〜戦いの前〜


《世界が近づいてくる。》

 アビーは靄のかかった意識がだんだんと鮮明になっていくのを感じアビーは声を出そうとして失敗する。
 出るのは呻き声。まるで自分の声では無いような耳障りな音。
 少しでも自分が世界にいる何か証になるものを探すように手を掲げようとすると暖かなものが触れた。

「あ・・・。」
「アビーおねーちゃん!? ルナおねーちゃん! アビーおねーちゃんが。」

 幼さを感じさせる声にアビーは靄が更に晴れていくのを感じ瞬きをする。
 見えたのは部屋の天井。
 気を失う前に感じていた医薬品の匂いは感じられず、馴染んだシーツの手触りにそれが自室だと気づいた。

「あ・・・私・・・・・・。」
「大丈夫アビー?
 本当は医務室で診てあげたかったんだけど今は・・・。」

 答えながら傍らに立つ少女の姿をアビーはゆっくりと見上げる。
 友人によく似た深い赤い髪が特徴的なザフトレッドの一人。

「ルナマリア・・・そっか、私確かあの連合の子に。」
「そう首を絞められて、酸欠で気を失ったの。
 一応先生が先に貴女を診てくれたけど精神的なショックもあっての事で大事には至ってないそうよ。」
「不幸中の幸いってやつかしら。
 ありがとうマユちゃん、心配掛けたわね。私はもう大丈夫だから。」
「うん・・・・・・。」

 ホッとしたように答えながらも小さな桃色の折り紙を手に迷っているマユにアビーは「どうしたの?」と問いかけながら頭を撫でる。
 さらさらの髪が手に馴染み気持ちが良い。
 マユも気持ち良さそうにほんの少し顔を綻ばせる。
 けれど晴れない表情にアビーは不思議そうに顔を傾げた。

《そう言えば気を失う前にマユは・・・・・・。》

 そっと視線を上に移すとルナマリアも複雑そうな表情を浮かべている。
 思い当たるのは連合の少女兵士。

「あの子・・・知り合いなの?」
「知り合いってほどでもないけど。知っている子。」
「おにーちゃんのトモダチ。」
「トモダチと言うほどの付き合いがあったとは思えないけど、シンのあの様子を見ると確かにただの知り合いでは無いわね。」

 マユの言葉を補足するようにルナマリアは答え、「詳しくは後で。」と話を打ち切りコーヒーを持って来ると部屋を出て行った。
 二人きりになった部屋に沈黙が降りる。
 アビーは詳細を知らないまでもマユも自分を害した連合の少女を知っていると察し優しく語りかけた。

「あの子の事、心配?」
「・・・ごめんなさい。」
「何故謝るの。マユが謝る必要は無いでしょう?」
「だって・・・アビーおねーちゃんがヒドイめにあったのに、マユはステラおねーちゃんもしんぱいしたの。
 みんなステラおねーちゃんのことすごくおこってて。おにーちゃん、今タリアおばちゃんにおこられてるの。
 でも、ステラおねーちゃんをつれてきちゃイケナイの?」

 怪我をしていたのにと続けるマユにアビーは改めて思い知らされる。

《マユは本来此処に居るべき子ではないのに。》

 議長の命令で此処にいるのだけれど、本当ならば本国の施設でシンの帰りを待っているはずの4歳の子供。
 戦場に立つには幼すぎる存在だと言うのに、今ミネルバにいるどれだけの人間がそれを覚えているのだろう。
 軍規など知るはずも無く。連合とかザフトとか、種族の違いから戦争を繰り返す自分達の姿はさぞ不思議に見えるだろう。
 この後、マユの祖国と戦うのだと思うとアビーは胸を貫く痛みに顔を歪めた。
 けれどマユはアビーの表情の変化に気づかず必死に話し続ける。

「あのね、このお花をステラおねーちゃんにとどけたいの。
 だけどメディカルルームは今入っちゃダメだって。」

 今にも零れそうな涙がマユの瞳に浮かぶ。

《自分達が戦う意味はなんなの?》

 光る涙にアビーはほんの少しだけ友人が抱えている戦争の傷に触れた気がした。



 * * *



 ミネルバ艦長タリア・グラディスは隣に立つ少年の反抗的な目にいらついていた。
 艦長室に呼び出し自分がどれだけ愚かな軍規違反をしたのかと諭しても少年、シン・アスカの反抗的な態度は改まる様子はない。
 本当にこれでアカデミーを卒業したのかと問いたくなるシンだが最終的には渋々と納得したもののその目は納得していないと語っていた。
 そして今、メディカルルームで拘束されている連合の少女兵を前にしてその表情は険しくなる。
 ベッドの上には医療用の簡易服、武器は何も持っていないと人目でわかる少女を何重ものベルトで括り付けられていた。
 酸素マスクを付けられた顔は険しく苦しんでいるのがわかる。
 少しでも少女の苦しみを和らげたいのかシンは「何故こんな事するんですか!」とドクターに食って掛かる。
 だがそれはタリアに制されてしまいシンは更にタリアにキツイ眼差しを向けるようになった。
 軽く息を吐き提出されたデータを見ながらドクターの説明を聞く。

「かなり異常ですよ。
 筋力を始め、とにかく各能力値が通常のナチュラルの限界を超えているんです。
 また人間にはない物質が多数検出されています。
 これらの検査結果と例の少年・・・ロイ君の証言から彼女があの施設出身である事、連合のエクステンデットであるという確証を得ました。
 また彼が持っていたディスクから定期的に薬物を投与しないと身体能力を維持できない事もわかっているのですが・・・。」
「何か問題でも?」
「あのデータは身体維持を目的としたものではない上に危険を伴うものでして。」
「どういうこと。」
「彼が『お母さん』と呼んでいた女性研究者が研究していたのはエクステンデットを普通の人間に戻すものだったんです。」

 !?

『遅すぎる後悔をした研究者』

 少年はそう言っていた。
 タリアは血溜まりの中で倒れていた女性を思い出し唇を噛み締める。

《彼女は本当に後悔していたのね。》

 そうでなければ命がけでこんなデータを残す訳が無い。
 少年一人だけでも逃がしたのは自分の研究を世に出して実践投入されているエクステンデットとまだ稼動している可能性のある研究所に居る子供たちを救う為。

《けど・・・。》

 タリアはドクターの言葉に引っかかるものを感じて顔を上げる。
 先程と変わらぬ戸惑いの表情にタリアは言葉を促すように頷く。
 するとドクターは一拍置いて答えた。

「研究データは不完全でして・・・しかもデータはある特定の人物に焦点を置いていました。」
「不完全って事は・・・完成する前に惨劇が起きたって事かしら。」
「そうです。時間が足りなかったんですね。
 ロイ君は投薬していると見せかけて投薬されなかった唯一の存在だったようです。
 恐らくは時間が無い事がわかっており、尚且つ正気を保てる人間を一人確保しておく必要があったのでしょう。
 勿論、良心の呵責もあったでしょうが・・・。」
「だから『お母さん』なのね。自分を守ってくれた女性に母親の姿を見たってところかしら。
 それで、ある特定の人物って言うのは?」
「ロイ君の証言で・・・その研究を行っていた研究者を『母さん』と呼んで慕っていた人物らしいとわかりました。
 こちらの少女と同時期に研究所から連れ出されたそうです。
 完成されたエクステンデットとして・・・「作戦に適合した人物を」と黒い仮面の男が三人選び出して連れ出した中にいたみたいでして。」

 ドクターの言葉にタリアは引っかかるものを感じ眉を顰める。
 見ていたデータから顔を上げドクターに向き直り、ステラを指し示しながら問う。

「ちょっと待って。さっきあの子の証言でこの子がエクステンデットとわかったって言ったわよね。
 なのに何故同時期に連れ出された『らしい』なんて証言になるの?」
「彼もこの子と直接の面識はないそうです。
 ただ、施設にあった写真に少女が写っていたのを見ているとの事で。
 後は・・・あの子の兄弟分の子供達に聞いた話ですね。
 連れ出されたという話も聞いたものだそうです。」
「それじゃあ。」
「ええ、ロイ君があの研究施設にいた時間は関係者の中でも特に短いという事です。
 投薬していない事を知られない為に、『最後の子供』しか助けられなかったのも周囲の目があったからでしょう。
 出来うる限りの知識を与えて全てを託した。
 彼女にとって人生最大の博打だった事でしょう。」
「特定人物に焦点を当てていると言っても応用で何とかならないの?」
「艦長、人間の身体は機械の様にはいきません。
 それにデータが少なすぎます。
 研究所に残されていたデータだけでは予測がつかない為に『危険』なのです。
 どんな副作用が起こるかわかりませんし、最悪現状維持すら出来なくなるかもしれない。
 本国の許可なしに行える事ではありませんよ。」
「そう・・・・・・。」

 これからミネルバは戦闘に出なくてはならない。
 本当ならばディオキア基地に寄って少女の引渡しをしたいところだが施設の調査が予想外に時間がかかっておりとても寄る時間が取れない。別働隊に迎えを頼みたくともこの地域全体の調査と防衛線の問題上余分な部隊など無かった。

《このまま戦闘に出るしかないか・・・・・・。》

 今更とタリアは自嘲する。
 既にマユを抱え込んだままミネルバは何度も戦ってきた。
 無理に迎えを頼もうとしても『前例』と『人手不足』を理由に断られるのは目に見えている。

「うぅう・・・・・・。」

 うめき声と共に少女が目を開ける。
 シンと同じ赤い瞳にタリアは少し意外に思った。
 コーディネイターでも赤い瞳は珍しい。兄妹であるはずのマユはシンとは違う。
 何よりもタリアはシンに会うまで赤い瞳の人間に会った事は無かった。
 けれどナチュラルの少女が同じ色を持っている。
 その事がシンに親近感を持たせているのかもしれないと思い至った。

「ステラ、気がついた?」
「・・・・・・お前は誰だ!」

 しばし警戒するような様子で辺りを見回した後、少女は敵意を込めた返答をした。
 顔見知りと思われていた少女の返答にタリアは瞠目する。
 シンもショックを受けた様子で声を失う。
 その間にも少女はあらん限りの力で拘束を解こうと暴れだす。
 強い力で軋むベッドに看護兵が怯えたように距離をとった。
 下がっている様にと支持してドクターは銃のような形をした注射器を取り出す。
 少女に何をするのかとシンは怯えて落ち着く様にと少女を抱きしめて必死に語りかけた。

「ステラ! 俺だ!! シンだよっ!!!」

 だから落ち着いてと必死に語りかけるが少女は聞かない。

「知らない! お前なんか知らない!!
 いやぁ! ネオぉ!!!」


 必死に頼るべき人物の名を泣き叫び続ける少女にシンは尚も語りかける。
 だがその行動を冷静に見ていたドクターは注射器を構えて首を振る。

「無駄だよ。彼女は精神波も異常なんだ。
 記憶や感情を操作されている可能性がある。
 例のデータディスクにはそれらの詳細は無かったがね。」

 ドクターの言葉にタリアは再び唇を噛み締める。
 『記憶』『感情』どちらも人間が人間である為に必要なもの。
 人格を形成するそれらを操作するという事は人間の尊厳を踏み躙る行為に他ならない。
 その事実にタリアは静かな怒りを燻らせた。
 ドクターに打たれたのは鎮静剤らしく、打たれた後に少女は身体を引きつらせ気を失う。
 涙を流して再び眠る少女にシンは自分の力が何の役にも立たない事に憤りを募らせていた。



 * * *



「ミネルバはこれより黒海に向かいます。
 これ以上此処で足止めを食らうわけには行かないわ。
 最低限の警備部隊を配置したら直ぐに出航よ。
 後の調査は本国からの派遣部隊がするとの事だから皆気持ちを切り替えなさい。」

 ブリッジについたタリアはいつもの表情で前を見据える。
 特にアーサーは直接見た施設での精神的ダメージがまだ抜け切らないらしく顔色が悪かった為、今は別の部署との連携の為と銘打って休ませている。
 皆、話に聞くだけでも気分が悪いらしく心にわだかまりを感じていた。
 それでも自分達は行かなければならない。
 何よりもあの惨劇が連合の引き起こしたものならば尚更自分達は戦わなければならない。
 その前に立ち塞がるのが例えオーブだったとしても。

「ミネルバ発進!」

 タリアの言葉と共にミネルバは離陸した。




 戦闘となると途端に艦内は慌しくなる。
 自然と人員は格納庫や各戦闘部署へと集中しメディカルルームは静かになった。
 誰も通らない通路、メディカルルーム前でマユはハロとトリィと一緒に座り込む。
 不意にトリィが一鳴きしてメロディーを奏で始めた。
 何度も何度も繰り返し聴き、歌い続けてきた歌。
 ドアに遮られて聞こえないと分かっていても、その向こうにいるステラに向けてマユは歌い続ける。

「マユちゃん!」
「こんなところにいたのか。」

 突如響いた声にマユが振り仰ぐと其処にはずっとマユを探していたアビーと副長のアーサーが立っていた。
 仕事の打ち合わせで目を離した僅かな隙に姿を晦ましたマユを見つけアビーはホっと安堵の溜息を吐く。

「急にいなくなったら皆が心配するだろう。こんなところで何をしていたんだい?」

 怒られると思ったのか、怯えを滲ませた瞳でアーサーを見上げ身体を縮こまらせるマユにアーサーは極力優しく語りかけた。
 言葉と共に身を屈めそっとマユの頭を撫でる。
 温かな手に安心したのかマユはハロを抱えて答えた。

「ステラおねーちゃんにウタをうたってたの。
 とってもとってもおちつくから、おねーちゃんこわがってたから。」

 マユの言葉にアーサーはそう言えばと先程聞こえてきた歌を思い出す。
 ディオキア基地でオーブの民間人から預かったデータ。そしてマユが歌っていた歌。
 ロドニアの凄惨な現場を見た事もありミネルバクルーの士気は下がり気味だ。
 連合を目の前にすれば怒りを覚え意識も変わるかもしれないが・・・今回の相手がオーブでもある事を考えるとあまり楽観視は出来ない。

《気持ちの切り替えが必要だ。
 皆も・・・マユも。》

 そこまで考えてアーサーは頷き、アビーにマユをリラクゼーションルームにつれて行く様に伝えブリッジに走った。



「例のデータ?」

 焦った様子でブリッジに戻ってきたアーサーに驚いたタリアは更に彼からの提案に驚きを隠せない。
 いつもはただ仕事をこなすのに精一杯の彼が珍しくクルーの精神状態を考慮した事に成長を感じつつもそれでも戸惑いが残る。
 そんなタリアの想いを察しているのかアーサーは頷いて意気込んで更に言い募る。

「ええ、ラスティ君が残していったあのデータですけど最初観た時にはびっくりしましたよ。
 あのラクス・クラインの未発表曲なんですから。」
「そんなものを流して良いのかしら?」
「そう思って僕も敢えてアスランに渡すのみに止めていたのですが・・・・・・ディオキアの新曲やラクス・クラインのライブの様子を見る限り現在の彼女の方向性に合わない歌だからそのままお蔵入りになっているのではと思うのです。
 ミネルバ内のみの放送ですし皆、あの研究所で大分精神的に参っているようですから、戦闘前に気持ちを切り替える為にもと思いまして。」
「本当にそれだけ?」
「え?」
「それならもっと早くに言い出しているでしょう。」

 鋭い視線がアーサーに突き刺さる。
 軍帽の影から覗くタリアの瞳が細められ、感情は見当たらない。
 突如タリアに視線に射抜かれてアーサーは先程までの勢いを失いタジタジとなる。

「あ・・・実はマユちゃんがメディカルルームにいるエクステンデットの少女に歌を歌ってたので。」
「メディカルルームは現在立ち入り禁止よ?」
「ええ、だからドアの前で聞こえないのにずっと歌っていたんです。・・・マユちゃんの気が少しでも済むのならとも思いまして。
 ほら、あの子もメディカルルームに篭りっ放しでしょう?」
「ああ・・・。」

 アーサーの言葉にタリアは施設の唯一の生き残りである少年、ロイを思い出した。
 瞬間、タリアの雰囲気が和らいだのを感じアーサーを気を取り直して畳み掛ける様に進言した。

「だから映像データで流そうかと。ラクス・クラインのプライベートな姿なんておまけつきですし。」
「全く・・・データを複製されない様にプロテクト、放送で厳命した上で一回きりという条件で流しなさいよ。
 後、この事は外部に漏れないように気をつけて。」

 呆れた様にため息を吐きながらもタリアは漸く許可を出す。
 すると聞き耳を立てていたブリッジにいた者達が歓喜の声を上げる。
 その声にタリアはアーサーの判断に間違いは無いのだろうと思った。
 いつものタリアであればこんな許可は出さない。
 それでも許したのは・・・タリア自身、癒されたかったのかもしれない。


 ピンポーン

【ミネルバクルー全員に告げます。この放送の10分後に全艦放送にて音楽を流します。
 ラクス・クラインの歌う姿の映像も流れるので小休憩を取れる者はモニター前にて待機、休憩を取れないものはスピーカーのみオンにする様に。
 但しこの放送の視聴に関する最終判断は各部署の長に委ねます。
 これは強制ではありません。
 繰り返します。音楽放送の視聴は強制ではありません。
 最終判断は各部署の長に委ねます。以上。】

 メイリンの可愛らしい声での放送の直後、一番沸いたのは格納庫だろう。
 広い空間であるにも関わらず空気が震えるほどの歓喜の声にアスランは苦笑した。
 皆行動が早く、余裕のある者はモニター前に齧り付き、とても担当部署から離れられない者はスピーカーだけをオンにして放送を待った。

 予定通りメイリンの放送から約10分後、静かに穏やかに前奏が流れ出す。
 皆、心が落ち着いていくのを感じた。
 ディオキアのライブとは全然違う、以前のラクス・クラインらしい歌。
 格納庫でもヨウランとディーノが興奮した様子で歌と映像に魅入られている。
 モニターに映るのは普段着と思われるワンピース姿のラクス。
 長い髪は結われておらず前髪の分け目にある髪飾りだけが彼女を飾っていた。
 聞きなれない歌詞とメロディーにヨウランが興奮したように叫んだ。

「マジで未発表曲じゃん!」
「ちょっと静かにしてよ。聞こえないじゃない!」

 初めは興味なさそうにしていたルナマリアだが、流れ始めた音楽に何を思ったのかヴィーノを押しのけてモニターを食い入るように見つめて叫んだ。
 だが皆に混じってモニターを見つめるレイの表情は険しい。
 そんな後輩達の姿を見守るのはフェイスの二人。
 後ろで距離を取りながらハイネとアスランは小声で話を始めた。

「おい、アスランあれ・・・。」
「ああ。『本物のラクス』だ。」
「アイツが持ってたデータってコレだったのか・・・。」

 ハイネは淋しげな表情でモニターに映るラクスを見つめる。
 肩の出た白とパステルブルーのワンピースは舞台衣装と違い普段の彼女を思わせる落ち着きがあった。
 どこかの民家と思われる一室でソファから立ち上がり歌を奏でるその様子は紛れもなく2年前に最終戦に参戦したラクスだ。
 だが・・・何故ラスティがこれを持っていたと言うのか。
 態々映像データの状態で持ち歩いていたその意味は?

《何か引っかかる。》

 ハイネは確かに映像から違和感を感じた。
 だがその違和感の正体がわからない。
 険しい表情のハイネに気付いてアスランは問う。

「どうしたハイネ。」
「何か・・・引っかかるんだ。
 ラスティって奴、かなりの曲者って感じだった事もあるが・・・映像に何か違和感がして。」
「歌は・・・問題ないな。部屋も多分マルキオ導師の・・・・・・!?」

 何かに気付いたらしくアスランが息を呑む。
 同僚の異変にハイネは自分から振った会話にも関わらず戸惑いながら声を掛けた。

「どうしたアスラン。」
「違う。この部屋はカガリがブレイク・ザ・ワールドの後に用意した家だ。
 孤児院のカレンダーはこんな小さな卓上式の奴を使っては・・・・・・拙い!」

 アスランの言葉にハイネは漸く違和感の正体に気付いた。

「やられた! ブリッジに直ぐに連絡を!!
 多分艦長も副長も気付いていないぞ!!!」



 ぴぴっ ぴぴっ

 未だ流れるラクスの歌。
 にも関わらず彼女の歌を遮る様に入ってきた通信にブリッジにいたクルー達は渋い顔を隠せない。
 だがそれが緊急性を表しているとも言える。タリアは入ってきた通信の音にメイリンに問いかける。

「誰からなの?」
「格納庫から緊急連絡。コールはヴェステンフルス隊長・ザラ隊長の連名になっています。」
「なにかしら。」

 不思議そうに呟きながらタリアが通信回線を開くと途端にアスランの焦った声が響いた。

『艦長、直ぐに映像を止めて下さい。サウンドオンリーに切り替えを!』
「どういうこと?」
『理由は後で話し・・・・・・。』

 だがアスランの言葉が終わるより先に最後のメロディーが緩やかに消えていく。
 曲が終わると同時に映像は途切れた。
 モニターからラクスの姿が消えた事を確認したタリアは嘆息して応える。

「遅かったわね。今終わったところよ。
 理由は後で聞かせてもらえる?」
『誰も気づいていない事を祈りますよ・・・。』

 どういう意味なのか?
 ブリッジにいた全員が首を傾げる。
 アーサーも不審なものを感じていなかっただけに二人が焦る理由が今の映像の何処にあったのか解らず肩を竦めていた。
 タリアも今のところ気付くところは無かった。
 だが・・・それだけに二人が焦って通信を入れてきた事に不安を感じる。
 とりあえず、とタリアは二人を艦長室に呼びアーサーにブリッジを任せて一時部屋に戻る事にした。
 勿論、ラクスの映像が入ったマスターデータの回収を忘れずに。



 放送は僅か5分程。
 長いように思えて短い。
 マユは真っ黒になってしまったモニターから目を外し傍らに寄り添うアビーを見上げて言った。

「もうおわり?」
「そうね。でもマユは歌えるんでしょう?」
「うん!」
「じゃあマユのお仕事。皆が疲れてこの部屋に来たらトリィと一緒に歌ってあげてね。」
「それじゃ俺ー! リクエストは『静かな夜に』で!!」
「ちょーしに乗るな!!!」

 リラクゼーションルームに集まった休憩時間中の整備士達の言葉にマユはにっこりと笑ってトリィとハロを呼び寄せる。
 マユの言葉と同時にリズムを取るようにボディを揺らすハロとマユの頭の上で羽を震わせメロディーを奏で始めるトリィ。
 前奏の終了と共にマユは目を閉じて歌い始める。
 こっそりとその歌が艦内に流れるようにアビーは一部のブロックと回線を繋げていた。



「ちぇー、もう終わりかよ。」

 格納庫ではヨウランが不満そうにぼやくと同時にモニターの前に集まっていた整備士達の殆どが仕事へと戻って行く。
 けれど放送の短さにヨウランはもう一回ぐらい流れないかと真っ黒になったモニターをいじましくも見つめていた。
 ルナマリアが呆れた様に嘆息するとシンが問いかけた。

「今の人誰?」

《《《おおいっ!!?》》》

 ありえない質問。
 プラント中で彼女を知らないものはいないと言っても過言ではないほどの有名人。
 いや、先の大戦で彼女の顔と名は世界に轟いたと言うべきだろう。
 ブレイク・ザ・ワールドの後にも慰問ライブの為に地球に降りて各地を回っていたのだ。
 ド派手なピンク色の専用ザクはニュースにも紹介されている。
 今後歴史の教科書に載るであろう人物。それがラクス・クラインだ。

《《《知らない方がおかしいぞ!!!》》》

「シン!? それ本気か!? ディオキア基地でもライブしてただろ!!?」
「その時シンは反省室の中よ。だけど・・・ホテルで会ったでしょ。
 フレイを突き飛ばしたあの人よ。」
「えー全然似てない。別人じゃないか。」

 ルナマリアの言葉にシンは思い返したが記憶のラクスと今の映像のラクスが一致しない。
 きっぱりはっきり結論づけるシンの言葉にこの中でただ一人真実を知るレイが肩を震わせた。

《シン・・・お前は本能で気付いているのか!?》

「それに記憶に引っかかるんだよな・・・今の映像。」
「どうもホームビデオで撮ったっぽいな。前にオーブで撮ったんじゃない?
 だから懐かしい雰囲気を感じ取ってるんだよ、きっと。
 もしかしなくても、今のってかなりのお宝映像だったりして☆」

 笑顔で推測を述べるヴィーノになるほどと漸くシンも頷いてそれ以上疑問に思う事はなかった。
 理論よりも感情や勘で全てを判断する人間ほど誤魔化し易く、同時に誤魔化し難い人間はいない。
 今回は後者のタイプになりつつあったシンにどうフォローしたものかと一生懸命に頭の中で言い訳を並べ立てていたレイは皆に気付かれない程度にそっと息を吐いた。
 皆の会話に漸く再放送を諦めたヨウランが振り返り感想を述べる。

「でもなぁ、俺は今のリズミカルで勢いのあるラクス・クラインの歌の方が良かったな。」
「何ていうか・・・以前のラクス・クラインって感じだったと思わない?
 私は今の映像みたいなラクス様が好きよ。理想の女性って感じがして。」
「わかってないねールナは。男としては清楚なアイドルも好きだけど今のラクス様の方が萌えるんだよ。」
「そうでもないよ。落ち着いているラクス・クラインの方が好きって人も多いし。」
「意見を聞くならやっぱ婚約者のアスランでしょ☆」

 ルナマリアの言葉に瞬間シンが無表情のまま形ばかり拡声器代わりに両手で口元を覆い呼びかける。

「おーいタイチョー。」

 思いっきり棒読みやる気なし。
 シンの声音に全員が頭を抱えた。

《《《お前はもうちょっと上官に対し敬意を払え!》》》

 だがふと気がつくと格納庫にいたはずの上官が見当たらない。

「あれ? アスラン・・・それにハイネは?」
「二人して出て行ったよ。急いでたみたいだな。」
「?」

 不思議そうに首を傾げるシン達だがレイだけは剣呑そうな雰囲気で二人が出て行ったドアを見つめる。
 だが何時までもおしゃべりで時間を潰してはいられないのが現状。
 仕方がないと漸く解散を告げて皆が各自持ち場へと散ろうとしたその時にスピーカーから歌声が響いた。

 おおおおおおおおぉぉぉぉおおおっ!!!

 流れ出したのはシン最愛の妹マユの歌声。
 雄叫びを上げ今にもドアを蹴飛ばし出て行こうとするシンにレイは考え事を中断させられ全員でシンを抑えつける。
 けれど赤は伊達では着られない。
 三人もの人間が圧し掛かってもシンは上半身だけ起き上がらせ叫んだ。

「マユー! お兄ちゃんマユが歌ってくれるなら何でもいいなvvv」
「残念だけどすっごく勿体無いけど格納庫内だけ放送切って!」
「いやだぁああ!! マユの歌を聴くんだぁああっ!!!」
「アビー、格納庫との回線を切ってくれ。
 それからマユの歌の録音を頼む。餌になるから。」

 ただ一人冷静に対応するのはやはりと言うかレイ・ザ・バレル。
 いつものポーカーフェイスで通信機の受話器を持つ彼のセリフにヴィーノとヨウランはシンを押さえつけながら思った。

《《餌ってなに? レイ。》》



 同じ頃、メディカル・ルームでも歌は流されていた。
 幼い歌声にロイが天井につけられたスピーカーを見上げて呟く。

「この声・・・。」
「マユちゃんの声ね。ちょっとたどたどしいけど可愛いわね。
 上手いとも言い難いけど聴いているとホッとする。」

 看護師の言葉に机に向かいカルテを書き込んでいた医師も頷く。
 敵兵であり連合の機密に当たるエクステンデットの少女を前にし、常に緊張を強いられる彼らとしてもマユの声に張り詰めていた緊張が僅かに緩められ一時の安らぎを感じる。

「う・・・。」

 歌が流れているせいか呻き声と共にステラが目覚めた。
 うっすらと開かれた目の下には疲労に因る隈が見える。
 それでも穏やかな表情から今は苦しさは感じないらしい。
 その事に安堵しながらロイは優しく訊ねる。

「ステラ、起きたの? 大丈夫?? 痛いところはない???」
「それ・・・・・・。」

 暴れた時の為にとベッドに拘束されたままのステラは辺りを見回す。
 一通り首を回らせ、ある一点に視線が集中するのを見てロイはステラの視線を辿った。
 ステラの見つめる先には貝殻と折り紙の花が入った瓶。
 眠ったままのステラを気遣う様に髪を撫で、彼女が目覚める前にまた仕事へ戻った人物を思い出しロイは静かにゆっくりと語る。

「シンって人が持ってきたんだ。ステラから貰った貝殻だって。
 覚えてる?」
「シ・・・ン・・・?」
「そう。」
「・・・・・・シン。ステラを守るって言った。」

 儚く響くステラの声。
 救いを求める様に瓶に手を伸ばすステラにロイはテーブルにあった瓶を取り握らせる。
 その間に医師と看護師がカルテと資料を手にステラのベッドに駆け寄る。

「思い出したの!?」
「記憶はあくまでも消されたのではなく、記憶回路を意図的に遮断して思い出せないようにしていたのだろう。
 定期的に処置されなければ記憶回路が回復する事もあるという事か。」

 興味深そうにステラの言葉から推測を立てる医師はレポート作成の為か、メモを取り始める。
 その傍ら、ロイはステラの頭を撫でて彼女を宥めた。

「花?」

 瓶の中で転がる紙が花を模していると察し不思議そうに呟くステラはとても敵パイロットとは思えない。
 辛辣な戦いぶりを披露した敵兵の思わぬ一面に看護師が戸惑う中、ロイはまるで年下の兄弟を労わる様に語りかける。

「これはマユちゃんが持って来てくれたんだよ。
 後でお礼を言わないとね。」
「マ・・・ユ?」
「会った事あるんだろう?」
「・・・・・・知らない。ステラ、知らない。」

 首を振って天井を見つめるステラにロイは苦しそうな表情を浮かべる。
 記憶操作の事はロイも話には聞いていた。けれど現実としてその結果を見るのは初めてだった。
 聞こえないとわかっていてメディカルルーム前で歌い続けていたマユの話を聞いた時、気遣ってくれる存在を伝えたいと思った。
 けれど彼女はその想いを理解する事が出来ない。
 肩を震わせるロイの隣に医師がやってきて彼の肩を軽く叩き答える。

「強烈な印象が無ければ記憶の回復は難しいんだろう。
 徐々に回復するかもしれないし一生回復しないかもしれない。
 だがそれは彼女のせいじゃない。」
「・・・・・・はい。」

 滔々と流れる歌声。
 重くなりそうな沈黙の中、確かな安らぎを齎した。



 * * *



「ミリアリア!」
「はぁいv」

 アークエンジェルでは黒海での戦闘への備えで忙しい中、ミリアリアが合流した。
 ブリッジ内は久しぶりに会う仲間に歓迎の声で一気に騒がしくなる。
 特にマリューは妹分との再会に表情を輝かせ彼女を抱き締めて無事を喜ぶ。

「元気そうで何よりだわ。」
「はい、マリューさんもお元気そうで何よりです。」

 一頻り肩を叩きあい何事もないと確認し離れたところにチャンドラがからかう様に一声かける。

「エルスマンは?」
「振っちゃった☆ あたしのやる事にあーだこーだ口出しする奴なんかこっちからお断りよ。」

 元々ミリアリアは恋人のトールの事を簡単に吹っ切る事が出来ないとわかっていた。
 だから忘れるよりも思い出に浸るよりも彼が望んだ世界を守ると決め、前に進むと誓った。
 別にディアッカの事が嫌いなわけではないのだが・・・。

《はっきり言ってウザイ。》

 彼なりに気遣ってくれているのもわかるし有り難い事だとわかっているが、今のミリアリアは恋愛よりも仕事に重点を置きたいと思っている。
 心配する気持ちはとても有り難いものだとも思うのだが・・・今のミリアリアには迷惑でしかないのだ。

「でもディアッカは諦めてないと思うけどね。」

 結構一途なんだよ?と続けて微笑むキラにミリアリアがげんなりした顔で応えると皆「アークエンジェル追っかけてた時からしつこかったもんな!」と笑う。
 だからミリアリアは少しほっとした。
 今はまだキラと真正面から向き合う覚悟がなかった。

《今はまだ訊けない。》

 これから戦闘に出るアークエンジェルの最大戦力はフリーダム。
 そのパイロットであるキラの精神を揺さぶる可能性が高いマユの事はまだ訊けない。
 笑顔のキラにミリアリアはそう判断した。
 ミリアリアと軽いじゃれあいをした後にキラの興味はカズイに移り、キラは懐かしさを込めてカズイに声を掛けた。

「カズイもいらっしゃい! でも戦闘苦手なのに大丈夫なの?」
「いや俺は・・・。」
「顔見せだけよ。カズイは私の代わりにカメラマンとして今度の戦闘をしっかりと記録撮影してもらいます。」
「だから無理だって!」
「やる前から無理とは言わせない。というか言っちゃ駄目なのよ。」
「お願いだから勘弁して〜。」

 心底お願いしますとミリアリアを拝むカズイに同情したのだろう。
 キラとカガリが顔を見合わせて頷く。

「ミリアリア・・・今回は諦めたらどうだ?」
「客観的な目が欲しいのよ。あ、じゃあさ。
 カズイが私の代わりにCIC担当してくれる?
 そうしたら私が写真撮りに行くから。その後で合流ってどうv」
「どっちもカズイには地獄じゃないか・・・。」

 カズイが戦闘に向いていない事は以前アークエンジェルで共に戦ったキラは勿論他のクルーも良く知るところ。
 それを腰抜けと見るか優しすぎると見るかは評価が分かれるところだがキラは精神的にも向いていないカズイを無理に戦いに巻き込みたくないと言い添える。
 けれどミリアリアは唸るばかりで首を縦に振らない。
 そんな友人の姿にカズイは悟りの境地に入った溜息を吐く。

「キラ、もう良いよ。ミリィは変わってしまったんだ。」
「カズイが変わらな過ぎなのよ!」
「頑張って距離取って望遠レンズで撮る様に頑張るよ。」
「カズイが行く撮影ポイント教えてくれればそっちに戦場が移ったり流れ弾が行かないようにこっちも気をつけるから。」
「有難うキラ。」
「手っ取り早くミリアリアに撮影そのものを諦めさせた方が良くないか?」

 友情を確認し合う様に固く手を握り交わすカズイとキラに一番無難な意見をカガリが述べるが二人はゆっくりと振り返り応える。

「「言って本当に諦めてくれると思う?」」
「・・・・・・そうだな。」

《《《代表首長でも無理と判断されましたか。》》》

 答えるカガリにクルーはミリアリアの根性が凄いのかキラ達の諦めが良すぎるのかと首を捻っていたものの漸く結論を出した。
 これから彼らは戦いに出なくてはならない。
 あまりよそ事に気を取られてばかりいられないのだ。
 さて気持ちを切り替えてそれぞれの配置にとマリューが指示を出し始めるとそれを遮りカズイは言った。

「そうだ、気をつけるならミネルバには特に気をつけてね。
 あの艦には子供が乗ってるんだ。」

 カズイの言葉に皆仰天する。
 当たり前だ。以前のアークエンジェルの様な非常時ならばまだしもミネルバは何度も基地に寄航している。非常事態があっても子供を乗せたまま動き続けるわけがない。
 況してやこの辺りはザフトの勢力圏内なのだ。
 基地に寄航しなくても幾らでも降ろす手段はある。

「事情はよく知らないけど軍服着てたよ。4・5歳くらいの女の子。
 マユって言ったかな。」

 !?

 カズイの言葉にキラは僅かに身体を震わせた。
 本当に注意していなければ気付かない程度のキラの変化に気付いたのはカズイとミリアリアの二人。
 カガリは全く気付かずにカズイを問い詰める。

「何故マユがまだ乗っているんだ!」
「詳しく知らないし、まだってどういう意味?」
「カズイ! それは・・・っ。」
「言っておいた方が良いと思って。特に戦闘に出るキラにはね。」

 ミリアリアの言葉にカズイは静かに応えながら視線だけはキラへと向ける。
 何の感情も浮かんでいないただキラを見つめるだけのその瞳は昔と変わらない。
 昔からカズイはそうだった。自分の意見よりも客観的な意見を述べそれを投げかける事で皆の考えを募っていた。
 それはとても簡単でいてとても難しい事。
 問いかけは無い。
 けれど物静かな目が自分を見透かすようだとキラは思った。

 そして友人のその妙に冷静なところが怖いとも。



 ステラ・ルーシェは生体CPUであり兵士ではない。

 ネオ・ノアロークは最初にそう伝えられている。
 いや、ステラに限った事ではない。スティングもアウルも、ネオの上官であるジブリールにとってはいくらでも代えのきく駒であり部品なのだ。
 そう割り切る事が出来る人間がいるとは知識で知っている。
 けれどネオは割り切る事が出来る人間ではなかった。
 人間は豊かな感情を持っている。勿論生き物は皆、種の違いで分かり難いというだけで感情を持っているが・・・ネオは思うのだ。

《ジブリールは割り切る以前に彼らを人間と認めていないのではないか。》

 だがこの考えには様々な疑問が生まれる。

《ジブリールにとっての人間とは何なのか?》

 そんな疑問が浮かびネオは首を振る。
 考えていても始まらない。今彼の目の前にあるのはステラを失った現実。
 残った二人にとって彼女を失う事は精神バランスを大きく崩すことになるのだ。
 ゆりかごの中、赤いビロードの布に埋もれて眠る二人の表情は僅かに険しい。

《すまない・・・。》

 決して届く事のない謝罪を胸の内で呟きネオは研究員に指示を出した。
 ステラの記憶の消去命令を。



 * * *



 アーサーにブリッジを任せ艦長室へ戻ったタリアはアスランとハイネの二人と対面していた。
 モニターには先程のラクスの映像。
 一時停止され、背景の一部が拡大表示されている。
 問題となったその映像をしばし凝視し、タリアはハァアっと大きく溜息を吐いた。

「やられたわね・・・アーサーだけじゃなく私も確認するべきだったわ。
 いえ、それ以前に気付けたかどうか。」

 拡大されているのはラクスの後ろにある棚。一番上に置かれた卓上式カレンダーである。
 『C.E.73 Sept.』と印刷されているのがはっきりとわかる。
 その意味は・・・。

「ブレイク・ザ・ワールドの後、プラントにいた筈のラクス・クラインが何故オーブにいたのかしら?
 二人とも理由を知っているわね。」

 タリアの言う通り『ラクス・クライン』は公式的にはこの時期にはずっとプラントにいた事になっている。偶然先の月を捲っていたとも言い逃れは出来るかもしれないが・・・あまりにも不自然だ。
 ましてやこのデータを持っていたのはオーブの人間。しかもアスランを下す程の実力者だ。
 ならばこれは彼からのメッセージなのだろう。自分に見せる事を勧めていた事を考えると自分へのメッセージだったのかもしれない。
 今頃はイタズラが成功したとほくそ笑んでいる事だろう。
 そんなタリアの心中を察したのか、アスランとハイネの二人は一度顔を見合わせ、頷き合い話し始めた。

「・・・プラントにいるラクス・クラインは議長が立てられた影武者です。
 本物のラクスは・・・恐らくアークエンジェルと共に行動しているはずです。」
「違うわね。」
「これは本当の話です!」
「勘違いしないで。違うと言ったのは現在のラクス・クラインの所在の話。
 戦闘前だし、皆が動揺するといけないから情報を止めていたんだけど・・・ディオキア基地にラクス・クラインの偽者が現れてシャトルをジャックしたそうよ。」

 考え事をしているタリアの癖なのだろう。口元で手を組み考え込むようにして答えるタリアの言葉にアスランは驚愕を隠せない。
 だがタリアはアスランに構わず話を続ける。

「丁度現場に居合わせながらもジュール隊長は偽者と見抜けず、『本物のラクス・クライン』を入り口で足止めしてしまった為に事件を防げなかったとの理由で現在謹慎中。」
「イザークが? しかし彼だけ責任を問われるのはおかしいのでは・・・。」
「問題は『偽者のラクス・クライン』と共にフレイが姿を消したという事よ。
 知らずに着いて行き拉致されたのか、それとも知っていて彼女に着いて行ったのか。」

 その答えはアスランの中では既に出ていた。

《フレイならば本物かどうかを見抜けるはず。》

「一応軍本部は宇宙で放置されていたシャトルに縛られ残されていたパイロット達の証言から拉致されたとの判断を下しているけれど。」

 絶対的な確信。
 タリアも自分で話しながらも察しているのだろう。
 軍本部における現在のフレイの位置づけを話す。
 だがタリアの話にハイネは不審そうに問う。

「証言とは?」
「彼女の悲鳴に駆けつけたらフレイが倒れていたと。
 直後、後ろから殴られ意識を失ったのでその後の事はわからない・・・って話だけど。」
「彼女はミーア・・・ディオキア基地でライブをしたのは偽者のラクスだと察していました。」
「どういうつもりかしらね・・・。まあ議長のやり口に疑問を感じても仕方ないでしょう。
 ところでハイネ、貴方も知っていたの?」
「一応は。」

 問うタリアに答えはするものの何処でとは言えない。
 本来監視役であったにも関わらず見つかり、報告を躊躇った。
 ラクスの件は迷った結果、幾つか報告しなかったものの一つだ。
 当然マユの件も伝えてはいない。
 だがハイネもフェイスの称号を持つ者。それを悟られるヘマはしていなかった。
 タリアは全く気付く様子も無く軽く息を吐き今後の対応を決める。

「とにかくこのデータは封印します。
 下手に動けばこっちの身が危ういわね。」
「騒げばこちらが反逆者・・・でしょうかね。」

 おどけて答えるハイネにタリアが苦笑する。
 本当ならばもっと吟味したい件ではあるが今は絶対的に時間がないのだ。

「オーブとの戦いの前に厄介な事ばかりだ。
 これ以上ややこしい事が無ければ良いんですけどね。」

 願いにも似たハイネの言葉に二人は沈黙で答える。

《《何も、戦いすらも無ければ良いのに。》》




「通信、こんな時に?」

 メイリンからの呼び出しにアビーは不思議そうに通信モニター越しに問う。
 自室へと回された回線はプラント本国から。
 このタイミングで入った通信は情報の傍受を恐れて通常は許可されない。
 情報内容に問題が無いとしてもこの時期ならば許可が下りるわけが無い。
 それでも通ったのは何故なのか? よほどの用事なのかと首を傾げるアビーにメイリンも困惑の表情で答える。

「時間が取れなくて・・・10分だけという前提で艦長から許可は下りてます。
 マユちゃんが所属していた施設の方との事です。シンから手紙の返事がまだ来ないって・・・パイロットとの通信は許可できないからアビーだったらと話したらそれで構わないと。」
「有難う。では回線を開いて下さい。」
「了解。」

 一度切れるメイリンとの通信。
 直ぐに暗くなったモニターに新たな回線と繋げている事を意味する英文が並び始める。
 時間にして数秒。
 直ぐに映るであろうモニターを凝視しながらアビーは緊張した面持ちでインカムを手にした。

《一体何かしら?》


 アビーはこの時の通信内容をシンに話さないと決めた。


 続く


 えーと遅れまくってすみません。
 しかも話が進んでねぇ!
 ちょっと気分転換にショート書きます。
 ええ、何か可愛いマユちゃんとシスコンのシンが浮かんだので。
 そしてそれを生ぬるい目で見守るレイも。

 2007.5.2 SOSOGU

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