乱される。
 驚いて再び顔を上げると笑顔のスザクがいた。

「何馬鹿なこと言ってるの。
 契約なんて関係ないでしょ。
 僕はルルーシュのお父さんを止める気ないよ。」

 寧ろ大学進学で家を出ちゃうんじゃって心配しているのに。
 そう続けるスザクの笑みに涙が溢れる。
 疑っていた自分が情けなくて、止めたくても止められない涙が頬を伝うのを感じながらルルーシュは拭う事が出来なかった。
 目の前で揺れる視界の中、スザクの身体が大きく映る。
 頬には温かい指の感触。
 指で涙を拭いスザクは話し続けた。

「心配ならあの契約書はルルーシュが大事に持っていてもいいけど・・・僕は捨ててしまいたいな。
 だってあれには期限が書いてあるから。」
「期限なんて・・・。」
「書いてあるよ。C.C.さんが迎えに来るまでって。
 彼女が来たらルルーシュは出て行っちゃう。
 だからもし、ルルーシュが良ければあの紙は破いて棄ててしまいたいよ。」

 寂しそうに微笑む義父に、彼が抱えていた不安に初めて触れた気がした。

《そうか・・・結局俺も父さんも互いに不安だったのか。》

 笑い話だと思う。
 結局自分達の間に契約など既に意味を成さなくなっていたのだ。
 それでも捨てられなかったのは、あれが無ければこの生活が無くなると互いに恐れていたからだ。

「じゃあ捨てる?」
「それも怖いっていうのもあるけど・・・・・・僕らが始まった記念でもあるからなぁ。」
「半分に切って互いに持つのは?」
「・・・・・・いいかも。」

 意味の無い契約書ならば破ってもいい。
 けれど記念として手元に置くなら互いに持てばいい。

「保管の仕方はそれぞれ好きにすると言う事で、持ってくるよ。」
「どうしようかな・・・お守り袋に入れて持ってようかな。」

 悩み始めるスザクにルルーシュはまた笑った。
 時刻を見るとそろそろ夕食の準備をしなくてはいけない。
 今日はスザクが料理するというのならこの話は直ぐに終わらせないと、とルルーシュは部屋のドアの前に立って振り返った。

「父さんの好きにしたら良いよ。
 でも今日中に決めておいてくれないと・・・お守り袋をお揃いに出来ないよ?」


 ルルーシュ・ランペルージ17歳

 青春真っ盛りの彼の父離れは当分先の様である。


 END



 おまけ〜スザクの気持ち〜


 ブリタニアの皇子シュナイゼルの道楽で作られたと言われる技術部門、通称特派。
 いい加減正式名称をと言われ始めているこの部門の要は科学者であるロイドと彼の助手のセシル、そしてランスロットのデヴァイサーを務める枢木スザクである。
 どれほど技術が進歩しても扱うのが人間である以上、スザクの体調と精神状態で左右される実験は本日好調と言えた。

「スザク君、今日は調子が特に良いわね。」
「ええ、お守りもありますし昨日はルルーシュの指を・・・・・・。」

 がんがんがん!

 セシルの問いに答えている途中でスザクは急に壁に向かい頭を打ち付け始めた。
 どう見ても異常行動にしか見えないそれに戸惑うセシルが声をかけようとしたが、何やらスザクがぶつぶつと呟いているのに気づき躊躇った。

「あれは治療消毒他意はない。
 僕はルルーシュのお父さんお父さんお父さん。
 どんなに指をなめた時のルルーシュの表情が可愛くって食べたくなっても食べたら駄目食べたら駄目絶対駄目。
 お揃いのお守りを思い出せルルーシュの手作りの袋が僕にはあるんだ自覚しろ自分の立場。」


 声など掛けられるわけがない。
 何やら不穏な雰囲気が漂いセシルはこそこそとロイドに囁く。

「ロイドさん。スザク君おかしくありませんか?」
「青年期には葛藤も多いってね。今は見守ってあげましょう。
 幸い犯罪行為に走らない様に自制しているみたいだから。
 あ、でも・・・・・・。」
「でも?」
「ルルーシュ君に気をつけてあげてね。」
「はぁ?」

 セシルの疑問の声が上がる研究室。
 本日もルルーシュの貞操は無事だったそうな。


 おまけ END


 滅茶苦茶遅くなりましたが「だいすき!」の契約書に関する説明です。
 腹黒な首相の本音と必死にブレーキ掛けてるスザクが楽しかったです。
 これで書き忘れの設定は無いと思います。これを読んで楽しんで頂けたら幸いです。

 2008.6.21 SOSOGU