〜選択のとき 前編〜 遠くで轟音が聞こえる。 けれどまだこの辺りは安全らしく、海は穏やかで風も凪いでいた。 たった今、自分を拘束していたロープが切られ自由の身になったと実感できる。 周りにいる軍人達は誰一人自分に銃を向けることなく見守っていた。 そして目の前にいる女性。 「スカイグラスパー、戦闘機だけど用意したから。」 そう告げる女性の背後にはカガリが最初欲していた戦う力を持った飛行機。 青と白で構成された戦闘機は元々連合が主戦力に使っていたものだ。見慣れているが妙に記憶に重なる。 《何故だ?》 ネオを混乱させるのは目の前に立つマリューの言葉。 通常ならばこんなものを捕虜に与えたりはしない。 身一つで放り出せばよいものを戦闘機を与えるなんて、カガリがいない今、そんな権限を持つのは彼女しかいないだろう。 そう、彼女は昔からそうやって自分の責任だと言って無茶と言える判断をしてきた。 《昔から?》 疑問が生まれる。 ネオがマリューと知り合ったのはベルリンでの戦いで捕虜になったのがきっかけのはず。 まるでもっと昔から彼女と知り合っていたかのような考えにネオの中にある芯が揺らいだ。 「貴方はムゥじゃない。」 心臓が跳ね上がる。 涙を浮かべるマリューにとてつもない罪悪感にネオの中にある芯がまた揺らいだ。 「ムゥじゃないんでしょ・・・。」 泣きながら去っていくマリューの後を追う様に他の兵士達はネオに敬礼して去って行った。 捕虜になった時から変わらない彼らの視線。 悲しみと憐れみと・・・尊敬の混じり合った、ネオに向けるべきではない感情。 彼らの視線はステラ達を利用して多くの人の命を奪った敵将校にはふさわしくないものだ。 《胸が痛い。》 何よりも突き刺さったのはマリューの言葉。 散々自分から否定した事を再確認され何故自分は胸を痛めるのか。 確かめたくとも時間は無い。アークエンジェルはもう発進準備に入っている。 これからマリューは戦うのだ。オーブを守る為に。 自分はどうするべきか。 《ムゥとか言われてもわかんねーし。 けど、俺にだって・・・守りたい人はいる。》 ステラはベルリンで、スティングもアウルの言葉が事実ならばヘブンズベースの戦いでその命を散らしたのだろう。 残るアウルは今、オーブの医療施設に入っている。 「残された部下を死なせたくないんだよ、俺は。」 嘘ではない。 それは確かだが、理由はそれだけじゃないとネオは感じながらもスカイグラスパーに乗り込んだ。 * * * メディカルルームで食事を終え、ネオがマリュー達に連れて行かれた後、ベッドが空いた事もあり怪我人は集まっていて欲しいとのドクターの希望でメイリンはアスランの隣のベッドに座っていた。 点滴は既に必要ないと取り外され包帯も必要なくなった分は減っている。 立って歩くくらい問題はないが万全の調子ではないとメイリンには療養を命じられていた。 ミリアリアも気遣い一度だけ顔を出してくれたが、もう直ぐアークエンジェルの修理が終わるとの報告を貰いまた飛び出して行ってしまった。 事態は動いている。 彼らの行動が今の状況を教えてくれていた。 もう直ぐ選択の時はくると。 マユはお腹がいっぱいになったせいか食後直ぐにアスランのベッドの端に潜り込み健やかな息を立てて眠っている。 《話すなら今しかない。》 決意しアスランは口を開いた。 「メイリンはどうする?」 「え!? どうするって・・・。」 いきなり声をかけられてメイリンは声を跳ね上げる。 明らかに動揺するメイリンにアスランは容赦なく言葉を続けた。 「この艦はもう直ぐ戦闘に出る。相手はザフトだ。」 !? わかっていた。けれど考えない様にしていたメイリンは俯きアスランの言葉を待つ。 震える肩が、メイリンは自分が置かれている状況を理解しているのだとアスランに告げていた。 「君をこのまま乗せてはおけない。」 はっきりと断言したのはアスランなりの優しさだ。 メイリンは裏切り者ではないと、脅されて無理やり脱走させられたのだとアスランが証言すれば彼女が戻れる可能性は皆無ではないのだ。 けれどメイリンは首を振った。 「私、わからないんです。自分がどうしたいのか、今まで信じてきたザフトが、議長が、皆・・・全てが。 アスランさんが飛び込んで来るまで議長を信じていればいいんだと思ってた。 でも、それまでにも違和感はあったんです。議長とラクス様の発表からそれがはっきりとしてきた。 お姉ちゃんともその事は話しました。でも難しい事はわからないし、皆して議長を支持しているし、ラクス様もいるならって・・・そうやって無理やり納得させてたんだって今更ながら思い知らされました。 あの時アスランさんを助けたのは、マユちゃんから奪う人間になりたくなかったからです。本当のお父さんまでマユちゃんは殺されてしまうんだって直感的に思ったから。 でも、結局私間違えちゃった。マユちゃんはお兄ちゃんが、シンが大切で・・・でも、お母さんも大切で。どっちを選んでもマユちゃんから奪う選択なんだって気づかなかった。 ヴェステンフルス隊長が生きてて、あんな話聞かされてますますわからなくなりました。 何を信じていいのか。私自身どうしたいのか。だけど・・・。」 「だけど?」 「お姉ちゃんと、闘いたくない。」 涙が溢れだした。 元々ホーク姉妹がザフトに志願したのは互いに身寄りがいなくなり二人して生きていかなければならなくなったからだ。 父母は既に亡くなり、祖父母はナチュラルで連絡を取っていない。 残された肉親を守る力が欲しかった。 姉が真っ先にザフトへの志願を言い出した時、メイリンも追従する様に志願すると宣言した。 いつも姉の影に隠れていると言われているのは知っていた。 エリートの紅と平の緑。 軍服の色が二人の能力評価をはっきりと分けた。 実際強気の姉はいつもメイリンを守るかのように立ち振る舞っていた。 それは嬉しくもあり悔しくもある。複雑な想いの中、戦いは激化していった。 「二人で・・・幸せに、なりたかった。」 本当は平和に暮らしたかった。 戦うよりも姉と一緒に暮らせればそれで良かったはずなのに。 互いを守る為に、住まう国を守る為に、ザフトの為に。 ささやかな願いは段々と対象を大きく変えていったのだ。 戦争を終わらせることこそ皆が幸せになれる方法なのだと示され二人して飛びついた。 その根本にあるものが何なのかは実際に戦い始めて漸く見え始めてきた。 でも今更引き返せないのも事実だった。 ハイネの言葉が本当ならば自分達はどうなるのだろう? 議長の目的が何であれ、オーブは邪魔者として滅ぼされようとしている。 シンはどんな選択をするのか? 祖国を滅ぼすのか、それとも別の選択を? 姉はどうするのだろう。 全てがわからない。メイリンには判断を下す事が出来ない。 「だが、議長の言う通りにする事が幸せに繋がるとは俺には思えない。」 アスランの言葉にメイリンははっと顔を上げる。 彼はずっと疑問を抱き叫んでいた。 シンと対立し孤立化していった。 《自分達とアスランの違いはなんだったのだろう?》 議長の行動に疑問を抱き反論していた。 シンも軍紀に反抗していた。 けれどシンは掬い上げられアスランは切り捨てられた。 《考えては・・・いけない?》 それは人間という生き物を全否定しているように思えた。 ナチュラルもコーディネイターも関係ない。 人が地上で最も進化していると言われる所以は言葉を操り文化を持つ生き物だからだ。 道具を作り、進化させ生活を向上させていき果てには宇宙へ飛び出し住処を移すにまで至った。 それらは全て人間が『考える生き物』だったからに他ならない。 なのに進化の果てに戦いは無くならず今も戦争は続けられている。 《もし、考えなければ・・・争いは起きない?》 それは無理な話だ。 人は感情を持っている。自分の気持ちを考える能力を備えているのだ。 考えを放棄する事は感情を無くすことに繋がる。 感情を失った人間は動く機械と変わらない。 ただ生きる為だけに生き、死を待つ有機体。 想像するだけでぞっとする。尊厳を奪われるのと変わらない。 「あ・・・。」 ここに来てハイネの言葉が思い出される。 人間の尊厳を奪われる事を拒むのがオーブの理念。 自分は人として生きるのに尊厳を必要としている。 そしてザフトを脱走した時に願った。 誰かが姉を守ってくれるようにと。 自分は姉に幸せになって欲しいと願っている。人として生きて欲しいと思っているのだ。 「私は、お姉ちゃんと、戦いたくありません。」 やっと振り絞った答えにアスランは「そうか。」と頷いた。 立ち上がり通信機に向かう背中に、メイリンは続けた。 「それ以上に、お姉ちゃんを守りたいです。 だから・・・。」 メイリンは眠るマユを抱き上げ、抱き締めながら誓った。 「今は、オーブを守ります。」 《この国が滅べば、二度とお姉ちゃんに会えないと思うから。》 驚き振り返るアスランにメイリンは微笑んだ。 少しだけ迷いを振り切った悲しげな微笑みにアスランは彼女を艦から降ろせないのだと悟った。 * * * オーブにジブリールがいる。 その情報を手に入れた時、シンの心中は複雑だった。 いつだってオーブはシンを裏切った。 他国からの侵略を受けない。 その理念の下に守られるはずだったシンの家族は死んだ。 オーブが理念を守り切れなかった為に、戦いに巻き込まれたのだ。 他国の争いに介入しない。 その理念を守るのであればオーブは連合の同盟条約に調印するべきではなかった。 だがブレイク・ザ・ワールドの後、オーブはミネルバを売り渡す様に連合と戦わせた上に同盟条約に調印した。 他国を侵略しない。 そう言いながらオーブは今、国同士を争わせ人の心を踏み躙り侵略してきたロゴスを匿っているのだ。 許せるはずがない。 両親がオーブ永住を決めた基本理念をオーブが破り捨てたのだ。 《最初に裏切ったのはオーブなんだ。》 自身に言い聞かせるようにシンは壁に手をつく。 既に戦闘は始まっておりミネルバが戦場に到着次第シン達も出撃する事になっている。 今度こそ終わらせなくてはならない。 ジブリールは他の国に逃げ込む事など出来ない。ここで捕えれば全てが終わる。 《皆の仇が取れる。》 ずっと言い聞かせているのにシンの心は晴れなかった。 ハロ! ハロ!! シンを慰める様に跳ねて呼びかけるハロにシンが振り向くとルナマリアが肩にトリィを止まらせて立っていた。 ショートカットの少女が微笑む姿にシンは慰霊碑前でのキラの言葉を思い出した。 『その子を見て、決して忘れないで。』 忘れてはならない少女がいた。 シンの足の周りを嬉しそうに走っては微笑んでいたシンの妹。 「マ・・・ユ・・・・・・。」 マユとはオーブで出会った。 オーブでなくてはマユとは出会えなかった。 けど、マユを奪ったロゴスをオーブは匿っている。 《許さない。》 拳を握ればグローブがきゅっと鳴る。 格納庫にあるデスティニーの強さはヘブンズベースで証明された。 未だ戦いが続いていると言う事は先に着いていたザフト軍は手間取っているのだろう。 時間が押せばそれだけジブリールに逃げる隙を与える。 シンにはそんな余裕を与える事は絶対に許せない事だ。 「初手から三機出る事はない。俺が行こう。」 「いや。」 だからシンを気遣ってのレイの言葉を遮った。 これは自分の役目だと確信していたから。 「俺が行く。」 デスティニーが舞う先に、どんな敵がいても今の自分は迷わないと確信していた。 * * * 既にアークエンジェルが発進した報告は入っている。 少し距離がある為まだ時間はかかるだろう。 士気の向上もあり防衛線を押し上げたオーブは健闘していると言えた。 このまま安定するならば国防本部へと考えていたカガリの耳を警告音と報告の声が打つ。 【カガリ様あれを!】 言われて表示された方向にカメラを向けると其処には見慣れない光の羽を背負ったMS。 明らかにザフトの新型と察せられた。ヘブンズベースを落とした時、ザフトは新たな機体を二機投入したとも聞いている。 そのうちの一機がオーブを落とす為に来たのだとわかりカガリは蒼褪めた。 「こいつに来られたらオーブは!」 直ぐにムラサメ二機が迎撃に向かうがデスティニーの流れる様な動きはダンスを踊る様にムラサメのビームライフルを避け一気に迫り、避けるついでに放たれたように見えるライフルで迎撃したムラサメが落とされるのが見えた。 本当に見惚れるくらいに無駄がない。 スペックの違いだけでなくパイロットの腕が明らかにムラサメを圧倒していた。 他のムラサメやアストレイもこちらに気づいたようだが、デスティニーを相手にしていては折角立て直した防衛線が崩れてしまう。 ならば、カガリが相手をするしかない。 「お前達は防衛線を崩すな! こいつは私が!!」 カガリが叫ぶ間にもデスティニーはアカツキに気付いたらしくビームを放ってきた。 だがアカツキのヤタノカガミで撃たれたビームはそのままデスティニーに返された。 驚いた様子でデスティニーは避けるが、思わぬ方向からの攻撃にたまたま後方にいたアッシュが一機倒れる。 まやかしでも何でもない本物のビームである証拠だ。 これまで陽電子リフレクターなどビームを防ぎ逸らす防御システムが作られてきたが、アカツキの備える対ビーム防御システム『ヤタノカガミ』は反射という新しい特性を持っていた。 ビームに対する防御であり、同時に攻撃をするシステム。だがヤタノカガミは常に受け身だ。オーブの理念を表す機能と言える。 他国を侵略しない 他国に侵略させない 父の残してくれた機体に込められた想いを感じカガリは涙が溢れそうになる。 けれど涙は視界を曇らせ戦場では不利になる。 涙を抑え込みカガリはモニターを睨みつけた。 敵がバカで無ければビームライフルに意味は無いと気付くはず。 カガリの考えを肯定する様にデスティニーは向かって来た。 ビームサーベルをジョイントさせ、デスティニーと切り結ぶが相手の対艦刀で押し返される。 「機体の出力が違う!?」 力比べでは負ける。ここは距離を取り中距離戦に持ち込もうと考えた瞬間、アカツキの黄金の右腕が吹き飛んだ。 「なっ!?」 気づかなかった。デスティニーが押し返すと同時に放ったビームブーメランは正確にアカツキを狙っていたのだ。 持っていたビームサーベルごと吹き飛ばされ隙だらけになったアカツキを不利と見たアストレイがこちらの援護の為に地上からデスティニーを撃ち始めた。 難なくデスティニーには避けられるが少しだけ余裕が出来、カガリは周囲状況の確認を始めた。 遠くでは戦場に着いたらしいアークエンジェルとミネルバが撃ち合っているのが見えた。ミネルバの近くを飛ぶスカイグラスパーに違和感を感じるがあちらは任せてもいいだろう。国防本部からの連絡によればザフトの新型は一機しか出ていないらしい。ならばここで目の前のデスティニーを倒さなくては新たにもう一機来た時にオーブは終わる。 そう結論付けたカガリはアストレイに続いてデスティニーを撃ち始めた。だがビームは当たらずデスティニーの放つビームでアストレイが次々と倒されていく。自分に向けられたビームが減ったとみたか、デスティニーが先程アカツキの腕を落としたビームブーメランを放った。 「避ければ後ろのムラサメ隊に当たる!?」 防衛線の最前線近くでの戦闘は互いに気遣う余裕がない。 今カガリの後ろにいるムラサメ隊は防衛線の要だ。彼らを守らなくてはと右腕の残った部分でブーメランを撃ち払うが、肩近くまで吹き飛ばされる。瞬間、衝撃でバランスを崩した。まるでカガリがそうすると踏んでいた様に左右後方から二つのビームブーメランがアカツキへと向かっていた。 バランスを崩したアカツキに避ける事は出来ない。 《やられる!》 カガリが覚悟した瞬間、当たる直前だったビームブーメランが何かに叩き落された。 真上からのビームライフルによる正確な射撃。 「誰だ!?」 カガリと同じく疑問に思ったデスティニーも振り仰いでいる。 青い空から舞い降りる翼を持ったMS。 あまりにも目に馴染んだ機体の姿に、カガリはその機体のパイロットだろうと推測される人物の名を呟いた。 「キラ・・・。」 カガリの言葉を肯定する様に通信機から妹の声が響く。 【ここは僕が抑えるからカガリは国防本部に! アークエンジェルはラクスをお願いします。】 思わぬ名にカガリが改めて周囲を見ると二年前に自爆し無くなったはずの機体がアークエンジェルに向かうのが見えた。 《あれに・・・。》 駒は揃った。 オーブに戻ったカガリと、本物のラクス、そして・・・・・・。 「わかった。ここは任せる。」 キラに応えカガリはデスティニーに背を向けた。 護衛の為かアカツキに付き従う様にムラサメ一機が共に国防本部へ向かう。 例え駒が揃っても盤が無ければゲームにはならない。 駒を支える盤、オーブを守る為にカガリは新たな戦いに向かった。 * * * アークエンジェルのCICに座っていてもアスランは落ち着かなかった。 隣に座るメイリンの膝の上にはメディカルルームに一人残されるのは嫌だと泣き叫んで聞かなかったマユがいる。 言いつけ通り大人しく黙って座っているマユはモニターに映るデスティニーを悲しそうに見つめていた。 シンの乗るデスティニーの強さと恐ろしさは戦ったアスランがよく知っている。 『カガリでは無理だ!』 ブリッジで叫ぶアスランに応える者はいなかった。 無理なのは全員にわかっていた。それでもカガリが向かう他、方法がない事も理解していたから彼女の判断は正しいと判断し皆アスランに応えなかったのだ。 カガリなりに奮闘してはいたがどんどん追い詰められるアカツキの姿に焦燥感を感じながらも目の前の敵と戦わなくてはならない。 因縁の対決だと言う様にミネルバが前に出てきた。 再び始まる戦いの予感に皆が緊張する中、待ち望んでいた声が響いた。 【ここは僕が抑えるからカガリは国防本部に! アークエンジェルはラクスをお願いします。】 「え!?」 思わぬ名に驚きながらもマリューは着艦許可を出した。 二年前に失われたはずの赤い機体。懐かしい愛機の姿にアスランが立ち上がる。 そのままCICを離れるアスランと、彼を支える為に席を立ったメイリンに文句を言う者はいない。 戸惑った様子でミリアリアを見上げるマユに、ミリアリアは微笑んで頭を撫でて答えた。 「いいのよ。皆わかっているから。 マユちゃんもアスラン達と一緒にラクスさんを迎えに行ってあげて。」 「うん・・・。」 マユを待っているのかドアの前で二人が足を止めている。 行くべきなのだ。 何故かそう思えてマユはとことこと歩き出した。 揺れるアークエンジェルの通路を歩きながらマユは目の前で一生懸命に歩を進めるアスランの背中を見つめていた。 マユにはどうしてかわからなかった。 熱が高いのに、ドクターが大人しく寝ているべきだと言っているのに、包帯を触れば痛そうに顔を歪めるのにアスランはブリッジに行くといって聞かなかった。 怖かった。シンがMSにかかり切りになった時、マユはMSが一番怖いものなのだと思った。 けれど今更ながら違うと感じた。 アスランが言った所詮MSは道具でしかないという言葉の意味はまだはっきりとは理解できない。 それでも今、なんとなくわかりかけているように思えた。 やがて見えてくる格納庫への扉。開かれた先は薄暗いのに人の声が慌しい。 入れば空っぽになっていたはずの格納庫に一機のMSが立っていた。 見上げてみるとモニターで見た時は鮮やかな赤だったその機体は色を灰色に変えている。 立っているのに眠っているようだと思った。 視線を下げていくと桃色の長い髪の少女が立っている。 よく似た人には最近会った。けれど違うとマユは確信していた。 マユが彼女に出会ったのはもっと前のこと。ラスティが秘密だと言ったあの時だ。 「カガリおねーちゃんの家にいた人?」 マユの呟きに気づいた様子で少女は振り返る。 桃色の髪を揺らし微笑む姿はTVでよく見る少女とはやはり何かが違うと感じた。 肯定するように頷きラクスはマユの視線に合わせる様に腰を屈めて答えた。 「覚えていてくれたのですね。 あの時はちゃんと挨拶出来なくてごめんなさい。 私の名はラクス。ラクス・クラインです。」 !? ラクスの言葉にメイリンが息を呑む。 何故メイリンが驚いているのかわからないまま、マユは握手を求めながら応じた。 「マユは・・・、わたしの名前はマユ・アスカだよ。」 「仲良くして下さいね。」 「うん!」 細い指がマユの手をすっぽりと包む。 優しい手だと感じた。まだ名前しか知らないのにこの人は安心して良いのだと感じ、マユは嬉しそうに笑う。 ラクスもまた微笑み返すがアスランの硬い声が二人の会話を止めた。 「ジャスティスか・・・。」 アスランの言葉を受け、ラクスは立ち上がりアスランと向き合った。 そして儚い笑みを浮かべたまま頷きジャスティスを見上げ答える。 「今の貴方にはこれは残酷な選択でしょう。けれど、選ぶのは貴方です。」 「君もまた、俺は戦士でしかないと・・・そう言いたいのか?」 アスランにはジャスティスをここまで持ってきたラクスの意図が自分を戦いに引き出す為としか思えなかった。 議長を信じてザフトに戻り戦ったアスランは結局自分の想いとは違う方向へ動き出した世界に、議長の秘められた思惑に絶望したからマユを連れてザフトを脱走することにしたのだ。 今また自分を戦いへと導こうとしているラクスは議長とそれほど違いがあるとは思えない。 自然と表情が厳しくなりラクスへの視線も強く突き刺すものになる。 けれどラクスは変わらぬ微笑を向け答えた。 「それを決めるのもアスランですわ。」 「・・・俺・・・?」 「本当に怖いのは閉ざされてしまうこと。 選ぶ道が無くなり、ここまでだと終えてしまうことです。」 「選ぶ・・・道。」 「本当に残酷な選択だと、私も思います。けれどキラは言いました。」 インフィニットジャスティスでの地球降下のアイデアはキラのものだった。 選ぶ道が決まった以上、ラクスはカガリと合流する必要があった。 しかし今オーブは戦場になり、非常に危険な状態にある。無防備なシャトルでは撃ち落される可能性が高く議長にもラクスが乗っていると気づかれるだろう。 だからMSなのだ。 平和の歌姫ラクス・クラインが戦いの主役であるMSで堂々と姿を現すなどと誰が考えるだろう。 しかも実弾が飛び交う戦場なのだ。他の戦いに気を取られ気づかない可能性の方が高い。 議長を出し抜く必要がある今、ラクスのオーブ入国は絶対に悟られてはいけないのだ。これ以上の手は無いと言えた。 いざ自分がジャスティスに乗って戦場の真っ只中に降りるとなるとラクスも正直言って戸惑いと不安が大きかった。戦うわけではないと分かっていてもMSの操作は簡単且つ単純な基本動作しか出来ないのだから。 二年前、突然戦場に放り出されたキラはこんな不安を感じていたのかと今更ながら思い知らされ、ラクスはキラに謝罪したくなった。 そんなラクスの想いを察したかのようにキラは先に話し始めた。 『ラクス、僕はストライクに乗っていた頃は辛いばかりだったよ。 でも今はああして戦った事に後悔は無いんだ。』 『・・・何故です?』 『確かに戦うしかない状況だから戦った。でも、あの時ストライクが無かったら皆を守れなかった。 きっとアークエンジェルごと撃沈されて全員が死んでいたと思うんだ。 沢山の人を守れなくて辛かったのは確かだよ。それでも戦ったから僕に残された今がある。』 キラの言葉にラクスは視線を落とした。 戦いの中、失われた命はあまりにも多過ぎた。それでも戦ったから残された命が、守れた命がある。 今ラクスと共に戦う仲間もそうして生き残った命だ。 目の前に居るキラもまた同じ。 「『何かしたいと思った時、何も出来なかったら・・・・・・それが一番辛くない?」』 ラクスから伝えられたキラの言葉に、アスランはそれもまた事実だと思った。 オーブにいた時、アスランは何かをしたいと思いながら何も出来ない自分が歯痒かった。 「力はただ力です。 そして、貴方は確かに戦士なのかもしれませんが・・・『アスラン』なのでしょう?」 平坦な声で告げられた言葉にアスランは自分がマユに言い聞かせた言葉を思い出す。 道具はただ道具でしかない。 ナイフも果物を切れば凶器にはなりえない。 逆に鉛筆も人を傷つける意図で振り回せば危険物となる。 何が正しく何が間違いになるのか、決めるのは自分だ。 《俺は戦士としての資質を持つが、最後に自分がどうあるかを決めるのは俺自身だ。》 ギルバートに誘われた時も同じだった。 指し示された道を選ぶと最後に決めたのはアスランだ。 例えザフトに戻らなくても、オーブでカガリのボディーガードを続けていたとしても、キラ達はアスランが決めたのであればそれもまた『アスラン・ザラ』だと認めてくれただろう。 ギルバートが認めなくても決めるのは自分だ。尚且つアスランにはそんな自分を受け止めてくれる仲間達がいる。 にも関わらずアスランは裏切られたショックで自分の選んできた道を、何よりも自分自身を信じられなくなった。 道を選ぶことに臆病になった。 情けないと思う。マユを連れ出した時に既に選んでいたはずなのに自分はいざ差し出された力を前に尻込みしていたのだ。 「きっと、そういうことなのです。」 ラクスの言葉に押される様にアスランは一歩前に踏み出した。 この世界は常に目まぐるしく動き、選択肢は限られている。それでも選ぶ自由はあるのだ。 指し示された道を選ぶか、拒否するか。 命を賭けた選択にもなるがアスランは生きて未来を手に入れる為に選んだ。 そして今、目の前に自分が望む未来の為に作られた力がある。 後ろで戸惑う小さな気配がした。 振り向くとマユが不安そうに自分を見ている。 何か言いたいように見えたがマユ自身どう言葉にして良いのかわからないのだろう。 一瞬口を開きかけたが直ぐに俯き黙り込む。小さな手は助けを求めるようにメイリンの手を握っていた。 「マユを、頼む。」 それだけ言うとアスランはまた一歩、前に進んだ。 後編へ (2008.10.19 UP) |
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