〜裏切られた戦士〜


《もしも自分の推測が当たっていたら?》

 一度考えてハイネは頭を振り自身の考えを否定する。
 落ち着こうとして食堂に設置されたコーヒーメーカーから作り置きのホットコーヒーをカップに注ぎ入れた。
 自分が暫くアークエンジェルに滞在するとはっきりさせたその日から用意されたハイネ専用のオレンジ色のマグカップの中では漆黒に近いダークブラウンの液体が鼻腔を擽る香りを立ててぐるぐると渦巻きを作っている。
 まるで、彼の心を表現しているように。

《当たらなければ良い。当たっているはずがない。》

 そう自身に言い聞かせて彼はアークエンジェルに身を置いている。
 ふとした瞬間に閃いた考えがハイネをこの艦に縛り付けていた。
 それは今まで自分が信じていた人物の行動の全てを理論付けるがあまりにも突拍子も無い考えでもある。
 自分自身が考えた事とは言えハイネには信じ難い結論を弾き出し今も彼を惑わせていた。

《信じたいならばザフトに戻れば良い。》

 信じられるならアークエンジェルに居る必要はない。
 彼らは自分達の事を隠そうとせずハイネを笑顔で迎える。
 だから必要だと思えるアークエンジェルの情報は殆ど手に入れられた。
 唯一わからないのが彼らの今後の方針。
 自分達も何が正しいのかわからないと淋しげに笑いながら戦う彼らは何と戦っているのか。
 客観的に見られるはずのハイネにもそれがはっきりとわからずこんな部隊がザフトを苦しめていたのかと自分達の力を過大評価していたと反省する一方、迷いながらも世界の平和を願う彼らに何処か惹かれるものがあった。
 ハイネがザフトの志願した理由は搾取され、迫害を受ける祖国と同胞を守りたいと思ったからだ。
 勿論プラント理事国家に住まう全ての人が敵だとは思っていない。
 それでも何処か差別する自分がいたのだとこの艦に来てからは感じていた。
 結局人一人が守れるものなんてそんなに大きくは無い。
 自分はただ、近しい人達を守り憂いの無い生を全うしたいだけだったのだと改めて思い知らされた。

《世界を守るなんて大それた事だ。》

 そう考えながらも実行しようとしている彼らに憧れる。
 けれどザフト・・・いや、プラントにもソレを実行しようとしている人物がいた。

 ギルバート・デュランダル

 ハイネはシンやレイの様に妄信的に彼についていく気はない。
 けれど仰ぐべき指導者だと考え彼の命令に従ってきた。

《議長は確かに世界を守ろうとしている。
 世界を守る『方法』について俺も考えていなかった。
 だが・・・。》

 手にしたコーヒーは既に冷め切って水面にハイネの顔を映し出していた。
 実に情けない顔だと自分でも思う程の迷いの表情。
 震える手により揺れた水面は映したハイネの顔を歪めた。

《議長の執る手段は『正しい』のか?》



 * * *



《一人で抱えるには重過ぎる。》

 そう、彼女は思った。
 友人ならばどうしただろう。
 こんな秘密を抱える事になったら彼女はどう行動するだろうと考え頭を振った。
 考えていても答えは出ない。
 自分の手を見れば小さな紅葉の様な手が握り返してくる。
 助けを求めるようにも取れる仕草は眠っているマユの無意識の行動。
 最初に仕事の為に部屋から離れると伝えたものの寝付くまで一緒に居て欲しいと強請られ手を繋いだのだが、マユは手から伝わる体温に安心したのか早々に寝息を立て始めた。

《もうこの手を離さなくてはいけない。》

 けれど手を離すからには何か行動を起こさなくてはという思いが渦巻く。
 マユはシンの変化を感じ取り怯えていた。
 あれほど母親に会えると嬉しそうだったマユが。
 誰よりもマユを甘やかすのは兄であるシン。
 だからまたシンに甘えて母親は何処にいるかと訊ねるのだろうと思っていたのに、マユはシンを見た途端に身体を強張らせたのだ。

《やはり・・・話さなくては。でも誰に?》

 再びアビーは考える。
 シンの友人であるレイはまるでシンの問題行動を肯定するような発言や行動をしている。
 同じパイロットであり友人のルナマリアはこの問題を話すには少々精神的に幼く感じる。
 艦長であるタリアが相談相手としては適任だがアビーがタリアに面会を求めれば皆の注目を集め、アビーが胸に秘めている秘密を知られてしまう可能性が高い。
 怯えているマユを助けたい。その為にはミネルバから、戦場から離す必要がある。

《フレイもマユを降ろそうとしていた。
 彼女の意思を引き継いで代わりにミネルバに乗ったはずの私は今まで何をしていた?》

 何も出来ていないと自分の力の無さを再認識しアビーは自身の手を握るマユを見つめ直した。
 突然所属部隊が変わり環境の変化と新たに出会った仲間に馴染み、隊へ溶け込む事に精一杯でマユの事を放っておくことも多かった自分を振り返り自身が情けなくなる。

「ごめん・・・ね。本当はもっと、マユの事見てなくちゃいけなかったのに。
 戦争中だから、取りあえずは上手くいっているから、アスランや隊長達も動いてくれるからって・・・そうじゃなかったのに。
 フレイは私だから大丈夫だと言ってくれたのに。」

 涙でマユの姿が歪んで見える。
 別れ際、ミネルバを降りる時のフレイは思い残すことが多い艦を見て辛そうに口元を噛み締めていた。

「わかって・・・いたはずなのに。
 フレイはいつも戦争では誰もが自分の事で精一杯になってしまうって言ってたのに。
 だから後悔する事が多いって、そうならない為にも戦場を知る自分が動かなくっちゃって・・・。」

 イザークもディアッカも、『フレイを戦場に居させたくない』と言っていた。
 戦争を知るからこそ彼女は更に傷付くと。

《多分、私はフレイの知る本当の戦争を見ていない。》

 泥沼状態の第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦をアビーはニュースとアカデミーの授業で教えられた。
 けれどそれは情報操作を施した上での情報だとフレイからの話で知った。
 そして今、自分は戦場の最前線にいる。
 その一端が目の前にあった。

「動け・・・。」

 自身に命じるように呟きアビーはマユの小さな手を握り返す。

「考えろ・・・。」

 目を閉じるとシンに似ていない藍色の髪が一人の青年の姿が浮かんだ。

「足掻け、最後まで、後悔してでも。」

 迷いを振り切ったアビーはマユの手をそっと両手で包み毛布の中へと戻す。
 寝息を立てるマユの髪を一頻り梳き、アビーは立ち上がった。
 向かう先は隊長室。背筋がピンと伸ばされ強い決意を胸にしたアビーに先ほどまでの迷いはない。

『私は、今度こそ足掻き切ってみせる。』

 赤髪の友人がそう語ったのは何時だったか。
 そんな事はアビーにはもうどうでも良かった。



 * * *



 一人の少年が噴水のある公園のベンチにいた。
 まだ幼く親が一人で出歩かせるはずがないと周囲の大人達は少年の周りを見回した。
 けれど親らしき人物は見当たらず公園に設置された時計を見上げては足をぶらぶらと振る少年の様子に誰かを待っている様だと察し皆納得した様子で通り過ぎていく。
 そんな中、サングラスをした一人の女性が少年の座るベンチへと向かう。
 短く切った黒髪に白い肌、落ち着いたベージュのスーツを身に纏った女性を唯一華やかに彩るのは口元のルージュのみ。
 迷い無く歩み続け少年の前でピタリと立ち止まった女性は少年に声を掛けた。

「隣、失礼していい?」
「どうぞ。」

 女性の言葉に応じ少年は少し身体をずらし席を空ける。
 少年に一礼し女性は優雅に腰掛けながら問いかけた。

「母親を待っているのか?」
「いいえ、母は暫く帰ってきません。いつ帰るのかわからないから。
 だから一人でただ待ち続けるだけです。
 でも今日は別の人を、歌姫を待っています。」

 朗らかに笑いながら答える少年は自分の状況を悲観していないように見える。
 けれどそれが彼の精一杯の強がりである事は女性から視線を逸らした瞬間に浮かぶ憂いの表情から読み取れた。
 こんなに小さな子が弱さを見せまいとする理由はわからない。
 黒いサングラス越しに少年を見ながら女性は労わるように問う。

「待つのは・・・淋しくないか。」
「慣れてます。母が帰る日はわからないけど、いつもは友達もいるし。」
「そう、良い子だな。アルバート。」

 !?

 名乗った覚えは無い。しかし確かに女性は自分の名を言った。
 驚いて振り向くと苦笑しながら女性は手に持っていたバッグから小さなカードを取り出し少年に差し出した。
 差し出されたカードを受け取り少年は描かれた絵を見つめる。
 丸いフォルムとピンク色、ゴマ粒の様な目と口のように見える継ぎ目。
 ラクス・クラインのペットロボとして有名な『ハロ』の絵を確認し少年、アルバートは再び女性を見つめる。

「すまない。一応君の写真を見せてもらっては来たが待ち合わせ場所が目立つところだったしな。
 今の私はザフトに見つかると拙いんだ。
 それに君もいきなり迎えだと言われて素直についていく気にはなれないだろう。」
「それじゃ貴女が・・・・。」
「歌姫の代理人、ナタル・バジルール。ナタルと呼んでくれ。」
「初めまして、僕の名は・・・・・・。」

 言って少年は早鐘の様に鳴り続ける鼓動を落ち着けるように一息置き、ナタルと名乗る女性を見上げて答えた。

「僕の名はアルバート。
 アルバート・グラディスです。」

 少年の答えに『ナタル』は少し目を瞬かせ、一瞬の沈黙の後、そっと右手を差し出した。



 * * *



 ごごぉおおおおっ!

 風が唸る音にマユは耳を塞いだ。
 音が治まるまで小さな身体をぎゅっと縮こまらせ、耳を塞いでいた紅葉の様な手は音が聞こえなくなると同時に自分を包む温もりを掴む。

《こ わ い。》

 何が起こっているかわからなくとも音を発しているものは恐ろしいものだとマユは本能的に感じていた。
 だから助けを求めて手を伸ばして涙を流す。
 その時のマユにはそれしか出来なかった。
 自分を守ってくれる手を離さないようにするしかなかった。

《マ マ は ど こ ?》

 今掴んでいる温もりは自分の母親ではないとマユは知っていた。
 纏う香りもマユを抱き締める手も母親に似てはいたが違っている。
 とくんとくんと鳴り響く小さな音に安らぎを求めながらマユは祈る。
 誰かが教えてくれた青い羽のMSに呼びかける様に。

《マ マ 、 は や く か え っ て き て。》

 どがぁあああっ!!!

 瞬間、衝撃が走った。
 自分を包んできた温もりから音が消え真っ暗な闇にマユは閉ざされた。
 何処をぶつけたのか、それとも全てを何処かにぶつけたのか。
 体中が痛みを訴え始めマユは痛みと心細さに泣き叫ぶ。

《い た い 。 い た い よ ・・・ 。
 マ マ 、 ば ー ち ゃ 、 じ ー ち ゃ 。
 マ マ 、 マ マ 、 マ マ ぁ っ ! ! !》

 息が苦しい。何かが重く圧し掛かる。
 怖くて辛くて悲しくて。
 誰かに助けて欲しくて伸ばした手は何も掴めない。

 は や く っ !

 遠くで大好きな人の声が聞こえた。
 守ってくれる人の声が確かにマユの耳に届く。

 マ ユ っ ! ! !

 眩しい光の中、その人物は現れた。
 黒髪に赤い瞳。マユに手を差し伸べるシンの姿を見止めマユは痛む手を必死にシンへと差し出した。
 抱き締められる身体はまだ痛かったけれどやっと見つけた温もりにマユは安堵した。
 とくんとくんと脈打つ心臓の音が聞こえる。
 自分を包む香りは母親のものではなかった。先程まで自分を抱き締めてくれた人のものでもなかった。

《に ー ち ゃ。》

 マユが呼びかけるとシンは一瞬驚いた様な顔をした。
 不思議に思い首を傾げるとシンは大きな瞳に涙を溢れさせ再びマユを強く抱き締めた。
 ちょっぴり苦しかった。でも身体を震わせて抱き締めるシンを慰めたくて大きな身体に腕を回して抱き締め返すと頭に熱い何かが落ちてくる。
 泣いているのだと察しマユは一生懸命呼びかけた。

《い た い の ? マ ユ が お ま じ な い し て あ げ る 。
 い た い の い た い の と ん で け !
 だ い じ ょ う ぶ ? も う い た く な い ?》

 痛くない。何も痛くないよ。
 嬉しいんだ。マユが傍にいてくれて。生きていてくれて。
 ずっと一緒にいような。
 お兄ちゃんがマユを守るから。
 絶対、絶対守るから。

《う ん ! に ー ち ゃ だ い す き ! ! !》



 う・・・・・ん

 目が、覚めた。
 辺りを見回しても人の影は無く温もりもベッドに移った自身のものしかない。
 シンとする部屋の中、マユは自身に確認するように呟く。

「ゆ・め?」

 応える声は無い。けれどそれが間違いではないとマユは知っていた。
 とても怖くてとても寂しくて悲しくて、でもとても嬉しかった夢。
 それがただの夢でないこともわかっていた。
 最近不意に耳の奥で蘇る声を聞いてから少しずつ見るようになったソレの正体がマユには何となくわかっていた。

「また、むかしのユメだ。
 でもあの手はダァレ? マユにはママとおにーちゃんはいるけど・・・。」

 他に家族はなかったはず。

 ポテンとまた起こした身体をベッドに横たえマユは再び考える。
 ぐるぐるとする思考。答えは出なくとも考えずにはいられなかった。

「トダカのおじちゃんじゃない・・・でも、ぜったい。」

《あの手はマユを知ってる。》

 夢の中で感じたのは絶対的な安心感。
 でも、一番欲しかった手は夢の中にも無かった。

《おにーちゃんとかえってくると思ったのに。
 ママとやっと会えると思ったのに。》

 目が熱くなり湧いた涙が頬を伝う。
 いつもならアビーやシンが傍にいて涙を拭ってくれた。
 けれど此処にいるのはマユ一人。誰も手を差し伸べてはくれない。
 一生懸命に取り替えたシーツは既にくしゃくしゃになり零れ落ちた涙で濡れている。
 哀しかった。そして怖かった。
 戻ってきたシンにマユは両手を広げて抱き上げて欲しいと強請りながら迎えた。
 しかしシンの目は暗く険しい表情を隠さないままインパルスから降りると直ぐにロッカールームに向かってしまった。
 後に続いて出てくると思った母親の姿も無く、ガランとコクピットへの入り口を開けたままのインパルスは煤で汚れあちこち傷ついており異様な圧迫感を漂わせている。

《こわい。》

 今までマユはインパルスを恐れた事など無かった。
 いつも兄のシンが誇らしげに顔を出し、皆が笑顔で迎えるMSが好きだった。
 なのに・・・怖い顔で降りてきたシンを見た後、インパルスはとても不気味な存在に映ったのだ。
 思い出すだけで身体が震える。誰かに傍にいて欲しいと思うのにマユに構う者はいない。
 シンがマユを無視するように格納庫から出て行った後、マユは助けを求めるようにレイの軍服の裾を引っ張った。
 怯えているマユに気付いたのだろう労わる様にレイはマユの髪を梳いて宥めると跪いて言った。

『今、シンはとても怖いところで戦ってきたんだ。
 その名残が消えないうちはシンが望んでいなくても無意識のうちにマユを傷つけてしまうだろう。
 だから今は放っておいてやってくれ。いつものシンに戻ったら連れて行く。
 それまで待てるな。』

 優しく、けれどどこか厳しい色を含んだレイの声はいつもと同じようで違う。
 少しずつ変わり始める何かがおぼろげながらマユにも見えていた。
 ぴりぴりとした空気が取り巻くミネルバはいつもと変わらないはずなのにマユには冷たく見える。

《いつから?》

 いつからこうなったのかはマユにはわからなかった。
 はっきりとわかっているのは胸を巣食う寂しさは当分消えない事だけ。

「さみしいよ・・・。」

 トリィ トリィ

 再び身体を震わせるマユを慰める様にトリィは嘴でマユの頬を擽る。
 小さなマイクロユニットの懸命な仕草にマユは少しだけ笑顔を取り戻し言った。

「ありがとトリィ。やさしいね。
 でも何でだろ? トリィといるとママがソバにいるみたい。」

 シンに預けられてからずっと感じていた不可思議な感情は郷愁感に似ていたがマユにはそんな細やかな感情表現を言い表す事が出来ず誰にも言う事はなかった。
 一人きりの時にだけ考えるトリィに抱く特別な感情にマユは込み上げてくる涙を必死に袖で拭う。

「泣いてたらダメ。いい子にしてるってヤクソクしたんだもん。」

 暫し上を向いて涙が止まるのを待つ。
 気付くとトリィに続いてハロもマユを慰める様に寄り添っていた。
 いつもは騒がしいハロも今はマユを慮っている様で黙ってコロコロと転がっては起き上がるを繰り返している。

「ハロもありがと。
 ね、アレ出してくれる?」

 ハロゲンキ!

 応える様に叫んでハロは大きな口を開けた。
 ボディの真ん中に作られた収納スペースには優美な曲線を描く小さな香水の瓶とパステルピンクの携帯電話が入っている。
 シンが自分に預けてくれたお守りの携帯を握り締めると取り出した香水を一吹き手首に吹き掛け香水の瓶だけハロへ戻した。
 ふんわりと漂う香りに合わせる様にトリィとハロが一斉に呼びかけ始める。

 トリィ! ハロゲンキ! トリトリィ!! オマエゲンキカ!!!

「しーっ。もうちょっとだけおひるねしよう。
 こんどはきっといいユメみれるから。」

 マユの言葉に途端に静かになるトリィとハロは申し合わせたかのようにベッドのサイドテーブルへと並ぶ。
 主人を見守るような二体ににっこりと笑いかけながらマユは再びベッドに潜り込む。
 目を閉じ、手に固く感触があるのを確認すると安らかな息遣いに合わせて意識が溶けるのを感じた。

《こんどは・・・オマモリがあるから・・・・・・。》

 懐かしい香りと手の中のお守りに縋るマユの頬に一筋の涙が流れる。

《次におきたら、おにーちゃんわらっているかな?》

 けれどその涙を拭う者は居らず、誰も小さな子供の涙に気づく事はなかった。



 * * *



 ベルリン近郊の都市は突如なだれ込んできた避難民の対応に追われていた。
 それでもラスティが持ち込んだ情報をザフトが上手く周辺地域に通達しているらしく、早々にネットワークが組まれ一部の地域に集中することなく上手く分散されている分、対応は楽になっている。
 避難民受け入れを表明し早い段階で受け入れ態勢を作っていた町もいくつかあった。
 そのうちの一つは一気に人が溢れ返りかつての繁栄を思い出させる活気を取り戻している。
 町のある方向を憧憬の目で眺める老人がいた。
 屋敷と言える大きさではあるが彼が持つ資産を思えばとても小さな建物の一角。
 壁を覆う蔦が屋敷の古さと格式を感じさせる。その二階にある窓より老人はいつもより明るく感じられる町の方向を見つめ続けていた。
 肌の色から生気の乏しさと彼に残された時間が察せられる。

「旦那様、そろそろお休みになられた方がよろしいのでは。
 お薬の時間でもありますし。」

 杖を突き立ち続ける老人に蝶ネクタイを締めたこの家の執事を思われる老紳士が恭しく声を掛ける。
 だが老人はゆっくりと首を振り拒否した。

「いや、また町の方から連絡がくるだろう。
 対応出来るのが私だけならば起きていなくてはならない。」
「しかしお体への負担が。」
「これまでの調査結果から考えるにそろそろ宇宙(そら)も動き始めるはずだ。
 どちらにしろ私は長くはない。ならば今助けを求めている人々を優先したい。」

 ゆっくりと振り返り長い口髭を蓄えた老人は悲しい笑顔を浮かべていた。
 何処か諦め切った様にも思える己が主の笑顔に執事は唇を噛み締め頷く。

「あの青年は・・・ラスティと言ったかな。」
「はい。今は町の方で物資運搬を手伝っているようです。
 この作業が終わったら旦那様のご指示通りオーブへ戻るとの事でした。」
「MSも元々は宇宙や地上でのこうした作業の為に作られたものだったな。
 最後の最後で、見る機会に巡り会えたとは私は随分と幸運に恵まれたものだ。」

 この言葉で執事は理解した。
 屋敷から見えなくとも彼は、町で人々の為に動いているだろうMSと喜ぶ人々の歓喜の念を感じていたいのだ。
 間も無く訪れる終焉の時を待つまでの、主の我侭にかけられる言葉は一つだけ。

「・・・椅子をご用意致しましょう。」
「有難う。君に出会えて良かったよ。」

 返す言葉はない。
 彼は恭しく頭を下げ、ただ『その時』が出来るだけ遅い事を願った。



 * * *



 汗で湿ったアクアマリン色の髪がシーツの上で乱れ踊っている。
 苦しげに歪められた表情にキラは不安な思いでタオルを握った。
 連合のエクステンデットの少年アウルは今、キラの目の前で大量の汗を流し苦悶している。
 彼は今、ベッドに括り付けられ幾つものコードや管に繋がれていた。
 けれどもう、キラがアウルの為に出来る事は彼の汗を拭い傍についている事しかなかった。
 そしてその向かい側のベットでは顔に大きな傷跡を持つ金髪の男性が一人、眠っている。
 彼はキラ達の良く知る人物と同じ顔をしていた。
 違いがあるとすれば髪の長さと身体に残る傷跡のみ。しかし髪は時間の流れを思えば当然伸びているであろう長さだ。傷跡も彼の最後の姿を見ていた者からすればこの程度で済んでいる事自体奇跡と言えるものである。
 けれどキラは敢えて彼の方を向かない。
 一度目を覚ました彼はキラ達が知る【ムウ・ラ・フラガ】ではなく【ネオ・ノアローク】と名乗ったのだ。記憶も全く違うけれど彼の持つ雰囲気は以前と変わらない。
 別人と言い切るにはアークエンジェルの知るムウに似過ぎており、残っていたデータから遺伝子が一致し同一人物だと化学的にも証明された。
 その彼と向き合うにはキラは問題を抱え過ぎており、最も彼と向き合うべきで心情的には向き合えない人物を思うと今はまだ時間が欲しいのが本音だった。

 ハイネがハッキングして手に入れたデータを元にアウルの薬は作成された。
 アークエンジェルに常備されていた薬品で生成出来たのは幸運だったと言えるだろう。
 だが、研究データとアウルのカルテを見比べていたドクターは艦長であるマリュー、オーブの元首であるカガリ、そしてキラとハイネを呼び出し言った。 


『研究データから薬の生成は可能です。
 ですが患者へこの薬を投与するのはあまりにも危険と言わざるを得ません。
 私の独断では決められない為、判断を仰ぎたいと思います。』
『・・・危険と言いますがドクター、具体的に説明してもらえますか。』

 ドクターの言葉に戸惑いの表情を浮かべるキラ達に代わり言ったのはハイネだった。
 静かに問う声に今の言葉だけでは答えられないのは確かだとマリューとカガリは顔を合わせ頷き合うと返答を促すようにドクターに向き直る。
 するとドクターはデータをモニターに移しながら説明を始めた。

『まず理由の一つは彼が薬物中毒に準じた状態にあるという事です。
 一見そうは見えないのですが彼の身体は定期的に薬を投与しなければ薬物バランスを崩してしまいます。
 依存性のある薬である事は間違いありません。
 薬が切れれば禁断症状が起こり精神も不安定になるでしょう。
 精神バランスを取る為にも使われていた薬ですが他に必要な処置があるらしく、彼は精神バランスも崩しつつあります。
 その処置がどのようなものかわからないまま投与すれば身体だけでなく精神にも大きな影響を及ぼすでしょう。
 他にも問題は幾つかありますが・・・まず一つ言える事、この薬を投与する事により身体中に激痛が走ります。』
『何故激痛が起こるんだ?』
『先程も申し上げた通り彼の身体は定期的に薬を投与しなければ薬物バランスを崩してしまいます。
 ですが彼の体内にある薬物は本来人が持っているはずのないものなのです。
 この薬はその薬物を中和する働きを持っています。それにより薬によって保たれていた筋肉が崩壊してしまう可能性が高いのです。激痛はこれにより引き起こされます。しかし一番の問題はそこではないのです。
 私が薬の投与を躊躇う最大の理由。
 身体中の筋肉が極端に弱くなる事により心配されるのは心筋の弱体化による心停止、そして呼吸筋の弱体化による呼吸困難。それらの機能を補うには・・・気管挿管により呼吸補助は出来ますが心臓の方はアークエンジェルに載せられた医療機器では補い切れません。』

 ドクターの言葉が重々しく響く。
 医療の専門的知識は皆持ってはいない。
 けれど出来るだけ噛み砕いて説明された内容は漠然とではあるが理解できた。
 単純に手足の筋肉が弱くなるだけでは済まない。生命維持活動にまで支障が出る程に全身の筋肉の弱体化を招く薬。

『つまり・・・薬を投与してもアウルは助からない可能性が高いと、そういう事ですか?』

 声が震えたのは仕方なかったかもしれない。
 膝の上で握り締められた拳も小刻みに震え必死に抑えようとしても抑えきれない怯えが表に出る。
 それでもキラは訊かなくてはならなかった。
 自分を「母さん」と呼んでくれたアウルの為に、家族として。

『助かる可能性は低いと言わざるを得ません。確かにこの薬は彼に投与する事を前提に作られているようですが根幹を担う理論が無謀過ぎる。
 患者の意思を問うことが出来るのであれば・・・しかし彼は既に大分参っている様でまともに話を聞いてもらえるかどうか。
 今もずっと眠ったままで・・・。』
『やる。』

 !?

 突然響いた声に皆驚いて後ろを振り返る。
 そこには絶対安静でベッドで魘されていたはずのアウルが壁に寄りかかって立っていた。
 髪は汗で湿り乱れ顔色も土気色、体力も削がれている筈なのに気力で補い立つアウルに咄嗟にキラが支えに行く。
 けれど差し伸ばされたキラの手を掴み押し止めてアウルは言った。

『元々俺達ファントムペインに失敗は許されない。
 負けたら次は使い捨てられるだけ。
 なら最後が選べるなら・・・賭けてみてもいいだろ。』

 母さん

 呼ばれて拒否など出来るわけがなかった。
 力なく俯くキラから雫が零れ落ちる。

『子どもの命を賭けた願いだもの。叶えるのは当然でしょ。』

 声の震えはもう無かった。


《だけど・・・。》

 今だに迷いは残る。
 何故ならキラは・・・。

「マユの代わりか?」

 いつの間に来たのか。ハイネの言葉にキラは答えない。
 けれどハイネは腕を組んだままベッド前に立ち問う。

「母親としてマユに出来なかった事をコイツにしてもそれは自己満足に過ぎないぞ。」
「そんな事、わかってるよ。」

 今更言われなくともキラは十分に自覚していた。
 アウルに母さんと呼ばれても最初は戸惑いを覚えるだけだった。
 けれどマユの面影が重なり嬉しく思う自分がいると気付いたのは直ぐの事。
 いつかマユと会わなければならない。否、マユを取り戻すべきなのだ。
 シンを信じて預けたものの、今シンは大きな力に取り込まれマユは危険に晒されている。
 どんなにシンが守ろうとした結果であろうともキラに今の状況を享受することなど出来るわけがない。

「アウルはアウル、マユはマユ。
 どんなに誤魔化そうとしても僕はやっぱりマユの母親にしかなれない。
 こんな弱い僕がアウルまで抱え込む事は出来ないんだよ。
 逆に、彼を傷つける。」

《マユ一人さえ守りきれないのに。》

 最後の言葉は飲み込みキラは手にしたタオルでアウルの額に浮かんだ汗を拭う。
 それ以上言うつもりはないのかハイネは一息吐いて出て行こうとする。
 と同時にメディカルルームのドアが開いた。
 優しげな笑みと柔らかな栗色の髪が真っ先に目に入る。
 アークエンジェルの艦長マリューがコーヒーカップの載ったトレーを掲げウィンクした。

「コーヒーでも飲んで少し休んだら交代しましょう。
 マードックさんが怒ってるわよ。二人とも機体の整備に来いって。」
「俺も?」
「そうよ。乗った以上あのムラサメの整備は貴方の役目だって。
 ずっと此処に篭ってても仕方ないでしょう?
 コーヒー飲んで、ニュースでも見て世の中の動きを見つつ動かないと。
 彼の治療も出来たら落ち着いたところでやった方が良いし、寄航できるところを探しましょう。」

《やはり彼女は艦長だな。
 此処に来るのは辛いだろうに。》

 記憶を失った恋人

 ハイネからすれば正体不明の敵軍の将校でしかないが彼らにとってはかつての仲間だ。
 例え相手が記憶を持っていなくともアークエンジェルの面々からすればそれは変わる事のない事実。
 今はカーテンの向こうで眠っているとはいえ、この部屋に足を踏み入れる時に誰もが戸惑いの表情を浮かべ一度はドアの前で立ち止まる。より親しい関係だった者の心中は更に複雑なのだろう。
 その筆頭が恋人だったマリュー。
 それでも辛い現実でも向き合わなくてはいけないのだと彼女はわかっており、尚且つキラを気遣うだけの懐の広さを持っている。

《苦労しているだろうグラディス艦長に是非会わせたい人物ではあるな。》

 苦笑して頷き、ハイネはマリューからトレーを受け取り傍にあるモニターのスイッチを入れた。



 * * *



 帰艦命令に従わずベルリンから単独で飛び立ったインパルスは数時間後にミネルバに戻ってきた。
 最終的には戻ってきたという点にはタリアも安堵したが、それで済ます訳にはいかない。
 ハイネがいなくなりアスランだけがタリアと対等に話せるのだが、フェイスの称号を授けられたもののアスランはアークエンジェルの存在に心を揺るがされ、タリアはタリアでフェイスに任じられるだけの何かを成し遂げたつもりが無い為に『フェイス同士の話し合い』に意義を見出せずにいた。

「本当なら・・・フェイスが一つの艦に何人もいるはずがないのだから、自分で判断しなくてはいけないのでしょう。」

 軽い溜息と共に呟くタリアに応える者はいない。
 副官であるアーサーは現在救助活動の応援の為に引っ張りダコ。
 ただでさえ満身創痍と言えるミネルバが連合の進攻を阻止する為に呼び出されたのだ。艦内だけでも大変だと言うのに艦外の事にも人員を割かれて上官として人員の割り振りを一任されている彼に助言を求める事等出来なかった。

「でも、貴方に相談しなくてはいけないのよね。アスラン。」
「私も艦長に頼りたいですね。シンの事を・・・マユの事を含めて。」

 視線を上げれば敬礼したままのアスランが立っている。
 漸くタリアがこちらを見たと確認するとアスランは手を下ろし苦笑して答えた。

「いつまでもあの子を乗せておくわけにはいけないと言う事でしょう?
 尤も、上層部は聞く耳を持たないでしょうけれど。」
「・・・先程アビーに呼び止められまして、彼女から色々話を聞きました。」
「アビーが?」

 言われてタリアは伏目がちな大人しそうなアビーの顔を思い出す。
 前任者のフレイの印象が強烈だった為についつい忘れがちだが彼女がマユの為にミネルバに配属された事を思い出し「マユの世話役は彼女だったわね。」と確認するように呟き再びアスランに向き直る。

「そのアビーが一体何の用だったのかしら。」
「シンとマユの、二人の後見人だった人物について施設から連絡を受けていたそうです。」
「後見人・・・だった? 過去形なのね。オーブの軍人と聞いているけれど。」
「はい、まだ確認は済んでいませんが・・・彼は黒海で沈んだタケミカズチに乗っていたようです。」

 !

 タケミカズチの名にタリアは目を見張る。
 あの戦いはまだつい最近の事。更に多大な犠牲を払ったオーブに同情の声すら上がり無理を強いた連合軍はこれ以上オーブへ無理な派遣を要請する事が困難な程にオーブ軍は疲弊していた。
 殉職した軍人が連合軍よりも多かったのが最大の理由だろう。
 けれどタリアはあの戦いは本来あれ程の犠牲者が出るはずの無いものだったと考えている。
 オーブ軍にはおかしな動きが多過ぎたのだ。
 全ては推測に過ぎないが彼らは死にに来た様に思えるあの戦いにタリアは思いを馳せる。

《いえ・・・タケミカズチについては確か、実質的な司令官だった艦長が総員退避命令を出し、MS隊を除いた兵の多くはオーブに生還したとの情報がきているわ。》

 けれど心の何処かでアスランがタリアに態々話をする理由が最悪の事態を物語っているとわかっていた。
 そしてそんなタリアの推測を肯定する様にアスランも苦しそうに答える。

「アビーから話を聞いて直ぐに調査を依頼しました。
 報告は大分先になるでしょうが十中八九、二人の後見人だったトダカ氏はタケミカズチの艦長として乗っていたとみて間違いないでしょう。
 そして、それはつまり・・・・・・。」

 ふぅっ

 重苦しい空気を少しでも振り払いたくて息を吐き、タリアはアスランの言葉を繋げるように続ける。

「シンが最後に斬ったあの艦のブリッジにいた人物、という事ね。
 インパルスの戦闘データに気になる映像があったわ。
 ブリッジに誰かが残っているらしく人影と思しきものが映っていた・・・知らなかったとは言え酷な話よ。
 あの様子じゃシンは知らないんでしょ。」
「はい。アビーも確定情報でない上に彼女の権限で確認を行う事も出来ず、話せなかったそうです。
 その前にも施設からは確認を含めた連絡が来ていたそうですが、シンは全く見ていないようでその件も含めてアビーが施設の担当者と話をしたとの事です。」
「以前にあった連絡と言うのは?」
「まず後見人の件ですがオーブとの国交途絶を切欠にマユの保護者を完全にシンに登録し直したそうです。
 プラントの法律では一応成人している事になっていますしその点に関しては問題は無いかと。」
「それはそうね。でもそれだけじゃないんでしょう?」
「ええ、オーブの・・・戦後の保障制度について。」
「保障制度?」
「大戦後、オーブ国籍のコーディネイターの多くはプラントへ帰化したという話はご存知でしょう?」
「勿論、戦争で減った人口が地球から入ってきたコーディネイターで一時増加したとニュースでも聞いたわ。」
「それに辺りオーブは戦後、緊急で保障制度を布き技術流出を少しでも阻もうとしたのです。
 結果は芳しくありませんでしたが・・・。」
「・・・シンもその保障制度の適用者だった。」
「正確に言うならば保障と言っても雀の涙程。オーブへの被害は多大なものでしたから本国の復旧こそが急務と判断されていました。
 去り行く人々にあまり資金を割けない現実がありましたから。
 その詳しい内容については私も知らなかったのですが・・・制度が適用には条件があります。
 プラントへの帰化する未成年への保障は2ヶ月の最低限の生活費のみ、ザフト入隊希望者は適用対象外とする。」

 がたっ

 アスランの言葉にタリアは思わず椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
 たった今語られた話と自分の知る事実との相違に一瞬言葉を失い、少し間をおいてアスランに問いかけた。

「ちょっと待って。確かマユをミネルバに正式に乗せる時に私は施設から報告されているわ。
 今現在もオーブから最低限の生活費が『二人分』振り込まれていると。
 それじゃシンとマユは一体誰から生活費を貰っていたと言うの!?」
「トダカ一佐以外いないでしょう。普通で考えるならば。」

 ゆっくりとしかしはっきりと言い切るアスランは淡々とした表情のまま。
 何を考えているのかわからないアスランにタリアは焦れ、険しい表情を隠そうともせず目を細めて更に問い詰める。

「もって回った言い方は止めて頂戴。貴方の結論は?」
「トダカ一佐は隠れ蓑、その背後に二人の生活費を提供する者がいたと思われます。」
「確信も無いのに私にそんな話を持ってくるわけないわよね。」
「私自身は99.9%の自信を持っています。」
「残りの0.1%は?」
「現在裏付けとなる証拠を待っている状態です。
 時間的に見て、今度届く本国からの補給物資の中にあるかも知れません。」
「その証拠があって初めて100%と言い切れる・・・問題の人物を貴方は知っていて二人に送金する理由もわかっている。と言う事でいいのかしら。」
「はい。二人のプライベートである以上にシンの名誉にも関わる事ですので証拠を待って改めて報告させて頂きますが・・・上層部が何を言おうともマユをミネルバから降ろす準備を整えた方が良いかと。」
「上層部を説き伏せられるのかしら?」
「証拠を握り潰してまでマユを乗せる理由は薄いと私は考えています。
 最近のシンの暴走は目に余る。にも関わらず優遇されるシンを見てミネルバの中では一部の者が不満を抱き始めています。
 お伺いしますが艦長として現状をどの様にお思いですか?」
「・・・芳しくはないわね。特にシンを中心に悪い雰囲気が渦巻いているわ。
 本来ならば彼の暴走を抑えて調和を保つのが私の仕事なのだけれど・・・。」
「上層部によるシンに対する特別扱いがそれを阻んでいるのは私は勿論、副長もご存知の話。
 復興支援中はミネルバも動けませんしコレだけ派手な戦いがあった後です。
 暫くは連合が大きく動く事はないでしょう。
 今がチャンスだと私は考えます。」
「では・・・急いだ方が良いわね。けれどミネルバ内にそれが知られるのは拙いわ。
 私はあまり大きく動けないから根回しの方を・・・。」

 ぴぴーっ ぴぴーっ

 タリアの声を遮る様にブリッジから通信が入った。
 発信者はメイリン・ホーク。無言でアスランが頷くのを見てタリアがパネルを打つとモニターにメイリンの姿が映し出される。

『お話中失礼致します。軍本部より通達です。』
「何かしら?」
『全部隊、国際救難チャンネルに合わせたモニター前に隊員を集めるようにとの事です。
 隊務は一時中断。15分後に議長より全世界へのメッセージが送られます。』
「15分後とは随分急な話だな。」
「本部は何と言って来ているの?」
『放送に関する事前の問い合わせは一切受け付けないとも連絡を受けています。
 私にも・・・何が何だか。』

 一番に通達文を見たメイリンが一番困惑しているのだろう。
 不安げな表情を隠し切れていない。
 だがこれ以上彼女に問いかけても答えは出ない。
 仕方ないとタリアは深く息を吐き了承の意を示すと通信を切った。
 だが・・・ブラックアウトした画面から不吉なものを感じる。
 第六感に頼るには科学の進歩した現代においてどうかと思うがここは戦場である。
 直感が結果的に最良の選択を導き出される事の多い場所でタリアは胸に巣食う重い何かに心が揺らぐのを感じた。

「何かしらね・・・。このタイミングであの人が一体何の発表をしようと言うのかしら。」
「確かに、今は世界が揺れる事件が一応の終わりを見せその調査が始まっています。
 その背後関係を洗い出し国際的な場で糾弾するのは議長の役目でしょうが、タイミング的に早過ぎます。」

 アスランの言う背後関係が何なのかわからないタリアではない。
 以前、ギルバートが語ったロゴスの存在。強引な理由で行われた今回の侵攻にロゴスが絡んできているのはまず間違いないだろう。
 もしやギルバートは彼らが今回の件に絡んでいる証拠を既に押さえたのだろうか?
 だとしてもそれは国連へと調査報告を提出するはず。
 確かにタイムラグは出来てしまうがプラント一国による非公式な発表では世界に混乱を齎すのみ、そんな愚行をギルバートが犯すだろうか。

「嫌な予感がするわね。」

 呟くタリアにアスランは無言で頷き、まだ黒いモニターへ目を向け、その時を待った。



 * * *



 だん!

 苛立つ自身を鎮める為か、隊長室で問題の放送を見たイザークはただ拳を握り机に叩き付ける。
 目の前のモニターの中でギルバートと偽のラクスがロゴスとの全面対決を宣言していた。
 繰り返される言葉はロゴスこそが悪だと、彼らを許してはならないと全ては彼らのせいなのだと責任を擦り付けるものだった。
 確かにロゴスは忌むべき存在だろうが彼らは切っ掛けでしかない。
 最初から人々の中にあったコーディネイターに対する不満や憎悪を増幅させたのがロゴスなのだ。
 だがそれは彼らだけの罪だろうか? 彼らがいなくとも遅かれ早かれナチュラルとコーディネイターの対立は起こり戦争へと発展して行っただろう。
 煽っている人間だけが全ての原因だというのならば人間の歴史に戦争というものはなかったはずだ。
 単なる責任転嫁だとどれだけの人間が気付けるだろう。気付いても流される者が多いとイザークにはわかっていた。
 誰かのせいだと全ての責任を押し付ける事で自分は正しいのだ優しい人間なのだと正当化して逃げる事はとても簡単で甘美な誘惑なのだから。
 傍にいるディアッカもそれがわかっている。だからこそイザークの思う通りにさせた方が良いと判断し声をかける事もしない。

「そういう事か・・・。」
「だからラクス・クラインが必要だったってわけか。事態を甘く見ていた俺達の手落ちだ。」

 皮肉交じりに言うディアッカだがイザークは彼以上に自身への苛立ちが高まり再び机に拳を叩き付けた。
 確かに自分達の手落ちに違いなかった。
 何故ギルバートがラクスの偽者を立てたのか。その最大の理由を彼らは今知った。


 元々、ラクス・クラインとはプラントを中心に活動していたアイドル歌手でしかなかった。
 だが彼女のその後の活動により痛み分けながらも戦争は終結へと導かれたと言って良いだろう。
 誰にも止められない感情と感情のぶつかり合いは持ち出してはならない武器を持たせ悲劇を生んだ。
 そんな中、理性を失わず平和の為に呼びかけ続けたラクスは四大英雄の一人に数えられ祭り上げられていった。

 現人神

 人々のラクスに対する認識は既に人間に対するものではなかった。
 彼女は自分達と同じ人間だと認識をしているはずなのに何処かで彼らは彼女を神格化していたのだ。
 「ラクス・クラインの言う事に間違いはない」と。
 だからこそラクスは姿を隠した。人々の記憶が薄れ本来の『ラクス・クライン』へと戻れる日が来るのを待つ為に。
 彼女自身が疲れ切っていた事もあるだろう。万が一にも自分が間違ってはならないと言う強迫観念が彼女の中に生まれていた様にも思える点を考慮すると彼女が引き篭もったのはある意味では正しいといえるかもしれない。
 それを悪用された結果を見れば愚かな判断だったかもしれないが。

「ラクス・クラインが何故議長の傍にいなくてはならなかったのか。その理由がこれだったんだな。」
「女神様が傍にいて、しかも理性的で誠実な対応をする指導者。
 人々の心理は好意的に動き易くなる。その為に彼女に地球での慰問ライブをさせてたんだな。」
「ラクス・クラインが議長を支持していると地球に住まう人々に印象付ける為、そして彼女に付きまとう『神意』のイメージをそのままギルバート・デュランダルにスライド、定着させる。」
「この放送でロゴスは完全なる悪、議長は完全なる正義と世界に印象付ける。」
「そうすればわかり易い勧善懲悪の形式が整い人々は『作られた正義の味方』へと心を寄せて一気にロゴスに牙を剥く。
 確かに国の指導者としては心強い。敵にはまわしたくねーな。
 でもどうするイザーク。下手に動けば逆に本物が危なくならない?」

 ディアッカの指摘は尤もだった。
 これでは動きが取れない。何よりも今、イザーク達はギルバートの傘下にあるのだ。
 にも関わらず翻意があると思われる行動は慎まねばいざという時に何も出来なくなるだろう。
 歯痒い思いを抱えながらイザークは歯軋りし隊長としての答えを出した。

「とにかく情報を集めろ。議長が本当にロゴス狩りを達成しただけで終わるとは思えない。」
「リョーカイ。」

 情報を集めるしか出来ない現実が二人には辛かった。



 * * *



 ギルバートとミーアによる突然のロゴス狩り宣言にアークエンジェルも騒然としていた。
 メディカルルームにいるキラ達にはわからないがブリッジにいるカガリ達も今頃騒いでいるだろうと直ぐに推測できた。
 マリューはコーヒーカップを取り落としキラも肩を震わせ繰り返される放送に見入っている。
 そんな中、ハイネだけが冷めた目でモニターに映るギルバートを数秒間睨みつけると直ぐにマリューに向き直った。

「艦長、直ぐにアークエンジェルを安全な場所へと移動させるぞ!」
「なっ!? いきなり何なの!!?」
「安全な場所って・・・この辺は紛争地域じゃないし連合もザフトも駐留しない中立区域だよ?
 そんな危険は。」

 戸惑いながらも反論する二人にハイネは軽く舌打ちする。
 ハイネからすれば二人は議長の狙いの半分も理解していない。
 だが彼にはわかっていた。

「危険なんだよ。
 恐らく議長はロゴスとの対決より先に目的に邪魔なアークエンジェルを落としに来る。
 急げ!!!」


 続く


 場面転換多くて苦労しました・・・。
 きちんと誤字脱字チェックしてないので後でちょこっと変更するかもです。

 2007.10.29 SOSOGU

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