〜少女の決意〜 「キラ様、公務のお時間です。」 《僕は本当に遠いところまで来てしまった。》 「キラ様・・・?」 既に用意は出来ている。 呼びかけられても返事をしないキラにマーナは体調が悪いのかと心配そうに再び呼び掛ける。 しばし目を閉じ、ふうっと深呼吸してキラはマーナに向き直り言った。 「今、行きます。」 全ては5年前に始まっていたとキラは思う。 まだ13歳だったキラは親の庇護なしでは生活出来ない。 何よりもまだまだ両親から離れるなど考えられなかった。 戦争の気配が強くなり友達が次々にプラントやオーブに避難していくのを見送りながら、それでもアスランとはずっと一緒だと信じていられたのは彼の言葉を信じていたからだろう。 『キラが好きだよ。』 小さな頃から言われてきた言葉。 兄弟の様に育ってきた二人だからスルっと口から滑り出す他愛ない言葉。 しかし、アスランのプラントへの避難が決まってからはその言葉には特別な意味があった。 『キラが一番好きなんだ。』 それまでと同じ言葉のはずなのに声の響きが違った。 『僕もアスランが一番好きだよ。』 コーディネイターは早熟というがまだまだ子供の二人は半端な知識と覚悟のまま手を取り合い、アスランが引っ越す前夜を共に過ごした。 アスランは何も知らない。 キラがその夜、身篭った事を。 両親がナチュラルである為にプラントへ行けないキラはオーブへ引っ越す事になった。 引越しの直前にキラの体調の変化が知られ、ヤマト家は荒れた。 今後どうするのか、やはり将来を考えて手術を受けるべきではないかとハルマが怒鳴りカリダはそんな夫を必死に宥めた。 結局、泣きながら「産みたい」と叫ぶ娘に折れ、ハルマとカリダは了承した。 プラントへ引っ越してから連絡の取れないアスランを心配すると同時にキラの体調を知らせる為、キラの父ハルマがアスランの父であるパトリックに連絡を取った。 返事は来た。 【キラ・ヤマトをザラ家に入れる事は出来ない。】 手紙にはまるで絶縁を宣言するようにゼロがいくつも並んだ小切手が同封されていた。 他にも何か書いてあったようだが、ハルマはその手紙をキラに見せ様とはしなかった。 ただわかっているのはパトリックがキラを決して受け入れ様とはしない事。 ハルマは何も言わずに小切手を燃やした。 他にキラが覚えているのは父の傍らで静かに泣いている母に罪悪感を感じた事。 そうしてヤマト家はオーブの資源衛星ヘリオポリスへと移住した。 やがてキラの子供が生まれ、ヤマト家は穏やかな生活を過ごしていた。 平和のオーブ。 その中でも特に閉鎖された環境にあるヘリオポリスでは、ニュースで聞こえてくる戦争に顔を顰めながらも人々はこの平和が恒久的に続くのだと信じていた。 しかし、その平和は突如破られる。 C.E.71.1.25 キラは2年前に産んだ娘と朝の挨拶を交わした。 「おはようマユ。」 「マ〜マ!」 「それじゃカレッジに行って来るからおばあちゃんと一緒にいい子でお留守番しててね。」 「うん! マ〜マ、いってらっしゃい!!」 ヤマト家の玄関はしまったまま。 にっこりと笑ってドアに手を掛ける母親に向かって幼女が祖母の腕の中から両手を振った。 夜の闇を思わせる濃い藍の髪がサラサラと流れ、アメジストに輝く瞳は何の曇りも無くキラに向けられている。 対するキラはボーイッシュに短く切った栗色の髪を微かに揺らし、向けられらた小さな瞳と同じ輝きを持つ瞳を嬉しそうに細めながらドアを開けた。 マユはアスランに似ていた。 瞳の色こそ違うものの髪の色とその顔立ちは出会ったばかりの頃のアスランにそっくりだった。 会えばきっとわかってしまう程に・・・。 だからこそ、万が一の対策を取った。 マユは戸籍上はキラの娘だが、世間的にはキラの妹としている。 全てはキラの母親であるカリダがアスランに似た特徴を持っていたからこそ出来た事だった。 両親に似ない姉と似ている妹。 第一世代のコーディネイターが似ていない事はコーディネイトの内容によるものなのでおかしいとは思われない。 逆に似ていたとしても「親子だから」と納得される。 抜け道は幾つもあった。 そしてもう一つの理由。 娘を好奇の視線に晒さない為。 幼い頃は何を言われているのかはっきりとは分からなくても雰囲気から感じ取るものはある。 一見非情にも見えるこの対策にハルマとカリダは反対する事は無かった。 けれど表立って母子を名乗れないのは淋しい。 それならいっそのこと戸籍上も妹としてはどうかとハルマは言ったが・・・キラは首を振った。 オーブの成人年齢になるまでは妹とするが、成人したら本国に降りて母親を名乗る。 それがキラの覚悟だった。 本国に降りた時の為の資金を。 そんなキラの願いに応える様に師であるカトー教授から齎されたプログラムチェックのバイト。仮題の合間を縫って幾つも請け負っていたキラはこの日もバイトの関係で教授に呼び出されてモルゲンレーテに行った。 そして遭遇したあの事件。 ザフト軍によるモルゲンレーテで密造されていた新型機動兵器の奪取及び新造艦の破壊。 住民の殆どが知らなかった工場の秘密を察知したクルーゼ隊の襲撃によってキラの運命は狂い始めていた。 嘗ての幼馴染兼恋人は敵軍として現われ、キラは友人達の命を盾にMSパイロットとして戦場に放り出され彼と敵対する事になった。 いっそ友人を見捨てられたなら・・・そう思ったことが無いとは言わない。 けれど【パトリックからの手紙】と【娘】がキラを地球軍の新造艦アークエンジェルに縛りつけた。 《ザフトには行けない。》 キラはアスランの手を振り払った。 アークエンジェル内では色々とあった。 『嘘つき! 大丈夫だって言ったじゃない。 僕たちも行くから大丈夫だって言ったじゃない!!』 目の前で父親の乗った戦艦をザフトに落とされた同じカレッジの少女。 ゼミ仲間であり友人であるサイの婚約者。 フレイ・アルスター 幸せしか知らない笑顔を振りまいていたカレッジのアイドルは憎しみに身を浸しながらキラを糾弾した。 『何でパパを助けてくれなかったのよ! どうしてアイツらをやっつけてくれなかったのよぉっ!!!』 ずきり 胸が痛んだ。 『アンタ、自分もコーディネイターだからって本気で戦ってないんでしょう!』 「相手もコーディネイター」だと認識していた為、無意識ながらも本気になれなかったかも知れないと自分でも思うところがあった。 図星を指されるのとは少し違う。 けれど心の中に引っかかっていた点を指摘されキラは居た堪れなくなりフレイの居る部屋から飛び出した。 フレイの言葉は唯一の身内を失った悲しみのあまりに出たもの。 理解は出来ても感情はついていかない。 一人展望台で泣くキラに言葉を掛けたのはピンクの髪が印象的な少女だった。 『どうなさったんですの?』 柔らかな笑みを浮かべ、ユニウスセブンの空域を脱出ポッドで漂っていたプラント最高評議会議長の令嬢。プラントの歌姫として名高いラクスがキラに寄り添うようにして他愛ない話をしてくれた。 少し安らぐ心にほっとしたキラ。 けれど生まれた安らぎは新たな悲しみへと変わる。 『アスランを知ってるんですか?』 『アスラン・ザラはいずれ私が結婚する方ですわ。』 何も知らずに微笑む少女に心が揺れた。 分かっていた。彼女は関係無いと。 それでも胸は締め付けられるような圧迫感を感じ、心臓は早鐘のような速さで悲鳴を上げる。 パトリックが何故自分達を受け入れなかったのか。 キラの両親が何故泣いていたのか。 アスランが何故一切連絡を寄越さないのか。 全て分かった気がした。 理由がわかってからのキラは家族の許に帰る事だけを考えた。 確実に生きて、平和な日常に帰る。 ラクスをザフトに引き渡した時もそれだけを思ってアスランの再度の誘いを振り切った。 けれど想定外の事が起こる。 『俺達、残る事にしたんだ。アークエンジェルに。』 『フレイが志願したんだよ。』 守る為の理由だった友人は皆、軍に志願していた。 『守ってくれてありがとう。』 避難用のシャトルに乗り込む前に出会った幼い少女はそう言ってキラに折り紙の花をくれた。 まだ人の悪意など全く知らない無邪気な年頃。 幼い娘の面影が重なった。 自分の迷いの為に傷付けた少女が真っ先に志願した事実。 そして未だ危険の中にあるオーブの避難民達。 キラは残ると決めた。 《戦争を終わらせる。 戦いを無くしてあの子の許に帰る。》 決意は堅くともその心や傷つき易い。特にキラは優し過ぎた。 『やめろぉ! それにはっ!!!』 地球の引力に引かれ、この状況下で戦いを続けるのは不可能。 敵味方関係なく互いに退く時機であったにも関わらずデュエルはキラのストライクを執拗に狙い続けた。 けれど丁度二機の間に下りてきたシャトルに邪魔されて打ち損じたデュエルのパイロット、イザークはその憤りをぶつける為に【オーブの避難民が乗ったシャトル】へと銃を向けた。 気付いたキラが必死に叫び止めようとしたが間に合わなかった。 心が砕けた。 娘を思わせる幼い少女を守れなかったキラはただ泣く事しか出来なかった。 「私がいる。」 《君が何を望んでいるかはわかるよ。》 「私が守る。」 《その声の裏にある想いを僕は知っている。》 「私の想いが貴女を守るわ。」 それでもフレイに縋ったのは頼るものが欲しかったから。 砂漠で敵に囲まれた状況にある中、フレイはただキラを抱き締めた。 その温もりにキラの心が癒されたのは事実だった。 砂漠を脱出してオーブへ一時入港したアークエンジェルだったが、キラは家族と面会しなかった。 《ここに来るまでに何人の血に染まった?》 母親として娘に合わせる顔が無かったから。 「私に同情してるの!?」とフレイは怒鳴ったがそれは違う。 それに・・・。 「フレイ、もう止めよう? 僕達間違ったんだ。」 《違う。本当は間違えたのは僕だけ。 本当はフレイに癒されるんじゃなくて彼女を癒すべきだった。 復讐なんて悲しいだけなのに・・・僕はそれを受け入れた。 だから間違えたのは僕。》 オーブ近海でのアスランとの死闘。 キラにとってはそのまま放っておいてくれた方が良かった。 生きてても悲しいだけだったから。 殺してくれたのが好きな人だったから尚更そのまま意識を闇に鎮めたかった。 けれど気付けば明るい平和な世界が広がり、いつか会った桃色の髪の妖精が自分の顔を覗き込んでいる。 「お目覚めになりましたか?」 眠っていたかった。 《そう答えたら彼女は何て言っただろうか?》 今までとは打って変わって平和な場所、時間。 目まぐるしく動く状況では考える事など出来なかったキラは少しずつ今までの事を思い返すようになった。 自分自身に余裕が無くて、子供と向き合う自身が無くて、ただ戦いから開放される為に戦い続けてきた自分。 実際に戦いから開放されて思うのは『マユ』だった。 これから先、世界はどうなっていくのか? この戦争は何時まで続くのか? そして娘の未来は? 《僕は・・・・・・守りたい。あの子の未来を。 母親としてあの子が生きていく世界を優しいものにする為に。 世界を守る為に。》 ザフトが行なう大々的な作戦「オペレーション・スピットブレイク」の標的がアラスカだと知った時、キラは決意した。 《僕は『戦争』と戦う。 あの子の未来を、世界を守る為に。》 「俺が君を守る。」 確かにアスランはそう言った。 カガリに・・・。 アークエンジェルの展望室。 キラが其処に来たのは気分転換の為。 けれど最も見たくなかったモノをキラは見た。 ずっと離れていたキラとアスラン。 ラクスとの婚約は親が決めた事であり、現在破棄されていると知っていても覚悟はしていた。 アスランの心変わりを。 ずっとアスランの手を振り払い続けたキラに彼を責める言葉は無い。 《大丈夫。まだ僕にはあの子がいる。 だから・・・。》 けれど世界はキラに絶望ばかりを与え続けた。 己の出生の秘密に打ちのめされ、助けたかったフレイは脱出艇を打ち落とされ爆散。 そして最後には最も守りたかった存在すら奪われていた。 第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦が最終決戦となり停戦が成立した後、情勢が一時落ち着いたオーブへ戻るカガリについてキラも地球へ下りた。 「残念ながらキラ様のご家族は・・・。」 沈痛な面持ちでリストを持つカガリの乳母マーナの声にキラは世界が真っ暗になったのを感じた。 避難中に戦闘に巻き込まれ亡くなった民間人の死亡リストに、キラを除いたヤマト家全員の名が記されていたと伝えられキラは立っているのもやっとだった。 オーブの施政の為に連れて行かれるカガリを見送りキラは一人部屋に閉じ篭る。 誰もキラを慰める言葉を持たなかった。持てなかった。 《もう、僕にはカガリしか残っていない。》 恋人だったはずのアスランはキラから離れた。 温かくキラを包んでくれた両親は鬼籍に入り、守りたかった娘もいない。 《なら、最後の最後に残された肉親を守る。》 カガリを助ける事。 それが今のキラを支えていた。 「キラ様? やはりお加減が悪いので?」 マーナの声にキラは現実に引き戻された。 瞳を閉じ深呼吸して真正面を見つめる。 「大丈夫です。早く行きましょう。」 金色の髪に褐色の瞳をした『キラに良く似た少女』は開かれたドアへと足を進めた。 続く 一番重いお話なので何度も途中で手が止まって困りました。(汗) でもこれを書かないとこの先の展開がわかりにくいので・・・。 次はもうちょっと軽めの話です。 元気一杯な『relieve the heart』のマスコット的存在が出てくる予定。 シンを始めとしたミネルバクルーとのやり取りを書きたくて始めたお話なので気合を入れたいと思います! 2005.9.25 SOSOGU |
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