〜アスラン脱走 後編〜 メイリンの部屋に入りマユが真っ先にした事は画用紙を広げる事だった。 マユが行動を開始すると同時にトリィは部屋を一周だけ飛ぶとパソコンの上に止まり、ハロはマユの肩から跳ね降りてベッドの上に転がった。 床に座り込み広げた画用紙を前にマユはクレヨンの蓋を開け、桃色のクレヨンを手に取る。 広げられた紙に描かれているのは黒髪の人物。目と思われる部分と服の部分に赤い色を使われているのを見てメイリンはマユの傍らに座り問う。 「これ、シン?」 「・・・そう。」 一瞬躊躇う様に間を置いてから答えたマユはくきくきと人物の隣に字を書き始めた。 My brother たった一言を書くのにマユの表情は真剣だ。 最後の一文字を書き終え、ホッと息を吐くマユにメイリンはマユの頭を撫でて言った。 「綺麗に書けたね。これをシンにあげるのかな? マユちゃんは本当にお兄ちゃんの事が大好きなんだね。」 メイリンの言葉を聞くと同時にマユは大きな瞳いっぱいに涙を溢れさせた。 アメジストの輝きから零れ落ちる雫が床の絨毯を濡らす。 突然の事にメイリンが驚き動けなくなるとマユは我慢できなくなったのか叫び始めた。 「マユ、おにーちゃんキライ。 だってママをいじめたの。ママを、かえってこれなくしたの。」 「え、ええ?」 「でも、マユ、おにーちゃんキライなはずなのに。 おにーちゃんがスキなの。 ソバにいてほしいの。さみしい。」 うっく・・・ひっく・・・ 嗚咽が混じり始め涙と鼻水で顔がぐじゃぐじゃになる。 そんなマユにどうして良いのかわからないままメイリンはティッシュを取りマユの頬と鼻を拭った。 その間にもマユは泣きながら話し始める。 「一人になりたいって言ったらダレもこなくて。 部屋で一人はさみしくて、かなしくて。 ママのこと思い出してつらくてナミダが出てきて。」 「うん・・・うん、それで? マユちゃんは今、誰に傍にいて欲しい?」 わからないながらもメイリンはマユの言う事を聞き、優しく答えを促す。 さわさわと頭を撫でられ少し気持ちが落ち着いたのかしばし沈黙していたマユは戸惑いながらも答えた。 「・・・おにーちゃん。」 「嫌いじゃ、なかったの?」 「前、マユが泣いてる時、ソバにいてくれたのは、ずっとおにーちゃんだけで。」 話しながらぎゅっとメイリンの服を掴むとメイリンはそのままマユを腕に入れて抱き締めた。 「あったかくて、だきしめてくれるのは、おにーちゃんだけで。」 言葉を時々詰まらせ、肩を涙を鼻水で濡らすマユの髪を優しく優しく手で梳く。 「だから・・・だから・・・。」 兄以外では初めて、泣いている自分を優しく抱きしめてくれるメイリンにマユは何も言えなくなった。 施設の先生は優しかったが我儘はあまり言えなかった。決して独り占めに出来る人ではなかったから何があってもマユは我慢した。 週末になればシンが絶対にマユの話を聞いてくれると知っていたから。 いつもシンが来てくれる日を指折り数えて、アカデミーを卒業してからは長く会えなかったのに突然面会が許されたのが嬉しくてたまらなくて。 ミネルバに乗ってからはいつもシンが傍にいて幸せだった。 「だから・・・マユちゃんはお兄ちゃんが好きなのね。 傍にいてくる、マユちゃんを愛してくれるお兄ちゃんが。」 「スキ・・・おにーちゃんがスキ。 でも、マユがおにーちゃんキライって言ったからおにーちゃん会いにきてくれないの? もうおにーちゃん、マユがキライになったの?」 「キライってシンに言ったの?」 「ううん。でも部屋で、ダレもきてくれないからずっと言ってた。 だから、いい子じゃないから、おにーちゃんはマユをキライになったの?」 「・・・ねぇ、マユちゃん。何でお兄ちゃんに直接キライって言わなかったの?」 「だって・・・。」 「だって?」 問うメイリンにマユは躊躇いながら答えた。 「・・・おにーちゃんが、泣くから。」 ゆっくりと息を吸い、言葉を続ける。 「おにーちゃんが悲しむのは、イヤだから。」 言い切るとマユはまた身体を震わせ泣き始める。 メイリンはマユを抱きしめたまま、ぽんぽんとその小さな背中を叩いた。 「マユちゃんはいい子だよ。ちゃんとお兄ちゃんの気持ち考えてあげられる優しいいい子だもん。 誰もマユちゃんの事を嫌いになったりしない。メイリンお姉ちゃんが保証するわ。 シンは今もマユちゃんが大好きだよ。」 「この絵・・・おにーちゃんにあげたら、うけとってくれる?」 顔を上げ、床に広げた絵を指差し問うマユは不安げな表情を浮かべている。 けれどその様子がとても健気で可愛らしく、メイリンは力を込めて頷いた。 「きっと大喜びで額縁に入れて・・・そうね。 タップダンス踊りながら基地中の人に見せびらかすかもしれないわ。 そしてアスランさんが大慌てでシンを止めようとするでしょうね。レイやお姉ちゃんもシンを追いかけて皆に謝って回って一騒動起きるかも。 最後に艦長か議長に呼び出されて全員お仕置きって言われて・・・。」 「みんながおこるの?」 「本気で怒るわけじゃないけど、迷惑掛けたらごめんなさいって言えないとダメでしょう。」 メイリンが言うとマユは素直に頷く。 また「いい子ね。」とマユの髪を撫で、メイリンは腕を解いてマユを放した。 そして小さな肩を手で包みマユの目を真っ直ぐに見詰めて語りかける。 「後でシンに絵を届けに行こうね。」 「今すぐじゃダメ?」 「うーん、その顔で行くとシンが鬼の形相で私に怒ると思うんだ。 『マ〜ユ〜に〜な〜に〜を〜し〜たぁ〜』って。」 シンの声を真似て声を低くして答えるメイリンにマユは自分の顔を手で拭う。 手に涙と鼻水がくっつき困り切った表情でメイリンを見上げた。 「かお・・・。」 「涙と鼻水で服も汚れちゃったし、一度シャワー浴びてさっぱりしよう。 服は・・・アビーが迎えに来たら着替えを頼めば良いか。 とりあえずは私のキャミソールを着ておけば。」 「おフロ!」 「シャワーよりもお湯を溜めるのが好き?」 「ばちゃばちゃーってするの!」 「それじゃあお湯の用意をして・・・。」 早速メイリンはマユの手を引いてバスルームに向かった。 入って直ぐにタオルの数を確認し、シャワーでお湯の温度を確認すると栓をして湯を溜め始める。 「マユちゃん、お姉ちゃんは着替えを用意するからその間に一人で服、脱げるかな?」 「できるー!」 「それじゃあ服脱いで待っててね。お姉ちゃんが来るまで一人で入っちゃダメだよ。」 「はーいっ!」 元気良く答えるマユをその場に残しバスルームのドアを閉めるとメイリンはクローゼットを開けてマユに着せるキャミソールを探し始めた。 「えーと確かキャミソールはこの辺に・・・。」 カタン ドアの方でした音に驚き振り返ると其処にはびしょ濡れのアスランが立っていた。 ライフルを持ち部屋を見回したアスランがこちらに気づき驚き叫びかけた瞬間、口を塞がれる。 メイリンの口を手で塞いだままでアスランは小声で話し始めた。 「騒がないで、手を放しても大丈夫か?」 こくこくと頷くとアスランは直ぐにメイリンから手を外した。 絶対に騒がない保証はないと言うのに。 窓から周囲を警戒するアスランに先ほどの兵士達の様子を思い出し、メイリンは背筋に悪寒が走るのを感じながら問いかける。 「追われているんですか・・・? でも何で。」 「そんな事は後でレイにでも訊いてくれ。くそっ・・・アビーの部屋さえわかれば直ぐにでも外に出るんだが・・・。」 「アビーに用があるんですか? でも彼女は通信室へ行ってますよ。」 「!? なら今マユは誰が見ているんだ!」 「マユちゃんは・・・っ。」 「メイリンおねーちゃんまだ?」 驚いたアスランがメイリンに詰め寄った時、服をすべて脱いだマユが身体にタオルを巻いてバスルームから出てきた。 探していたマユの姿を思わぬところで見つけ、アスランは無言でメイリンから離れマユに駆け寄った。 手にしていた銃を置くと感無量と言った様子で濡れた服のままマユを抱きしめる。 「ひゃぁああ! つめたーい。」 「ああ、ごめん。マユ、こんなところにいたのか。 ずっと・・・探して・・・。」 冷たいと叫ばれ一度は離れたものの、話している内に涙が溢れ始めたアスランは再びマユを抱きしめる。 再び冷たい身体で抱きしめられたと言うのに、マユは今度は冷たいと文句を言わず様子のおかしいアスランに不思議そうに問う。 「アスおにーちゃん何でびしょぬれなの?」 「これから、マユのママに会いに行こう。パパと一緒に。」 「アスランさん!?」 突然の言葉にメイリンは咎めるような声を上げるがアスランは構わない。 マユはアスランの言葉に目を見開き再び問いかける。 「ママ? でもママは・・・。」 「大丈夫だ。ママは生きている。きっと。 ここにいたらマユも危険なんだ。」 「アスランさん、危険って・・・それに今、パパってどういうこと――」 どんどん! ドアを叩く音にメイリンの言葉は中断させられた。 「保安部だ。室内を検分したい。ドアを開けろ。」 響いた声にアスランとメイリンは顔を見合わせる。 一瞬の間をおいてアスランはマユを抱き上げ小声でメイリンに命じた。 「俺が出たら声を上げろ。銃で脅されていたと言え。 マユを人質に取られたでも良い。好きに騒いでくれ。 それで君への疑いは晴れる。」 ! アスランの言葉にメイリンはドアとは逆の方向に動いた。 「こっちへ。」 引っ張られ押し込められたバスルームでは湯が溜まり湯気が濛々と立っている。 メイリンは髪を解き勢い良く服を脱ぎだした。 何をしようとしているのかを察しアスランは叫ぶ。 「無茶だ!」 「大丈夫です。マユちゃんをこちらへ。」 下着姿で頭から湯を被りマユを抱き上げタオルを取り払う。 おいまだか!? 「はぁい! 今っ!」 声が聞こえメイリンは叫び返しながらマユの身体を湯に沈めた。 「マユちゃん息を止めて!」 マユを一気に頭まで湯に沈め再び上がらせるとバスタオルを羽織らせ自分も身体にタオルを巻く。 自らの髪も濡らしびしょ濡れのマユを抱き上げ、「何もしゃべっちゃダメだよ。」と言い聞かせる。 メイリンがドアの前に立つとアスランはバスルームのドアを閉めた。 間一髪、ドアに手をかけて開けるとメイリンが遅いのに焦れて打ち破ろうとしていたのだろう。ドアの前にいた兵士がたたらを踏んだ。 「きゃっ! 何なんですかもう!!」 「え! 子供っ!?」 少女があられもない恰好で出てきただけでなく、彼女と同じようにびしょ濡れの子供を抱いている姿に兵士達は驚きを隠せない。 しかも子供の方は兵士に怯えたのか少女の首にぎゅっと腕をまいて顔を背けている。 この状況に兵士達が対応をどうしたものかと迷っていると聞き慣れた声が響いた。 「ちょっとメイリン! アンタ何て格好してんのよっ!! それにマユちゃんも・・・・・・。」 たまたま傍にいたのだろう。 騒ぎを聞きつけたルナマリアがやってくる。 チャンスだとメイリンはルナマリアに助けを求めるように視線を送ると自分は悪くないと姉に訴え始めた。 「だってお姉ちゃん、マユちゃんとシャワー浴びてたらドンドンドア叩くんだもん。」 「いいからアンタは服を着なさい。みっともない。 マユちゃんもちゃんと拭いてあげないと・・・身体が冷えて風邪ひいちゃうわ。さ、早く。」 言ってルナマリアはメイリンを押し込めると保安部の者へと向き直った。 目を吊り上げた赤服の少女に皆たじたじになる。 「それで、これは一体何の騒ぎかしら。」 「あ、いえ・・・その・・・・・・。」 「ウチ妹に何の用? 一体どうするつもりだったのよっ!」 ドアを閉めた後も姉が保安部の者を問い詰めているのがわかる。 これでとりあえずは大丈夫だろう。 ほっとした瞬間、足ががくがくして立てなくなりメイリンはその場に蹲った。 《あ・・・私、何で。》 「メイリンおねーちゃん・・・。」 不安げにマユが見上げてくる。 暖かな体温を感じメイリンはあふれてくる涙を堪え切れなかった。 零れた涙が床を濡らす。ふわりと自分を包む柔らかな感触に顔を上げた。 「ありがとう・・・でも、どうして?」 アスランからの感謝と疑問の言葉と自分に掛けられたバスローブの温かさにメイリンは身体を震わせた。 「わかんない・・・。」 「・・・メイリンおねーちゃん。あのコワいおじちゃんたちはなぁに?」 「お姉ちゃんにもよくわかんないや。」 ? 返された答えに首を傾げるマユを下ろし部屋を見回すとアスランは再び窓を警戒していた。 その表情は険しい。外にはアスランを探している兵士達がいるのだとわかる。 「くそっ・・・マユを連れての脱出はやはり無理なのか?」 「アスランさん。貴方は何故マユちゃんを連れて行こうとするんですか。」 「これが理由だ。」 メイリンの問いかけにアスランは胸の内ポケットから紙キレを取り出す。 まだ中には水がしみ込んでいなかったようで渡された紙はカサリと乾いた音を立てて開いた。 記された記述の内容を飲み込みメイリンは目を見開く。 「これって・・・。」 「俺とマユの遺伝子解析結果の報告書さ。 先日漸く届いて確証を得たわけだ。」 「アスランさんとマユちゃんが・・・親子? でも、確かに似てはいますけど年齢がっ!」 「覚えはある。たった一人、一度だけ。逆算すれば年も合う。」 突然の、信じがたい真実にメイリンは打ちのめされる。 けれど父親がいるのと同時に必ず存在する母親が一体誰なのか見当がつかない。 「相手の・・・女性は・・・・・・。」 「フリーダムのパイロット、と言えばわかってくれるか?」 格納庫でシンとアスランが揉めた事はルナマリアから聞いて知っていた。 けれどその理由がメイリンにはいまいち釈然としなかった。しかしこれで漸く納得できる。 同時に疑問が浮かんだ。ギルバートとラクスのロゴスとの全面対決の宣言。 あの放送でフリーダムの映像を削除した事への疑惑がメイリンの中で蘇る。 「議長は・・・この事を。」 「知っているだろうな。俺にマユの事を匂わせていたのは議長だ。 遺伝子解析のエキスパートの議長の事だ。シンの遺伝子を調べていた可能性は高い。 その妹の遺伝子も比較対象として興味を持ったはずだ。とっくの昔に解析を済ませているだろう。」 「全部知って・・・。」 「・・・ああ。」 《議長が何を考えているのかはわからない。 でも確かに私の心が叫んでる。 今、アスランさんを死なせてはいけない。》 誰の為なのかはわからない。 けれど、何も知らないマユから母親だけでなく実の父親まで奪う事はどうしても嫌だった。 「俺はもう行く。済まないがマユに着せる物を貸してくれないか。」 「格納庫・・・・。」 「え?」 メイリンはバスローブをしっかりと羽織るとパソコンの前に向かった。 トリィは相変わらずモニターの上に止まり不思議そうに首を傾げてる。 「基地のホストに侵入してどこかで警報を鳴らせれば・・・その間に格納庫のMSで。」 カタカタとメイリンが滑らかにキーボードを叩き続ける。 アスランは以前、キラがこんな風にキーボードを叩いていたのを思い出しマユを手招きで呼び寄せる。 「アスおにーちゃん。ママに会えるの? ホントに??」 「会えるんじゃない。会いに行くんだ。」 「アスランさん、私がハッキングしている間にそこのクローゼットから適当な服をマユちゃんに着せてあげて下さい。 ちょっと大きいかもしれませんが今は構ってはいられません。」 「あ、ああ・・・。そうだ、マユの軍服は!?」 バスルームに走りアスランはマユの軍服からハロバッチを取る。 以前マユが行方不明になった時、このバッチが発信機になっていると教えられた。 もしもマユの行方を探す者がいた場合、これを目印にされたら同時にアスランも見つかってしまうだろう。 「ハロ!」 アスランの呼び声に応えハロはその身体を開いた。 ぱっくりと口を開けるハロの中にはピンクの携帯電話と香水の瓶。 アスランは携帯電話を取り出すとハロバッチを入れてハロを元に戻す。 「アスおにーちゃん?」 「ハロとトリィには囮になってもらう。 恐らくレイはこの発信機でマユの居場所を確認するはず。 けれどトリィを飛ばしておけばハロと基地内で鬼ごっこでもしていると思われるだろう。 マユを探す人間に対してはこれで時間を稼ぐ。 それに彼らにマユを連れ出したとわかると俺が向かう先も直ぐに予想されてしまう。 幼い子供を連れての脱出方法は限られてくるからな。」 「ハロとトリィ、おいてっちゃうの?」 悲しそうに見上げて問うマユに嫌だと言われるのはわかっていた。 けれどもこれは譲れない。まずはこの基地から脱出する事が先決だった。 「ママに会うためには、どうしても。」 「ヤダ!」 叫ぶマユに胸に重苦しさを感じながらアスランは謝る。 「・・・ゴメン、マユ。」 「おまもりは?」 「え?」 「マユの・・・おまもり。おにーちゃんからもらったの。」 先ほどアスランがハロから取り出したピンクの携帯電話を握り、マユは絶対に離すものかと胸にそれを抱え込む。 《そうだった。マユにとってシンは大切なお兄ちゃんなんだ。》 マユを連れ出すという事はシンから引き離す事と同じである。 これ以上マユに無理を言えないとアスランは嘆息するとマユの頭をぽんぽんと軽く叩いて言い聞かせた。 「わかった。落とさないようにしっかり持ってるんだぞ。」 「うん!」 では着替えをとアスランはメイリンのクローゼットから適当なシャツを取り出す。 軍から支給されたブルーのシャツを広げるとアスランは急いでマユに頭から被せた。 マユが万歳をして腕を通すと更にタオルを巻きつける。 「外は雨で濡れるからバスタオルを羽織ろう。」 ぴーっ 電子音がパソコンから鳴り響く。 メイリンが成功への喜びに笑顔を浮かべながらアスラン達へと向き直った。 「これで注意は港へ向くはずです。 車を回します。アスランさんはマユちゃんを連れて窓から出て下さい。」 「わかった。」 メイリンは再び軍服を着ると直ぐに部屋から飛び出した。 * * * デスティニーの調整を見直している最中に警報が鳴った。 最初は何かと思ったが特に命令は来ない。 不思議に思いながらも大した事ではないか誤報なのだろうとシン達は作業を再開した。 暫くしてヴィーノがコクピット内のシンに呼びかけた。 「シン〜、どうだ〜〜?」 「うん、もう調整は良いと思う。 後は動かしてみないと何とも言えないや。」 「おーっし、じゃあ早速テストを――」 ぴぴっ 通信が入る音にシンはヴィーノとの話を中断し回線を開いた。 「何だぁ?」 【シン、直ぐにデスティニーとレジェンドの発進準備を始めさせろ。】 「レイ!? 一体どうしたってんだ!!?」 入ってきたレイの声にシンはただ驚くばかりだった。 しかもこれから起動テストをするデスティニー、そして最終調整の終わらぬアスランのレジェンドの発進準備を言われて驚くなと言う方が無理だ。 けれどレイはそんなシンにはお構いなしに話を続ける。 【グフがスパイに奪取された。このままでは逃げられる!】 「スパイ!? わかった。」 【油断するなよ。相手はアスラン・ザラだ。メイリンも一緒に逃亡している。】 「えっ・・・。」 思わぬ人物の名にシンは凍りつく。 散々対立したアスランだが、いや、だからこそシンはアスランの性格を理解していると言えた。 不器用で照れ屋なところのある、けれど真面目で融通が利かない誠実な人。 誰かを騙すなんて全然思いつかないおひとよしなところがあり、たまにシンは軍人以外にアスランがなれる職業なんてあるのかと言いたくなった。 お世辞なんて言えなくて真っ正直に答えるアスランではサービス業への就職は絶望的だろう。 何かあっても誤魔化す事は出来なくて、でも総合的な能力はやたらと高くて誰かに良いように使われてしまいそうで。 メイリンも明るくて可愛くて優しくて、いつも姉のルナマリアの陰に隠れてしまうが、ルナマリアがわざとそうして妹を守っているのだと察していた。悪い奴が近寄れないように強気なルナマリアが守って、守られているメイリンはいつも姉と自分達を気遣っていた。 彼女も誰かを裏切ったり騙すような行為とは無縁だ。 《あのアスランが・・・メイリンも・・・・裏切った?》 「嘘だ!」 反射的に叫ぶシンの耳にレイの声が冷たく響く。 【事実だ。それにメイリンは情報のエキスパート。 彼女が一緒という事は情報漏洩の可能性が高い。 この時期に狙われる情報はヘブンズベースへの攻撃作戦、『ラグナロク』に関するもの。 そしてそれを狙う組織がいるとしたらそれは・・・。】 「・・・ロゴス。」 【そういう事だ。急げシン! 本当に間に合わなくなる。 もうお前やマユのような人間を増やしたくないから闘って来たのだろう? それがもう直ぐ叶うと言うのに、こんな事で全てを無駄にするつもりか!? 俺ももうそちらに着く。現実を見ろ! 敵を倒すんだ、皆の敵を!!!】 見えてきたゴールが一気に遠くなる。 このままではマユと幸せになれない。 そう言われても尚、抗う言葉をシンは持たなかった。 「わかった・・・。」 《マユ・・・そうだ・・・マユを守る為に、俺は強くならなきゃ。 強く・・・だから・・・今、ここで負ける訳にはいかない!》 「ヨウラン、ヴィーノ! 直ぐに発進する。 レジェンドの方も出られるように起動を始めて!」 「「えええっ!?」」 シンからの突然の言葉に友人の整備士二人は悲鳴にも似た驚きの声を上げる。 しかし「早く!」と急かされバタバタと走り出す。 そんな二人を見送りシンはコクピットのいくつかのスイッチを入れる。 調整作業時とは違いサイドのモニターが光り始めた。 起動を始めたMS独特の音と機体に繋がれたケーブルが取り外される音が響く中、シンは自らに言い聞かせる。 《俺は、マユを守りきる!》 * * * 激しい雷雨の中、アスランはグフで海を渡っていた。 もう直ぐ追手がかかるだろう。 メイリンの尽力でアスランを捜索していた兵士の殆どは港へ向かったというのに、何故かレイはアスラン達の後をつけていた化の様に格納庫に現れた。 レイの持つライフルが銃弾を放つ中、やはり危険だからとマユを置いて行く事は出来なかった。 寧ろメイリンがいるとわかっていながら銃を放ったレイの対応を知ったからこそ、と言うべきだろう。 兆弾の音にも怯えながら身を縮めるマユをメイリンに預け、レイの銃を撃ち落としたアスランはその隙に二人をグフのコクピットへ押し込む。 銃を取りに行ったレイを牽制した為にレイはメイリンがマユを抱え込んでいる事には気づかなかったらしいが、その事を伝えてマユを人質として扱う事は絶対に出来ないしこの先もしないだろう。 《何としても逃げ切らなければ!》 決意しながらもアスランはシートの後ろに立つメイリンに済まなそうに呼びかけた。 「すまない・・・君まで巻き込んで。」 「いいえ。ずっと貴方を見ていたから、追われるような人じゃないって思ったから、だから。」 怯えて言葉を詰まらせながら答えるメイリンに後悔する。 本当ならば巻き込みたくはなかった。 しかしあのまま格納庫にメイリンを残せば彼女がどうなるのかは分かり切っていた。 「これからどうするの?」 メイリンに抱き上げらているマユの言葉にアスランは答える。 「アークエンジェルを探す。」 「あの艦は沈んだはずです!」 「沈んじゃないさ。残った破片は艦の一部だけ、多分逃げ切ったんだ。 彼らはそんなに柔じゃない。」 ぴぴぴぴぴっ 索敵レーダーの音にアスランの表情は険しくなる。 通信回線を開くと皮肉のつもりか、レイ・ザ・バレルの名がモニターに表示された。 「くそ! レイか!!」 【手古摺らせてくれますね。ですがもう終わりです!】 機体を反転させて迎え撃とうとする。 グフのモニターに映るのはギルバートに見せられた機体が二体。 《二体!?》 赤い翼を広げたMS、デスティニーにアスランは驚愕する。 「シンか!?」 【アンタが・・・アンタが裏切るからっ!】 叫ぶと同時にデスティニーはバーニアを噴かせ迫って来る。 一気に距離を詰めてきたデスティニーを寸前でかわしアスランは叫んだ。 「シン止めろ! 踊らされているんだぞ、お前も!」 アスランの脳裏に蘇るのはマリオネットの様に見えない糸で雁字搦めになったミーアの姿。 同じ糸がシンにも絡まっている様に見えた。 《何とかシンに議長の描く未来の真実を悟らせないと・・・。》 けれど人付き合いの不得手なアスランには一番よい言葉が浮かばない。 言葉を詰まらせるアスランにレイが畳みかけるように叫ぶ。 【見苦しいですよアスラン。『その手』は通用しない!】 《シンの説得を邪魔する気か、レイ!》 思えばレイはいつもシンの傍にいた。 そのレイの後見がギルバートである事はザフトの中でも有名だ。 今更ながらに思い知らされる。恐らくレイは『スーパーエースになる』シンの監視役だったのだと。 もしもギルバートの理想から外れる様な事態が起こったら調整しギルバートが望む未来へと導く。 ギルバートが最も信頼する、彼の望む未来を創る実行者、レイ・ザ・バレル。 【裏切るな! 基地に戻れよっ!!!】 「止めろ! 俺は戻ってこのまま殺されるつもりはない!!」 怒鳴るシンに叫び返すアスラン。 雰囲気を察しているのだろう。 後ろでメイリンに抱きしめられているマユが怯えた。 「こわい・・・おにーちゃん・・・。」 小声の為かシンには聞こえない。 言い争う彼らにはあまりにも弱々しい声だった。 メイリンは怯えるマユを少しでも慰めようと抱きしめるが小さな体が震えを止める事はなかった。 「聞け、シン! 確かに議長とレイの言うことは正しく、心地よく聞こえるかもしれない!!」 【アスラン!】 アスランの言葉を遮ろうとレイの乗るレジェンドがライフルを放つが機能で劣る筈の量産グフをスライドさせてアスランは避け切り叫ぶ。 「だが、彼らの言葉は、やがて世界の全てを殺す!」 【えっ?】 「俺はそれを――」 【聞くなシン! アスランは錯乱している。 錯乱している者の言葉に意味はない。惑わされるな!】 言葉を遮られアスランは舌打ちする。 口下手なアスランでは弁舌でレイには勝てない。 それを思い知らされ打つ手を無くしたとアスランは最後の手段を選ぶかどうかを迷った。 「こわいのヤ・・・おにーちゃん・・・。」 怯えるマユの声がシートの後ろから聞こえる。 《後はラクス達に託すしかないのか・・・くそっ! けどマユは、この場は二人だけでも助けなくては!!!》 決意してアスランは再び叫ぶ。 「くそっ! どうしても討つと言うのであればメイリ――」 【メイリン・ホークは既に貴方と同罪だ! その存在に意味はない!!】 「なっ・・・!? レイ!」 レイの冷徹な返答にシンは驚きを隠せない。 だがシン以上に衝撃を受けたのはグフに乗っていたメイリンだった。 《切り捨てられた。しかも、友達だと思っていた人に。》 メイリンはいつも姉について回っていた。 だから彼女と友人でありパイロット仲間でもあるレイとも親しくなった。 一緒に海に遊びに行った。食事を一緒に食べて冗談を言って笑って楽しかった時間が確かに存在していた。 それら全てを否定されたと感じメイリンは絶望した。 《これが、私のいたザフトなの? いや・・・お姉ちゃん!》 真っ先に思い浮かんだのはルナマリアの笑顔。 けれどこの場にいる誰に言ってもメイリンの願いは叶わない。 メイリンはこの世界にいるのかわからぬ神に祈った。 《誰か・・・誰かお姉ちゃんを助けて!》 【シン、彼らは俺達を裏切ったんだぞ? 敵なんだ!】 「シン、俺の話を聞け!」 うぁ・・・ぁあああああっ! 《うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!!!》 情報が錯綜する中、シンの混乱もピークに達していた。 大切だと思っていた仲間、今も傍で助けてくれる親友。 彼らは真逆の主張をしシンを混乱させる。 【マユを守るんだろう!? その為に戦っているんだろう!!!】 マユの名を聞いた途端、蘇ったのは硝煙の香る風の中で土砂を前に絶望した自分。 死んだ父と母、そして妹。無残な家族の遺体を前に唯一残った妹の携帯を握りしめ泣くしかなかった自分。 泣いているマユを抱きしめる事しか出来なかった自分。 優しく儚い笑顔を浮かべるステラを守れなかった自分。 そして今また、新たな力を持ちながら迷う自分がいる。 【アンタが悪いんだ・・・アンタが、裏切るからっ!】 自分の心に踏み込み掻き乱してきたアスランをシンは本当に嫌ってはいなかった。 なんだかんだと対立しながらも心のどこかでアスランの様に自分を窘めてくれる人がいるのが嬉しかったのだ。 なのにアスランは自分の大切なものを傷つけようとしている。 《許さない。俺からマユを幸せを奪おうとするロゴスを。だからっ!》 ビームソードを手に振り被るデスティニーにアスランは焦る。 本気で来られたら機動力で劣るグフでは避け切れない。 かと言ってグフの持つシールドではデスティニーの剣は受け止められない。 下がっても直ぐに追いつかれる。目の前に迫るデスティニーをモニター越しに見たと思った瞬間、衝撃が走った。 アスランの後ろで悲痛な叫びが上がる。 「 !!!」 《え?》 シンが疑問に思った時にはビームソードに貫かれたグフが海に落ち、爆発した。 海にはグフの破片の一部が漂っている。 勝利がシンの手の中に確かにあった。 けれど生まれた疑問がシンを戸惑わせる。 《今・・・確かに・・・・・・。》 【良くやったシン。任務完了だ。】 【任務・・・。】 言われた言葉を反芻する。 自分はたった今、共に闘ってきたはずのアスランとメイリンを葬り去ったのだ。 その事実への衝撃に加え、先ほどの声が耳から離れない。 【レイ、今・・・。】 【どうしたシン。早く帰投するぞ。】 【今、マユの声がしなかったか?】 【マユの? そんな馬鹿な。 マユは今、アビーが見ているはずだ。それに発信機は・・・。 やはり発信は基地の方だ。レーダーの精度を上げて追ってみると動いているようだから遊んでいるのかもしれないな。】 いつもと変わらないレイの冷静な言葉にシンはホッと息を吐いて呟く。 【そうだよな。こんな時にマユの声が聞こえるはず、ないもんな。】 【・・・裏切られたショックが強かったんだろう。俺が討つべきだったな。】 【そんな! 大丈夫だよ。】 《そう・・・大丈夫。マユはちゃんと基地にいる。 さっきのだって空耳さ。あんまり状況に合っててびっくりしただけだ。 何もない。戻ればきっとマユが笑って部屋で待ってる。何もあるはずが、ない。 それにしてもびっくりしたな、さっきのは。》 被りを振ってシンは先ほどの声を頭から追い出そうとする。 けれど悲痛な声は中々シンの耳から離れない。 《「おにーちゃんたすけて」、なんて・・・・。》 続く 2006年の夏、このシーンは既に構想にあったのですが、ある事件をニュースで知ってから書く自信がありませんでした。 けれどどうしても外せなくて書いたシーンは正直キーボードを打ってって苦しかったです。 2007.11.24 SOSOGU (2008.2.3 UP) |
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