泣いても許してあげません

 幼少時の健全ギャグです。
 食卓シリーズの箸の持ち方特訓編。


 朝昼晩。三食全ての食事作りが何時の間にやらルルーシュの役目になり、スザクの好みを覚えていくルルーシュの姿はまるで新妻。
 これで彼が皇女だったならば済し崩しに婚約者にされていたかもしれない。
 
《本っ当に男に産んでくれて有難う。母さん。》

 きっと天国で自分達を見守ってくれているだろう母を想いながらルルーシュは米を研ぐ。
 手馴れた様子で研ぎ汁をボウルに移し、釜をセットして研ぎ汁を庭に撒いた。
 別に家庭菜園をしているわけではないが研ぎ汁が肥やしになると聞き、いつか何か植える可能性を考慮して撒いているだけである。
 今のところ庭木の肥やし状態だが打ち水代わりにもなるのでそう無駄でもないらしい。
 すっかり主婦・・・いや、主夫状態のルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 皇子殿下の目下の悩みは一つである。



 はぐはぐ むぐむぐ がっがっがっ

 誰も取らないと言うのに何故こうも急いで食べるのか。
 枢木家嫡男、枢木スザクは非常に健康で元気な少年であり早食いの達人だった。
 育ち盛りの彼は普段の運動量によるものか、ルルーシュには信じられないくらいの食事を要求する。
 それはまだいい。食費の心配は親であるゲンブがする事でありルルーシュがすることではない。
 だが肥満児にはなって欲しくなかった。
 スザクが太ると困るわけではないが自分が原因で肥えていく過程を見続ける事はルルーシュには耐えられなかった。

《そう、友達とかそういう次元で僕がスザクの健康の心配などするわけがない。
 当然目の前の光景だって視覚的暴力だからであって彼の将来を心配しての事じゃない。》

「スザクさんはいつも沢山食べられるんですね。
 私はご飯一杯が精一杯なのに凄いです。」

 コロコロと朗らかに微笑むナナリーだが、彼女の優しさが更にルルーシュの苛立ちを募らせる。

《ナナリーは優し過ぎる。
 嗚呼皮肉だ。僕は今ナナリーの目が見えなくて良かったと安堵している。
 目の前のスザクは飢えを満たす為だけに生きている餓鬼なんだぞ。
 いや量は良い。食べる量が多いのは個人差だから良いんだ。
 彼の食事風景を見ながら食べるのは拷問に近い。》

 けれど耐えねばならない。
 妹がスザクとの食事を喜び楽しんでいる。
 だから自分が我慢せねばとルルーシュは必死に怒りを抑えていた。
 そんなルルーシュとは対照的にスザクは幸せ一杯といった笑顔。
 ぐさっとルルーシュが作ったロールキャベツを箸で刺し取りながら思い出したように話しかける。

「あ、そーだ。
 ルルーシュ、来週藤堂師匠が来るから水炊きにして。
 師匠は一人暮らしだから鍋物とかあんまりしないって言うし、ナナリーもまだ食べた事ないから丁度いいだろ。」

 ぷちん

 お気楽そうに言われた言葉にルルーシュの中で何かが切れる音がした。
 我慢の限界。
 ルルーシュは肩を震わせ箸を置く。

「お兄様?」

 まだ食事を始めたばかりで兄がそんなに早く食べ終えるはずが無いとナナリーが不思議そうにルルーシュに呼びかけるが、ルルーシュはナナリーには答えずスザクに言った。

「スザク、勝手に夕食に客を呼ぶのは止めろ。準備するこちらの身にもなれ。
 それからそんなに急いで食べなくても食事は逃げないし誰も取らない。
 もう少し静かにゆっくり食べられないか。そもそもきちんと噛んで食べているのか?」
「別に普通だぞ。それに噛んで食べてるって。
 ちゃんと五回は噛んでる。」
「最低二十回以上だ馬鹿。それにその箸の持ち方・・・君は本当に日本人か!?
 きちんと使え! 握り箸で掻き込むな!! 箸は元々摘むものだっ!!!」
「いいや掻き込むだけじゃなくきちんとオカズも刺してる!」
「刺し箸はマナー違反だ! この大馬鹿者っ!!
 見ているこっちが食欲失くす!!!」
「気にするなよ!」
「嫌でも気になるから言ってるんだ!」

 ばちばちっ

 二人の間に火花が散る。
 けれどルルーシュは散々溜め込んだ怒りが飽和状態にあり、スザクは楽しく食事をしていたのにケチをつけられたと怒りの沸騰状態。
 互いに退く事はありえなかった。

「君はこの先もずっとその持ち方で食事を取り続ける気か。
 現日本国首相の息子ともあろう者が情けない。」
「何だと!?」
「日本に来て間もない。しかも日本に来るまで箸を使った事の無いブリタニア人に。
 基礎的な箸の持ち方で遅れを取るとは日本男児が聞いて呆れる。
 しかも来週藤堂中佐を呼んで水炊きを食べたいだと? 冗談じゃない。
 皆が突付く鍋を君は直箸でぐるぐる掻き混ぜるつもりか。
 はっきり言ってお断りだね。気分が悪い。
 君が正しい箸の持ち方で食事が出来るまで絶対に鍋物はしないし主菜を大皿一つに出す事はしない!」
「馬鹿にするな!
 俺だってちゃんと箸を使える。使ってみせる!」
「今現在正しく持つ事が出来ないと言うのにか。
 まあいい、猶予をあげよう。
 今日はもう夜も遅いから明日から数えて三日後にきちんと正しい持ち方で食事が出来れば君が望むだけ食べて良いし君の望み通りの食事を用意しよう。」

 出来るわけがないと思っているのか。人を小馬鹿にしたような微笑を湛えて言うルルーシュにスザクは目を吊り上げた。そして同時に歓喜の感情も覚える。

 背を伸ばして姿勢を正せ犬食いするな茶碗を持て迷い箸するな決めてから手を伸ばせ味噌汁を音を立てて飲むな口の周りにご飯粒をつけるな口の中に物入れたまま喋るな食べすぎだご飯は三杯までにしろ味噌汁も二杯までだ肉ばかり食べるな野菜を食べろ魚も食べろもっと良く噛んでから飲み込めと言っているだろうが!

 まだまだ他にも言われていたが思い出したくもないとスザクは首をふる。
 散々言われてきたこれらの小言が消える上にご飯も食べ放題。
 それはスザクにとってこれ以上無い魅力的な条件だった。
 量を制限された時、一時は以前の通りに家政婦の作る食事を食べる生活に戻ろうかと思ったが作られる料理は勿論手作りオヤツの味に慣れてしまった身。一秒考えて却下し、お小言を食らいながらもルルーシュに料理を頼む生活を続けている。

《受けてたってやる!》

 スザクがルルーシュの提案に応じようとした時、「但し!」と遮る様に前置きの声が響く。
 声の強さに一瞬スザクが身を退いたのを見るとルルーシュは笑みを深くした。
 通常勝負を仕掛けるならば互いにとって有益な条件を提示するもの。
 スザクが勝った時が先程の条件ならルルーシュが賭けに勝った時はどうなるのか。
 息を呑んで言葉の続きを待つとルルーシュが良く通る声で条件を述べた。

「但し、もし出来なければきちんと僕の言う通り姿勢を正してゆっくりと食事を噛み締めて食べるんだ。
 ご飯も二杯まで。」
「二杯で足りるか! 人を飢え死にさせる気かよ!!」

 今の三杯でも不満だと言うのに更に減らされては堪らないとスザクが反論するとルルーシュはスザクの言葉に満足そうに微笑みながら挑発してきた。

「出来ないのか?」
「何だと!?」
「ああ、自信が無いんだな。三日じゃマスター出来ないか。それもそうだな。
 何なら期限を一週間に延ばすか。尤も藤堂中佐との食事会には間に合わないからメニューは僕の好きにさせてもらうし君は同席させられないよ。
 客人を不快にするような席を設けられないからね。」
「・・・やってやる! 三日後見てろよ!!」
「やれるものならやってみろ。精々無駄な努力を重ねると良い。」

 ふんっ!

 売られた喧嘩は買い叩く勢いで応じるスザク。
 上から下へと相手を見下し踏ん反り返るルルーシュ。
 しかし二人は気付いていない。
 喧嘩の大元がスザクに対するルルーシュの思いやりである事に。
 そしてそれを冷静に指摘する大人が現在の枢木邸にはいなかった。
 顔を背け合いそれきり口をきかない二人のギシギシとした空気にナナリーが怯えを滲ませながら声を掛ける。

「お兄様・・・。」
「ああ、ナナリーごめんね。びっくりしただろう。」
「喧嘩なんて止めて下さい。また皆で仲良く食事しましょう。」
「喧嘩じゃないよ。これは必要な事なんだ。
 親しき仲にも礼儀ありと言うだろう。
 普段からテーブルマナーを守れない人間との食事はストレスになるだけだからね。」
「ならお兄様。私にもお箸の持ち方を教えて下さい。
 スザクさんだけ責められるのはおかしいです。」
「ナナリーは良いんだよ。無理しないで。」

 スザクへのフォローもあるのだろう。
 必死に言い縋る妹にルルーシュは蕩ける様に甘く微笑み優しく押し止めた。
 実際、ナナリーが箸に触れたのは片手で数えられるほど。
 視力を失ってまだ間もない彼女には難しい話ではある。
 それでもルルーシュの彼女に対する態度とスザクに対する態度は天と地、砂糖と塩ほどに違いがあり過ぎた。

「贔屓だ!」
「うるさい黙れ似非日本人。」

 思わず叫んだスザクの言葉を一言で切り捨てるルルーシュ。
 二人の対立は最早避けられない事を悟ったナナリーは小さく溜息を吐いた。



 * * *



 翌朝からスザクは特訓を始めた。
 物事を始めるにはまず形から。
 今までの箸はスザクの乱暴な使い方で大分塗りが剥げておりそろそろ寿命が見えていた為に今朝廃棄し、新しい箸を下ろした。
 飾り一つ無い黒色の強い箸にルルーシュが注目する。

「見かけない箸だな。」
「へへん。藤堂師匠が京都土産に買ってきてくれた箸だ。」
「素朴だが角が丸みを帯びていて丁寧な仕上がりだな。中々に良いものだ。」
「だろ!」
「それだけに箸が哀れでならない。こんな乱暴な使い方をする奴にもらわれるとは。」
「お前は一言多いんだよ! それにこれからはそんな事は言わせないからな!!
 絶対にこの箸でちゃんと使ってみせる!!!」
「ご飯増やして下さいとか言って泣きつくなよ。」
「言うもんか!」

 朝から始まるバトルにはらはらしながらナナリーは本日もスプーンで米を掬い上げた。



《コツがわからない・・・。》

 スザクは早々に特訓に躓いていた。
 箸の持ち方を習う相手がいなかったのが最大の問題。
 今日一日学校でも箸を持ち歩いていたが未だに基本的な持ち方がわからなかった。
 図書館で本を借りようにもどんな本を探せば良いのかわからない。
 探してみたがどれもハズレで載っていなかった。となると後は人に教わるしかないのだが教えてくれそうな人は父のゲンブに桐原と藤堂。彼らは忙しい身でここ数日は枢木邸に来る事は無い。

《それ以前に父さんが教えてくれるとは思えないし。》

 「そんな事も出来ないのか。」と失望を顕わにする父の顔が思い浮かべられスザクは弱り果てた。
 こんな事を聞ける友人はスザクにはいない。
 家政婦の山中に聞く事も考えたがそうするとルルーシュに見られることになる。

《どうしよう。このままじゃ本当にご飯を減らされちゃう!》

「何をしているスザク。」

 どきっ!

 振り返ればルルーシュが台拭きを持って居間へと入ってくる。
 スザクが手にしている箸に目を止め納得した様子で頷くと卓袱台を片付けながら言った。

「特訓中悪いがナナリーを迎えに行ってくれ。
 あの子も箸の持ち方を覚えると言って聞かなくてな。
 一人で頑張ると今も土蔵で特訓しているんだ。」
「・・・・・・・・・わかった。」

《一人だけいた。》

 今スザクの頭に浮かぶのはふわふわとした髪を二つに結んで今も特訓しているだろうお姫様。

《優しいナナリーならルルーシュに秘密でコツを教えてくれるに違いない。》

「それじゃ行ってくる!」
「ああ・・・頼んだ。」

《いつもなら夕食の内容聞くまで動かないのに随分機嫌良いな。》

 足取り軽く居間を飛び出していったスザクをルルーシュは不思議そうな顔を見送った。



「スザクさん。待ってましたよ。」

 微笑と共にスザクを迎えたナナリーはルルーシュが用意した花柄の箸を手にしていた。
 まだぎこちないながらも持ち方に不自然さを感じない。
 間違いなく彼女が正しい箸の持ち方を知っていると確信しスザクはナナリーに飛びつく。

「きゃっ!?」
「ナナリー助けて!」
「ええ!?」
「俺に箸の持ち方教えて!!」

 突然縋り付いてくるスザクにナナリーは驚いた。
 けれど「教えてくれる人いないんだ。」と泣きつくスザクになんとなく事情を察した。
 自分達もそうだったからわかる。スザクも自分を曝け出せる様な友人がいないのだ。
 だから他愛のない問題に直面した時に手を差し伸べてくれそうな人間に思い当たらない。

《なら・・・私達が助けます。》

 クスクスと笑いながらナナリーは縋ってくるスザクに手を差し伸べた。

「私も教えてもらったばかりですけど、お役に立つのでしたらお手伝いします。」



 枢木家まで車椅子で運ぶより背負った方が早い。
 何よりも力に自信のあるスザクにとってナナリーは軽い為、彼女を背負い歩きながら箸の持ち方をレクチャーしてもらった。

「ええ、ですからお箸って実際に動かしているのは上の方だけで下のお箸は親指の付け根と親指と薬指。
 この三つで支えて動かないようにしているんですって。
 上のお箸はペンの持ち方同じで親指と人差し指、中指で支えて動かすそうです。」
「へー。鉛筆の持ち方と基本は同じなのか。」
「というお話ですけど・・・実際にやろうとすると下のお箸を支える事に気をつけていると上のお箸を上手く持てなかったり、逆に上のお箸を持つ事に集中すると下のお箸を取り落としてしまって難しくて。
 基本の形としてはこう持つみたいです。
 ちょっと止まって下さい。見せますから。」

 背負われながら立ち止まったスザクの首に回していた手を伸ばし、箸を持って見せた。
 二等辺三角形を横倒しにしたような形を描く箸。二本の棒を支える指は殆ど伸びている。

「指先で支えるんじゃなくて・・・。」
「それぞれの指に決まった支点がある様です。
 ただ言葉で伝えるのは難しいので最初に持ち方から始めて何処で支えるのかを実践で覚えた方が早いですね。」

 実践という言葉にスザクは確信した。
 自慢ではないが運動神経は良い方だと思っている。
 理論より先に身体が覚えるのか手本を見せてもらえれば言葉で教わるよりも確実に再現できる自信がある。

《持ち方を覚えた後はルルーシュの箸使いを見れば!》

「ありがとナナリー!」
「参考になりましたか?」
「すっごく!!!」

 元気良く答えるスザクにナナリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 自分も誰かの役に立てるという事が純粋に嬉しく「よかった。」と一息吐く。

「よし、それじゃ急ぐぞナナリー。
 ご飯が冷めちゃう。」
「はい!」

 一気にスピードアップ。
 走り出したスザクに驚きもせずナナリーは先程よりも腕に力を入れスザクにしっかりとしがみ付く。
 息を切らして居間へと走り込んできたスザクとナナリーをルルーシュはまたまた解せないという顔で迎えたのだった。



 * * *



「まだ足りない。」

 スザクは枢木家の庭先で藤堂からもらった箸をカチカチと開いては閉じてを繰り返して呟いた。
 まだ力の加減が上手く出来ない時もあるが摘まみやすい食べ物ならば摘まめるし、主食であるご飯も一口サイズを掬い上げて口に運ぶ事も出来るようになった。
 約束の三日目の朝、スザクが箸を使う様子にルルーシュは驚いた様子を見せなかったのだ。
 その事がスザクを苛立たせる理由。
 実際のお披露目及び決着は今夜の夕食時なのでルルーシュが賭けに負けると大慌てする様子が見られると思ったのだが、慌てるどころか以前より落ち着いて食事を取っている。

《何とかルルーシュをあっと驚かせる何かが欲しい。
 そして毎食ご飯五杯の夢を!》


 唸り始めるスザクだが現在夕方の五時。夕食まで間もない時間。
 何も思いつかない状態のままなのだろうかと考えるスザクの耳がある音を捉えた。

 ぶ〜ん

 耳障りな羽音。この時期になるとよく現れる蚊が腕に止まった瞬間、スザクは素早くもう片方の手で叩き潰す。
 すばしっこさで有名な蚊もスザクの反射神経の早さには敵わないらしく見事にぺちゃりと平面体となりヒラヒラと地面に落ちた。
 そのうち風で何処かに吹き飛ばされるか他の虫に捕食されるか微生物に分解されて土に還るかするのだろう。
 だがスザクは地に落ちる蚊の姿に一つの話を思い出した。

「武の達人は蝿を箸で掴むって話があったっけ。」

 言うは易いが行なうは難し。
 生き物の動きを先読みし箸を己の手の如く扱い、尚且つ捕らえ難い大きさの蝿を掴む。
 出来ればきっとルルーシュは驚く・・・が、今は蝿は飛んでいない。

「くそ! 良いアイデアだと思ったのに。」

 悔しそうに練習中放さなかった箸を見つめながら呟いた。
 と、その時に目の端を横切る存在に気付いた。
 何時もならすぐさま踏み潰すところ。けれどスザクはそれをせずニヤリと口の端を上げて笑いソレを追いかけた。



 ルルーシュは夕食の準備をしていた。
 アスパラやシメジ等、色とりどりの野菜やキノコを牛肉で巻いて下準備。
 今日はこれを焼いて砂糖と醤油で味付ける予定だ。

「副菜は長芋を煮た奴を出して、味噌汁の具はどうしようか・・・。」

 手順に慣れてはいても毎日出すもののバリエーションには常に悩むもの。
 残っている材料を確認しようと冷蔵庫に手を掛けた時、声を掛けられた。

「ルルーシュ!」

 元気一杯のスザクの声に振り向くとその目と鼻の先に黒いものを突きつけられる。
 その正体に悲鳴を上げそうになったものの皇子のプライドがそれを押さえつけた。
 必死に平静を装いルルーシュは状況を改めて確認する。
 目の前に突きつけられたのは家庭の大敵黒い悪魔。
 しかもそれを箸で摘まんで笑顔で立っているスザク。
 悪戯である。間違いなく子供の悪戯である。
 しかしスザクの悪戯に腹の底から沸いてくる怒りを抑えながらルルーシュは問いかけた。

「一体何の真似だスザク。」
「スゲーだろ! もうこんなすばしっこいのだって箸で掴めるんだぜ!!」
「ああ確かに凄いよ。別の意味でも。」
「え?」
「それでその家庭内害虫をこの後どうするつもりだ。」
「ゴキブリって言えよ。あ、でもどうしよう・・・・・・殺虫剤は何処だっけ。」

 スザクが辺りを見回すと箸の力が緩んだのか掴まれているゴキブリがワタワタと動き始め逃げようとする。
 慌てて腕を引き寄せ力を入れ直したものの状況は変わらない。
 弱り果てたスザクにルルーシュは深く溜息を吐いて「庭先に出て待っていろ。」と指示して手鍋を火にかけた。



 必死に逃れようともがき続けるゴキブリ。
 逃がすまいと慣れない箸に力を入れ続けるスザク。
 両者の攻防はいつ終わるのか。けれど少しずつ、分泌される油の為かゴキブリが箸から滑り出しそうな様子にスザクは焦って叫んだ。

「ルルーシュまだ!?」
「待たせたな。スザク、風上に立って地面近くに箸を出せ。」

 言われた通り風上に立ち箸を地面近くに差し出すとルルーシュは手鍋に入ったものを箸先に振り掛ける。

「あ、動かなくなった。」
「これでもう大丈夫だ。」

 そう言って立ち上がるルルーシュにスザクは動かなくなったゴキブリを放り出す。
 そのうち風に吹かれて何処かに飛んでいくか、他の生き物に食べられるか、土に返るかするのだろうがそんな事はどうでも良い。
 手鍋の中身はただの湯に見えたが劇的な効果に疑問を感じスザクは台所へ戻ろうとするルルーシュに問いかけた。

「ルルーシュ。それ殺虫剤入りのお湯?」
「そんなわけないだろう。ただの熱湯だ。
 科学の進歩と共にゴキブリも耐性をつけているから殺虫剤を掛けても効くまで時間がかかる。
 だが温度に対する耐性はまだ付いていない為、状況さえ問題なければ熱湯をかけた方が確実なんだ。」
「へー。随分対処に慣れてるんだな。」
「台所に立てば嫌でもゴキブリを見かけるようになるからな。
 対策も対処も覚えるさ。」
「皇子様なのに。」
「皇子と思ってないだろう。君は。
 それにしても君の勇気には敬服するよ。」

 振り返ったルルーシュはとても優しい声と甘い微笑を湛えていた。
 通常ルルーシュがこんな微笑をナナリー以外に見せる事はない。
 あるとしたら『何か』がある。
 ちょっぴり怯えながらも感情を押さえ込みスザクは聞き返した。

「勇気? 技能じゃなくて??」
「勇気だよ。僕だったらゴキブリを掴んだ箸で食事をする気にはなれないからね。」

 こっきん

 言われた言葉にスザクは凍りついた。
 ギシギシと音を立てそうなくらいにぎこちなく右手を持ち上げる。
 今朝までは誇らしさを感じていた箸が不気味に見えた。
 先程まで攻防していた事もあり、既にいないゴキブリが未だ箸先でもがいている様に見える。

「きっちり消毒した方がいいな。
 けれど僕はやらないよ。自分で洗って消毒するんだ。」
「あ・・・あのルルーシュ・・・・・・。」
「今夜その箸で食べて見せてくれるんだろう?
 楽しみにしているよスザク。」
「その・・・新しいお箸・・・欲しいんだけど。」
「何を言っている。その箸はまだまだ使えるじゃないか。
 しかも先日下ろしたばかりの新品を君は捨てると言うのかい。
 君の師である藤堂中佐が買ってきてくれたお土産の箸を、弟子である君が。」

 最後の辺りは凄みを増しておりルルーシュが怒っているのがよくわかった。
 けれど怒りの原点は何なのか。いくつも理由があるのか。
 縮こまり子犬の様に怯えながらスザクは許しを請いながら問いかける。

「ご・・・ごめんルルーシュ。怒ってる・・・?」
「怒ってる? ああ怒っているね。
 だがそれは悪戯そのものよりも物を粗末に扱った事かな。」
「え・・・。」
「勿体無いなんて言葉があるから日本人は物を大事にする民族だと思っていたのだけれどね。
 こんな下らない悪戯の為にあんないい箸を駄目にするなんて奴だとは思わなかったよ。」

 怒っているかと問われればルルーシュは確かに怒っていた。
 ルルーシュが今まで持っていたものは認めたくは無いが確かに大嫌いな父、ブリタニア皇帝から与えられたものだった。
 自分の力で手に入れたものは少なく、母や異母兄弟から贈られたものは全て手放す形でこの日本までやって来た。
 それだけに大切な人にもらった物を粗末に扱ったスザクに怒りを感じるのは当たり前の事だった。

「大切に使えよスザク。藤堂中佐にその箸を正しく使っているところを見て貰うためにもな。」
「あ・・・ちょっとルルーシュ待って。許してぇええっ!!!



 その夜、スザクは罰として本日食事はご飯一杯までとされた。
 当然賭けはご破算。ご飯の量も今まで通りとなる。
 事情の知らないナナリーが泣きながらも理由を話さないスザクを不思議に思いながらデザートのコーヒーゼリーを食べていると聞き慣れない音が部屋に響き渡った。

 ぐるっぐー ぐるっぐー

「何の音ですか?」
「ナナリー気にしなくていいよ。
 スザクが飼っている鳩の鳴き声だから。」
「鳩? でもスザクさん鳩を飼ってましたか??
 それにちょっと鳴き声がおかしい気がします。」
「うん・・・そうだね。」

 お腹の中で飼ってるから。

 最後の言葉を呑み込んだルルーシュは恨めしそうに自分を見つめるスザクを黙殺し庭先にあるものを思った。
 生き物を飼っていない枢木家には不似合いな塚のような土の山。
 其処には「おハシのハカ」と書かれた板切れが突き刺さっている。


 END


 書いている内に落ちが三つくらい浮かんでしまいその内の一つがこのお話の落ちです。
 でも勿体無いな〜とも思うのでおまけSSとして隠すことにしました。
 蛇足なので読まなくても問題はありません。
 隠すと言ってもサイト内へ隠しリンクがあるわけではありません。
 頭を捻らず探してください。リンクは堂々としておりますので。(笑)


 そして他にルルーシュの怒りの理由を考えていたのですが『本当の金持ちは物を大事にする』という話を思い出したので変えました。
 何でも理由は『お金があるから良い物を買ってそれを大事に使うから』との事でしたが・・・話を聞いた時、すごく納得したのを覚えてます。

 2007.6.26 SOSOGU


(2007.8.29 GEASSコンテンツへ移動)