〜アスラン脱走 前編〜 《俺は何をしているんだ。》 議長との会談から戻ったアスランは自問自答した。 呼び出されて行った先にはシンもいた。 格納庫での事もありアスランを見て複雑そうに顔を歪めたものの直ぐにそっぽを向いて案内の兵について歩き出した。 その先ではギルバートとミーアが待っていた。 《これから何を成すべきなんだ。》 思い出すのは自分達の新しい機体だと言って見せられたMSの威容。 デスティニーはシンに、レジェンドはアスランに。 新たに与えられた力にシンは驚きと喜びに目を瞠っていたがアスランの中に生まれたのはギルバートへの疑惑だった。 暗いドックの中、光に照らし出されたソレは以前の彼が渇望していた力に違いなかった。 けれど、自分にと指し示された機体を前に暗澹たる思いばかりが彼の胸に広がった。 アークエンジェルとフリーダムの攻撃命令について疑問を投げかけた時、答えたギルバートの言葉が口の中で苦味を増す。 「ならば何故、彼らは想いを同じくする私達の元へ来なかった?」 アスランの問いに対しギルバートもまた問い返した。 確かに『何も知らないプラント側の人間』からすればキラ達の行動は滅茶苦茶にしか見えないだろう。 けれどアスランはミリアリア達との話で『知って』いた。 《議長を信じられなかったから。ラクス暗殺事件の犯人が分からない以上、安易に彼女を危険に晒せなかったからだ。》 けれどアスランはその言葉を呑み込んだ。 何故か言ってはならないと感じ、喉元まで出掛かった言葉は胸に仕舞い込むとギルバートは追求する言葉を投げかけてきた。 「私の声は届いていたはず。グラディス艦長の投降の呼びかけさえ、彼らは無視した。 何故だい?」 《キラ達は自分達が最後の砦だと思っていたはず。 道を間違えない為にも安易に陣営を定める事は出来なかった。》 世界の勢力図が大きく動き、一時はプラントを非難していた人々は一転して連合を糾弾し始めた。 そしてギルバートが流した放送で敵はロゴスだと世界中が叫び始めた。 確かにロゴスは、死の商人は人々の憎しみを煽り戦争を拡大させてきた。 けれど本当に彼らがいたから戦争は起こったのだろうか? その疑問に対しアスランは既に答えを出していた。 コーディネイターが現れた時から生まれた軋轢は少しずつ大きな音を立ててナチュラルとの間に亀裂を生じさせた。 高い能力を持つ者への嫉妬が生まれ、能力差から生まれた経済格差が不公平感を広げていった。 ブルーコスモスは過激ではあるが遺伝子改編に対する抵抗感は人々に芽生えていたのだ。 種族の違いを乗り越えようとして思考と現実のギャップに苦しんだ者もいる。 それらの真実に目を向けようとしない世界でアークエンジェルが世界に最も良い陣営を見出せるわけが無い。 昔と違い考える事は多くなった。 苦悩するアスランを見てシンはアスランが理解できないと言いたげな表情を浮かべる。 そこへギルバートは更に言った。 「ラクスだって共に戦おうとしてくれているのに。」 「議長!?」 その瞬間、アスランは目の前にいるギルバートの意図を感じた。 彼はミーアこそが本物だと世界を欺き通し茶番を続けるつもりなのだと。 本物のラクスはミーアと違う。確固たる意志を持つ彼女はギルバートの言葉に簡単に流されたりはしない。 「君の憤りはわかる。全てが願った通りには動かない。 だが―――」 《そう、願った通りに動くわけが無い。自分と違う考えを持つ者は世界中にいる。 皆それぞれに持つ願いが全て叶うわけがない。》 「それが今のこの世界だと言う事だ。」 《矛盾を内包する混沌とした世界。 そこが俺達の生きる場所。》 「もし自身の力を理解しそれを正しく使う事が出来れば、世界はもっと優しいものになっていただろう。」 《議長は何を考えているんだ?》 「それを考えると彼女、キラ・ヤマトも不幸だったと気の毒に思うよ。」 《・・・不幸? 気の毒? キラが?》 「あれだけの力と資質、彼女は本来「戦士」なのだ。 なのに誰一人、彼女自身もそれを知らずに生きてきた為に時代に翻弄されてしまった。 もしあの力を正しく使う事が出来れば、どれほどの事が出来たことか。」 《正しい力の使い方? 誰が決めるんだ。 キラが幸福かそうでないかは彼女自身が決めることであり他人に決めつけられるものではない。 それは彼女の人生は彼女自身のものだからだ。 なのに議長は自分の価値観こそが正しいとキラの生き方を全て否定する。》 全く同じ物事に対し、価値を見出せる者もいれば価値はないと判断する者もいる。 ブルーコスモスによるテロ行為もコーディネイターからすれば非道以外の何物でもない。 だが彼らにとっては譲れない想いから生まれた殺意なのだ。 行為そのものを許容は出来ないが、彼らの思想の全てを否定して良いかと問われればアスランは「違う」と答えるだろう。 もし否定すればアスランがザフトに志願した時の気持ちを否定する事と同意義に当たる。 同胞を守りたい。搾取されない生活を手にしたい。 その為には自分達を支配しようとする連合と闘わなくてはならなかったからアスランは戦う力を求めた。 力を奮えば当然相手は傷つき、時には死ぬ事もある。よってザフトの兵士もブルーコスモスから見れば軍隊と言う名義を持っただけの正義とは言えない存在なのだ。 結局は堂々巡りである。この不毛な循環から抜け出そうと皆足掻き、傷つきながら道を探している。 簡単で楽な道でないだろう。そんなものは一生、もしかしたら永遠に見つけられないかもしれない。 だが見つけられなければその時間は全て無駄なのだろうか? 少しずつ周囲に働きかける事で生まれる波がある。アスランはそこに人類の未来がかかっていると考えていた。 キラも道を探して足掻く人生を選んだ。 けれども結果を優先するギルバートは彼女の人生を無駄だと切り捨てたのだ。 《ならばどうすれば認める。》 「もし彼女が自分を知っていたら、『君達』のようにその力と役割を知り、力を称えられ幸福になれただろうに。」 「幸せ、でありますか?」 きょとんとした顔で繰り返すシンは無垢そのもの。 とても兵士には見えない、幼さを感じさせる少年にギルバートは諭す様に頷き答えた。 「自分を知り、人々の為に役割を精一杯果たし、満ち足りて生きることは幸せだろう。」 《そこに、感情はあるのか?》 「この戦争が終わったらそんな世界を作りたいと私は願っているのだよ。」 戸惑いながらも微笑み頷くシン。それは了承の証。 シンは今、ギルバートの考えに賛同し協力する意思を示したのだ。 その瞬間、アスランは悟った。 《そうか・・・議長が望む世界にいるのは「人間」ではない。 人が適性ごとに役割を振られ機能する世界。それでは人は、まるで生きる為だけに動いている人形だ。》 背筋が凍りつき、金臭い匂いが口いっぱいに広がる。 傍でハロと戯れるミーアが目障りだと思った。 彼女はギルバートの描く未来の象徴。 目には見えない糸がミーアの手足に絡み付いているような気がしてアスランは彼女から目を逸らした。 《何て哀れなマリオネット。》 一通りのやり取りを振り返りアスランはまた考え始める。 今から自分はどう動くべきか、自分がいる陣営の中で一番効果的な方法は何か。 けれど答えは暗闇の向こう。考えても見えてこない光を渇望する今の自分は昔と変わらなかった。 《俺は変わってない。変わろうとして何も変わってなかったんだ。情けない。 どうする・・・どうしたらいい。議長の目的を遂げさせれば人は死ぬ。 物理的でなく、精神的に・・・。》 この二年の間にアスランも悟っていた。 戦争を無くしたい、争いなどしたくない。 けれど人間である以上、人と人の衝突は避けられないのだと知った。 心を持つから人は生きている。否定されれば怒り悲しみ、認められれば喜び笑う。 全く同じ人間などこの世界には存在しない。遺伝子が同じとされる一卵性双生児も環境が同じでも性格が違うのだ。 そこに『個人』が存在する。 持つ夢も違う。選ぶ伴侶も。辿る未来も。 今戦争を終わらせても人はまた繰り返すのかもしれない。 けれど痛みを伝え、最悪のシナリオを避ける方法を探す事は出来る。 確かにギルバートの描く未来構想は戦争を無くすという点において最も効果的と言えるだろう。 だが、戦争を無くす代わりに人はプライドを無くす。生きた機械と成り果てるのだ。 《そんな世界など認められない。》 ではまず何を成すべきか。 ピンポーン ミネルバとは違う基地のインターフォンの呼び鈴にアスランは思考を中断させられた。 * * * カタカタとキーボードを打つ音がコクピット内で反響する。 流石に今までの戦闘データを元にしているだけあってシンの主な作業は数値の確認と微調整のみ。 ZGMF‐X42S デスティニー 未だ起動させていない為、シンは自らが乗ることになった機体の本当の色を知らない。 この先どんな強敵が現れるとしてもその向こうにいる相手がロゴスである以上、負ける訳にはいかなかった。 《強くならなきゃ。もっと、強く。》 最新鋭機体デスティニーの整備を任され喜ぶヨウランとヴィーノが時々データ確認作業の進み具体を聞きに来る。 彼らはどうしても今日中に起動テストをやりたいらしくうずうずしているのだ。 迷いのない彼らが羨ましいと思うが、気楽そうな声を聞く旅に煩わしさも感じる。 複雑な想いを抱いたまま、シンはモニターに表示される数値を目で追う。 流れる文字と数字を眺めながらシンは部屋でのレイとの会話を思い出していた。 ギルバートとの会談を終え、緊張から解放されたシンは部屋のベッドにうつ伏せになって寝ていた。 いつもなら例え相手が議長であったとしても気がかりな人物と会うまでシンのエネルギーが切れる事はない。 それを知っているレイは自動販売機で買ってきたコーヒー二つのうち一つをサイドテーブルに置き、もう一つを右手に持ちかえ一口飲んでシンに語りかけてきた。 「まだ、マユは会ってくれないのか。」 『まだ』とレイが評するのは無理もなかった。 いつもなら戦闘が終わって直ぐにシンに会いたがるマユの様子が変わり始めたのはデストロイとの死闘の後。 その時はシンの精神状態もあり、子供心に恐ろしかったのだろうと理解していたが決定的におかしいとわかったのはフリーダムを倒した後からだった。 部屋に閉じ籠り、シンとの面会を拒み仕事にも出て来ない。 アビーもあまりマユに近寄れないらしいと聞きレイとて思うところがない訳がないわけがないだろう。 サイドテーブルから香るコーヒーの香りに親友の気遣いを感じ、シンは起き上がりコーヒーを手に取り一口啜ると複雑そうな笑みを浮かべ答えた。 「うん・・・もう少し時間を置いた方がいいみたいで。」 「お前はこのところずっと目を吊り上げていたからな。 大好きな兄でもやはり怖かったんだろう。大丈夫、気にする事はない。 少し時間をおけば前の様にこの部屋に来たがるだろう。」 「う・・・ん・・・。」 普段なら言葉少なな親友がいつも以上に言葉を重ねてフォローしてくれるのが有難い。 けれどシンの脳裏にインターフォンから漏れ聞いたマユの言葉が蘇った。 『おにーちゃんなんかダイッキライ。』 ぶるぶる! 頭の中から振り払う様に首を振るとレイが不審げな目を向けてくる。 「どうした?」 「何も! ・・・何でも、ない。何も無いんだ。」 「・・・そうか。」 本当に何もない訳がないと分かっていただろうがレイはそれ以上聞いてこようとはしなかった。 ふと視線を上げると既にコーヒーを飲み終えたレイが袖の折り返しを確認し襟を正している。 普段はそれほど細かく身嗜みに気を遣わない親友の珍しい姿を見てシンは不思議そうに問う。 「レイ、何処か出かけるのか?」 「少しギルとな。ずっと会っていなかったこともあってティータイムを一緒にと。」 「よく時間が取れたな。議長も忙しいだろうに。」 「普段頑張っているのだから少しくらい家族とのコミュニケーションの時間をとっても誰も責めはしないさ。」 苦笑するレイはどこか嬉しそうだった。 『家族』という言葉に照れ臭さを感じながらも喜びを隠せない。 そんなレイの姿にシンは胸を叩いて答えた。 「文句言える奴なんかいないって。もしもそんな奴がいたら俺がぶっとばしてやる。」 「あまり荒事に関わろうとするなよ。 お前はもう、俺達にとって誰にも代えられない大事な人間なんだからな。」 「ダイジョーブ。こう見えて俺、格闘戦得意だし☆」 「いや、そういうことじゃなくてな。」 「うん、わかってる。マユの為にも、もう無茶はしないさ。」 答えたシンにレイは無言で見つめ返す。 多分、営倉に入れられた時のアスランとの会話を思い出したのだろう。 レイが何かを言いかけ、けれど言葉が見つからず言いあぐねている様子にシンは笑顔で応える。 「『あの人』に言われたからじゃない。『俺自身』が、そう望んでるんだ。」 《マユを守る事を。》 「仮に・・・。」 言いかけ言葉を止めるシンにレイが言葉を促す様に呼びかける。 「シン?」 「・・・なんでもない! それより時間、大丈夫なのか?」 言われてレイは時計を見る。 時間を忘れていたらしく少し目を見張る様子からして不味いのだろう。 レイは少し身体をそわそわさせながらドアへ向かいながらシンに答えた。 「ああ、急げば大丈夫だ。それじゃあシン、俺は夕食も戻らない予定だから食事はルナマリア達と食べてくれ。」 「それじゃ俺はデスティニーの調整に行ってるよ。議長が期待してくれてるんだから調整は念入りにしておかないと。」 「根を詰め過ぎるなよ。」 それじゃあと最後に言い残してレイはドアの向こうへと消えて行った。 閉まったドアを見つめシンは再び考える。 《アスランが言ったあの言葉を忘れたわけじゃない。 キラ・ヤマトがマユの母親とかそんなの、本当かはわからない。 今確かなのは一つだけ。》 ぐしゃりと飲み干したコーヒーのカップを握り潰しゴミ箱に投げ捨てる。 《彼女と約束した事。》 カタンと音を立てて入ったカップに見向きもせずにシンは上着を取って羽織る。 鏡の前でベルトを締め、襟を正すと自分もまたドアへと向かった。 シュンと空気が動く音と共にドアが開く。 一歩踏み出しながらシンは再度自分に言い聞かせた。 《俺はマユの兄として生き、マユを守っていくんだ。》 ピーッ! データ確認作業終了の電子音が鳴り響く。 思考の海から浮かび上がりシンはモニターを見つめた。 その音を聞きつけたヴィーノが「早速起動テストを!」と叫ぶのを聞きつけたヨウランがバタバタと走り回っている。 確かに終了の音は鳴ったが考え事をしてうっかり流してしまった部分がある事を考えるとこのままテストをする訳にはいかないとシンは慌てて二人を止めにコクピットから飛び出した。 * * * 「だからこのままじゃマズイの! ヤバイの!!」 突然の訪問者はミーアだった。ドアを開け部屋に入るなり彼女は早口で説明を始めた。 自分が議長を訪ねた時に先客がおり、それがレイだった事。 そしてミーアは二人が自分に気付かずに話した話の内容を全て話し切り、アスランに早く宛がわれた機体の調整に行くなり議長に身の証を立てるなりする様にと叫ぶ。 しかし、アスランの身を案じ叫ぶミーアには悪いがアスランはアスランでそれどころではなかった。 《考えろ・・・もう一度情報を整理だ。 ミーアが聞いた議長とレイの話を総合すると・・・。》 アスランは既に戦士として使えない。 戦争について考え過ぎる上にアークエンジェルとキラに対する思いが予想より強く深かった。 マユの事で何か気づいたものの牽制になるどころかシンに対して悪影響を及ぼしかねない。 実際にシンにキラの事を暴露してしまった。マユの様子もおかしい。 現在様子を見ながらフォローしているがこれ以上二人の傍にアスランは置けない。 海でアスランと話し合ったメンバーの内の一人、フレイが本物のラクスと共に消えた事も気になる。 こちらの情報が筒抜けになる可能性も有り得る。 『やはりアスランは駄目かね。 仕方がないな・・・罪状は、ある。 以前ディオキアのカフェで彼とアークエンジェルのクルーが会っていた写真が・・・ね。 後は任せてもいいか?』 ミーアから聞いた議長の言葉にやはりとアスランは自嘲する。 その写真とは恐らくハイネが自分の監視をしていた時に撮ったものだろう。 彼は艦長への報告義務があるからマユの事を除いて一通りの報告と写真の提出をしたと言っていたから、他にもイザークとフレイが写っているものが沢山あるはずだ。 けれどギルバートはアスランとミリアリアが写っているものだけを抜き出して適当な罪状をでっち上げると言っているのだ。そしてレイはそれに頷いた。 ギルバートの真意に気づくのが遅過ぎたと言わざるを得ない。 彼が私欲で動いているのであればもっと早い段階で全てを悟り動く事が出来ただろう。 けれど厄介な事にギルバートは私欲で動いているわけではなかった。 《理想の為に動くその姿に憧れた。 だが、彼の理想は世界の全てを殺す。》 怒りと悲しみの多い世界の中にも喜びや幸せがあった。 誰もが争いを無くし幸せだけの世界で暮らしたいと願っている。 《争いと同時に感情を無くした世界が幸せだと、俺には思えないんだ。 マユを・・・彼の作る世界へ送りたくはない!!!》 「アスラン聞いてるの!? アスランってばっ!! 早くそんな事ありません。大丈夫ですってアピールしなきゃ。 このままじゃ議長、貴方を――」 コンコン 少しだけ遠慮するようなノックが鳴った。インターフォンを使わずに態々ドアを叩く事に驚いてドアに注視するとノックした相手が名乗る。 「アスラン・ザラ、保安部の者です。ちょっとお聞きしたい事があるのですが。」 保安部という名称にアスランは瞠目する。 「早速手を回して来たか。」 言われるままにドアを開けて彼らについて行けばその先にあるのは裏切り者の汚名だけだ。 そしてシンは気づかぬままギルバートの駒にされマユはギルバートの作る世界で生きる事になる。 迷ったのは一瞬だけ。アスランは傍にあった椅子を担ぎ上げると窓に叩きつけた。 * * * 基地内が騒がしいと誰もが感じた。 慌しく走り回る武装した兵士達を見送りメイリンは呟く。 「何かあったのかしら?」 けれど周囲に居る者も首を傾げているこの様子ではメイリンの望む明確な答えは返って来ないだろう。 仕方ないから部屋のパソコンで調べてみるかとメイリンが振り返るとアビーが困った様子で辺りを見回している。 誰かを探している様にも見えメイリンが声をかけるとアビーが助かったと言いたげな笑顔を浮かべてゆっくりとメイリンのいる方へと歩いて来る。 その歩の進み具合に不思議に思ってアビーの足元へ視線を移すとそこにはクレヨンの箱と白い画用紙を何枚か抱え、頭にトリィを乗せたマユがいた。寄り添うようにハロも転がっている。 「マユちゃん! アビー、一体どうしたの?」 「それが・・・本国に私と話したいって人がいるんですって。 でも最近の事を思うとマユちゃんとあまり一人にしたくなくて・・・無理言って連れ出したものの通信室へは連れて行けないでしょう? 誰かに頼めないかと探していたんだけどどの部屋に誰がいるかわからなくて困ってて。」 「なら私が預かるわ。そんな長い時間じゃないんでしょう?」 「それは大丈夫。許可された時間はそんなに長くないし。 でもメイリン、何でマユちゃんの施設に通信希望なんて出したの?」 「え!? もう返事が来たの!!?」 アビーの言葉にメイリンは驚きを隠せない。 申請を出したのは今日。通常ならば本国へ連絡が行き許可が出るのは早くて三日はかかる筈だと逆に問うメイリンにアビーは通信室からの連絡時に聞いた話を交えて説明した。 「もう直ぐ作戦が始まるし、シンが最新の機体を任されている事もあって時間が取れる内にと気を利かせてくれたみたい。」 「シンが希望したのよ。私は代理で申請出しただけで、でも何でアビーと通信なんて話になるのかしら・・・。」 「・・・私がシンとちゃんと話しているかどうか確認するためなんでしょうね。」 「アビー?」 最後の言葉は消え入りそうなほど小さくメイリンには聞き取れなかった。 けれどアビーの深刻そうな表情に嫌な予感を感じたのか彼女を案じるように呼びかける。 アビーはそんなメイリンの様子に笑顔を浮かべ首を振った。 「ううん、何でもない。それよりもマユちゃんの事、お願いね。 マユちゃん、メイリンお姉ちゃんと一緒に待っててくれる?」 アビーが語りかけると表情を硬くしたマユはこくりと頭を上下に動かす。 ぎこちない様子にマユは平静ではないと察しメイリンは少しでもマユの気持ちが浮上する様に明るく話しかけた。 「マユちゃん、私の部屋に行こう! 何か欲しい物ある? それともお絵描きの続きがしたいかな?」 「・・・・・・あと、字をかくだけ。」 「そっか。とにかくお部屋に行こう。 何だか通路を走っているおじちゃん達がいて危ないし。」 再びこくりと頷くマユは先ほどよりも気分が良くなったのだろうか。 アビーの傍から離れ、ぴとりとメイリンの足に寄り添った。ついて行くようにハロが跳ねてマユの肩に乗る。 取りあえずは安心だとアビーはほっとした様子でメイリンに再び話しかける。 「メイリン、それじゃ私行くから。 終わったら部屋に行くわ。場所は?」 「下のフロアの・・・。」 話す間にも別の部隊と思われる兵士が脇を走り抜ける。 一度立ち止まり周囲を警戒する兵士の一人が言った言葉が聞こえた。 「万一の場合は射殺もやむを得ん。」 足に伝わる震えから、メイリンの足に捕まるマユが怯えているのがわかった。 * * * 激しく降る雨の中、カンカンと金属製の非常階段を駆け降りる音が鳴り響く。 右手を引かれながら駆け降りるミーアは前を走るアスランと先ほどの光景が信じられなかった。 《何で? 何でこんな事になったの?》 ミーアの頭を占めるのは疑問だけだった。 話を聞き、保安部の人間が来た事を知ったアスランは突如部屋にあった備え付けの椅子で窓を割り外へ飛び出した。 物音を聞きつけた兵士達がドアを打ち破って入り、『ラクス』の姿に驚きながらもアスランが逃げ出したと察し彼の後を追おうと窓から飛び出した途端に争う音が鳴り響き、静かになったかと思うと雨に濡れながら兵士から奪ったと思われるライフルを持ったアスランが窓の外から手を差し伸べたのだ。 早くと急かされ思わず手を取り部屋を飛び出したもののこの状況の不味さはミーアにもわかる。 仲間だったはずの兵士を打ち倒し銃を奪って逃げ回る・・・それは裏切りと取られても仕方がない。 《ダメ・・・止めなきゃ。》 階段の途中で足を止めると手を引いていたアスランがミーアの抵抗に振り返る。 焦るアスランの顔を見て決心が揺らぎかけるがミーアは勇気を振り絞り叫んだ。 「アスラン・・・どうして!」 ミーアの疑問に一瞬戸惑った様子だったがアスランは直ぐに納得した様子で答えた。 「議長は『自分の認めた役割』を果たす者にしか用はない。 彼に『都合の良いラクス』、MSパイロットとしての俺。 だが、君だっていつまでもこんなことをしていられるわけがないだろう!」 《都合の良い・・・ラクス? そう、今の議長にはラクスが必要だから私が呼ばれた。 でも、もしもラクスが必要でなくなったら。》 「そうなれば、いずれ君だって殺される! だから一緒に――」 「あ、あたしは! あたしは『ラクス』よ!」 答えたのは反射だった。 けれどそれが自分の出した答えだとミーアは悟っていた。 「ミーア!」 「違うっ!」 呼ばれてミーアは激しく被りを振る。 雨に濡れた髪が水滴を飛ばした。 「あたしはラクス、『ラクス』なの!」 ラクスになったからミーアは舞台に立てた。 皆が自分を求めてくれた。認めてくれた。 暖かな声援と称賛の言葉。甘く幸せな夢の世界。 「『ラクス』が良いっ!!!」 言い切るミーアにアスランは言葉を無くしミーアを見つめていた。 視線を感じ見返すとアスランの姿がぼやけて見え、ミーアは初めて自分が泣いているのを知った。 《だって、『ラクス』じゃなかったら誰も私を、ミーアを必要とはしてくれない。 でも議長の言う通りにしていれば・・・。》 「役割だって良いじゃない。ちゃんと・・・・ちゃんとやれば。」 『ラクス』を演じて初めて自分を見てくれる人達を思い返しミーアは身体を震わせた。 自分が『ラクス・クライン』ではなく『ミーア・キャンベル』だと知ったら皆がどんな反応をするか。 そんな事は考えるだけでも恐ろしかった。 「そうやって生きたっていいじゃないっ!」 与えられた生き方を選んだミーアにはもう他の道を辿る事は出来なかった。 自分の選択が信じられないようで驚愕の表情を浮かべるアスランがいる。 胸がちくりと痛むのを感じた。 けれど・・・・。 「だからアスランも・・・ね?」 今度はミーアから手を差し伸べる。 これは人生の分岐点だと二人は感じていた。 与えられた生き方を受け入れる者と受け入れられない者の。 カンカン・・・ 遠くで誰かが階段を降りてくる音が響く。 時間がないと悟りアスランは再びミーアの名を叫び、逆に手を差し伸べる。 肩をびくりと跳ねさせミーアは手摺に掴まった。 今の声が聞こえたのか、段々と誰かが来る音が近づいて来る。 もう待てないとアスランは伸ばした手を引き戻し、悔しげに歯を食いしばると一人階段を降りて行った。 憧れていた彼の人の姿が視界から消え、足音が遠ざかって行く。 《アスラン・・・貴方はあたしを――》 更に溢れる涙が熱い。 自分が泣けるのはこれで最後だと思いながらミーアはその場に蹲り顔を両手で覆った。 この後、上から降りて来る者は泣いているミーアを放っては置けないだろう。 追手が此処に辿りついても一人なら自分を保護する為に彼を追う事は出来ない。 複数いたならば数を減らす事は出来る。少しは逃亡し易くなるはずだ。 これだけがミーアがアスランにできる最後の事。 近づいてくる足音を聞きながらミーアはアスランを想い、嗚咽を漏らした。 《――一度もラクスとは呼ばなかった。》 後編へ |
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