〜譲れない夢 後編〜


《本当に来るのかしら・・・。》

 確かにハロに自分のいる劇場を示す地図とメッセージの紙を持たせてサラに預けた。
 けれどあからさまに罠とわかるあのメッセージでラクスが来るとは到底思えない。
 不安に揺れるミーアの携帯に成功したとの連絡が来た時は信じられない思いだった。
 やがて戻ってきたサラを出迎えたミーアは驚愕した。



「この子は!?」
「議長のご命令で保護して参りました。」
「でも気絶してるじゃない! 貴女この子に何をしたの!!?」
「眠っているだけですわ。少々騒がれますとこちらにも不都合がありますので薬で落ち着かせました。」
「・・・何で・・・・・・この子を。」
「それはわかりませんが保護は可能であるならば・・・との事でしたのでラクス様にご協力頂く事にしました。」
「協力?」

 サラの微笑みが怖い。ミーアは怯えたがサラはそんなミーアをさておき話を続ける。

「あのメッセージだけでは心許無いので、ハロを放すと同時に彼女にはこちらに来てもらいました。」
「それって・・・。」

 人質

 声には出せなかった。
 本来人質はミーアだけだったはずなのに、サラはマユも使うと言った。
 何も知らない子供を巻き込むのだと。

《それじゃ私達が悪役じゃない!》

 それにミーアはマユと面識がないわけじゃない。
 第一印象は悪かったが後から思い返せば確かにミーアが悪かったのだ。
 アスランしか目に入らず傍にいた女性兵を突き飛ばした。具合が悪かったこともありよろけた女性兵の代わりにマユが怒ったのは当然と言える。
 ホテルでも知らずに同じベッドで寝ていた。アスランに見られて騒ぎになった時、状況が分からずポケーっとした顔でミーアを見たマユはミーアに怒る事はなかった。
 部屋を間違えたのだと言うミーアの苦しい言い訳にも疑うことなく「疲れてたの? たくさん眠れた??」とミーアの事を気にかける言葉をかけてくれた。
 だからミーアはマユを嫌ってはいない。
 マユが自分を嫌っていたとしても、自分の都合の為に巻き込むのは嫌だった。

「サラ! 貴女何て事を!?」
「しっ! 外からの報告です。」

 ミーアが抗議しようとするがサラは厳しい表情でミーアの言葉を遮った。
 インカムで外にいる仲間と話を続けるサラの腕の中で力なく腕を垂らすマユが痛々しい。
 けれどサラの雰囲気が鋭くなると同時に威圧感がミーアを襲った。

《怖い。》

 逃げだしたいという想いに駆られるがマユをおいては行けない。
 自分が逃げればマユはどうなってしまうのかわからないのだ。

「予定通りです。ラクス・クラインがアスラン・ザラを含めた仲間三人と共にこちらに向かっているそうです。
 間もなく到着するでしょう。ラクス様は話があるとラクス・クラインを劇場の真ん中の方へ誘き寄せて下さい。
 後は私達が致します。」
「それって・・・。」

 ラクスを狙撃するつもりだと察しミーアは身体を震わせた。
 彼女達は自分の目の前でラクスを撃ち殺すと言っているのだ。
 協力すれば間違いなく自分は人殺しの仲間入り。自分の手を血で汚す恐怖にミーアは怯えずにいられなかった。

「嫌よ。そんなの!」
「貴女が出来ないのであれば、この子に協力してもらうまでです。」
「!?」

 ミーアが出ないならマユを囮にする。
 何も知らずに眠る子供を利用してラクスを殺すと言うサラにミーアは何も言えなかった。
 逃げだす事も出来ない。
 追い詰められたミーアに出来るのは一つだけ。

「わかったわ・・・。」
「それでこそラクス様ですわ。」

 微笑むサラの言葉が空々しい。
 ミーアは今更ながらサラが何故自分をラクスと呼ぶのか、その理由を知った。



 あれから十五分。
 距離的にはそう遠くないと言っていたがやはり警戒しているのだろう。
 予想よりも遅いアスラン達をミーアは劇場の真ん中で待っていた。
 カランと石が落ちる音がする。
 驚いて音がした方向をみやると柱の陰に立つアスランがいた。

《アスラン、生きてた・・・!?》

「アスラン!?」
「動くな!」

 遠目にも自分に向けられたものが何なのかわかる。
 銃を構えたアスランの表情は厳しく声は怒りに満ちていた。

「メッセージは受け取った。罠という事もわかっている。
 だが君達は卑怯だ!」
「・・・アスラン?」
「マユは何処だ・・・。
 俺の娘を何処にやった!!?」

 !?

「アスラン、それではお話が出来ませんわ。
 こんにちはミーアさん。初めまして。」

 アスランの言葉の意味が分からず驚くばかりのミーアの耳を擽る涼やかな声。
 求めていた人物、ラクス・クラインがミーアの目の前で微笑んでいた。



 ラクスがミーアに話しかけ始める前からキラは必死に劇場の様子を見回していた。
 反対側はメイリンが警戒しながら探っている。
 ここに来る前にラクス達とは別れた。勿論相手側は自分達が何人出来ているかわかっているだろう。
 それでも全員で移動せずにばらばらになったのには訳があった。

『私とアスランが時間稼ぎをします。
 キラとメイリンさんはマユの位置がわかるまで出てきてはいけません。
 彼らがマユをこの場に連れて来ようとするなら通常とは違う行動に出るでしょう。
 生きてこそ価値のある人質。ならばマユは戦闘に巻き込まれない位置にいるはず。
 人質を使うタイミングは指揮官がするはず。その指揮官が誰かわかれば動きも読み易くなります。
 メイリンさんは情報のエキスパートですがコンピュータ専門。キラもMSパイロットとしての素質はありますが白兵戦に関してはど素人。
 それでも今は私達だけです。やるしかありません。』

 ラクスの言う通りにしたのはミーアを助けられなくてもマユを助けたかったから。
 今更母親としてマユを形振り構わず助けようとするなんてと自嘲するキラにメイリンは「普通です。」と返し、危険な単独行動を承知してくれた。
 本当に有難いと思う。辺りを警戒しながらもラクスはミーアに話し続けていた。
 途切れ途切れながらに聞こえる会話。そして銃声。
 ラクスの危機に身体が飛び出しそうになるが必死に堪えた。
 傍にはアスランがいる。必ず彼がラクスを守ると信じキラは劇場を見回す。
 そして、きらりと光るものを見て戦慄した。



《何故この人は全てを捨てられるの?》

 ミーアは涙に濡れながらラクスを見上げた。
 自分がラクスだと叫び構えた銃はアスランに撃ち落とされた。
 その一瞬の間もラクスの表情は動かない。あの瞬間確かに命を脅かされていたにも関わらずラクスはミーアを静かに見つめていた。

 名が欲しいのなら差し上げます。――姿も。

 その言葉でわかってしまった。ミーアが熱望していたモノはラクスにとっては価値の無いものなのだ。

《無理よ・・・私は、ラクス・クラインになれない・・・・・・。》

 声は元々、だから顔と名さえ変えれば自分はラクスになれると思っていた。
 けれどミーアにはラクス・クラインは大き過ぎる存在だったし、ミーアはミーア以外の何者にもなれないのだ。
 自分はただ、歌いたかった。皆に自分の歌を聞いて元気になって欲しかった。
 けれどミーアの名では誰も聞いてくれず、ラクスの名を騙って初めて振り向いてもらえた。
 初めはそれが嬉しかったけれど何処か虚しい。
 当然なのかもしれない。誰もミーアの歌と知らずに聞いていたのだ。
 偽って歌い続けた結果、ミーアは自分の歌を歌っているつもりで歌えていなかったのだ。
 だから新しい曲も全てミーアの曲でありながらミーアの歌にならなかった。
 月に来てからラクスの歌以外歌う気になれなかったのも、きっと自分がラクスを演じ続けてきたからなのだ。

「貴女の夢は、貴女のものですわ。
 それを歌って下さい。自分の為に。
 夢を他人に使われてはいけません。」

 ラクスの言葉が胸に突き刺さる。
 自分の夢が何だったのかを思い出す。
 例え小さなステージでも自分の歌を聞いてくれる誰かに出会いたかった。
 その誰かが歌を聞いて元気になってくれればそれで良かったはずなのに、ラクスへ向けられた声援を自分のものと錯覚した時から夢を見失ったのだ。
 ギルバートに使われミーアの心の片隅に追いやられた夢が今、ミーアの手の内に戻った。

「さあ、共に参りましょう。」

 差し出された白い手。
 あの日、雨の中差し出されながら取れなかった手が間の前にある。
 今度こそ間違えない。そう決意して手を差し出した瞬間だった。

 ラクス!

 遠くで誰かの声が響く。
 同時にアスランがラクスの腕を引っ張り下がらせた。

 チュイン!

 次の瞬間ミーアの直ぐ傍の石畳が弾ける。
 銃痕と悟ったミーアが弾の来た方向を見ると自分を唆した護衛の女性、サラが銃を構えているのが見えた。
 今のタイミングと狙った場所からしてラクスを狙ったのは確かだ。
 しかし―――

《私ごと撃とうとした!?》

 血の気が引く思いで立ち尽くすミーアの手をアスランが引っ張り柱の陰に隠れさせた。
 途端始まる銃撃戦にミーアは怯えるしかない。

「敵は何人だ!? マユは何処にいる!!?」
「わかんないサラしか! あの子もサラが連れてっちゃってあたし何も・・・っ!」

 怯えながら叫ぶミーアの答えにアスランは舌打ちして飛び出して行った。
 身体が震えるがアスランが傍にいない。誰かの温もりが欲しくて身を縮こまらせるミーアの手を、人の温度が包んだ。
 驚いて見上げれば微笑むラクスがいる。
 彼女はミーアに安心してと言うと戦うアスランの様子を見守り始めた。
 僅かに震える手。

《ラクス・クラインは戦いに慣れているから怯えないのだと思っていたのに・・・。》

 今、ミーアは自分が勝手に描いていたラクス・クライン像の存在に気がついた。



「キラさん始まりましたよ!」
「わかってる。でもさっきので僕らの位置がバレた。
 急ぎで移動しないと。」

 キラの言葉にメイリンは頷き身を低くしながら走り始めた。
 予定通りならばキラの行動は好ましくないが、あのまま放っておけばアスランすら気付かないままラクスが撃たれていた。
 だから声を上げたのは正しいが、同時に自分達の位置を相手に知られると言う失態を犯してしまった。
 これではマユが何処にいるのか探す事は出来ない。

 パンパンっ!

 キラの背後で銃声が響く。
 メイリンの銃撃で腕を押さえた黒いスーツ姿の男が走り去って行く。

「ありがとメイリン!」
「お礼言ってる暇はありませんよ。」
「さっきの女の人。あの人だけ服が違う。もしかしてあの人がマユの誘拐を・・・。」
「店員さんにちゃんと特徴聞き出し直して良かったです。
 金色のセミロングの髪に妙なサングラス。この場にいる時点でまず100%あいつがマユちゃんを攫った犯人と見て間違いないですよ。」
「それじゃあマユは!」

 急いでラクスを狙撃しようとした女性を探すが姿がない。
 アスランが次々に撃ってくる黒いスーツの男達を倒していくが多勢に無勢。
 マユも見つからない中、焦るキラの耳に女性の声が劇場に響き渡った。



「動くなっ!」

 サラの一声で銃声が途絶えた。
 何時の間に降りてきたのかサラがアスランからは狙撃されない様に射角に障害物のある場所に立ち銃を構えていた。
 その左腕にはぐったりしたマユが抱えられている。

「動けばこの子がどうなるかわかりますね。銃を捨てなさい。」
「貴様、卑怯だぞ!」
「流石は元フェイス、アスラン・ザラ。一筋縄ではいかないと思っていましたが予想以上でしたよ。
 だからこその保険でもありましたが本当に使う事になるとは思いませんでした。」

 サラが話す間にマユが身じろぎする。
 薬が覚めたのかぼんやりとした表情でゆっくりと目を開けた。

「あら・・・起きてしまったようですね。」
「ママ・・・? アスおにーちゃん・・・・・・!」

 銃を構えたアスランの姿と自分が知らない女の人に抱えられている事を認識したマユは驚いて喚き始める。

「なに!? マユどーしちゃったの!!?」
「大人しくしなさい!」

 怒鳴り声と共に突きつけられた銃口にマユは怯えた。
 ミネルバでも見慣れていたそれが自分に向けられる意味はよくわかる。それだけに怯えずにはいられない。

「いやぁ! ママたすけて! アスおにーちゃん、メイリンおねーちゃん!!!」
「くっ・・・・・・銃を捨てろ! 上の二人もよ!! 早くっ!!!」
「お止めなさい! 貴女の目的は私でしょう。」

 渋々ながらアスランが銃を手放そうとした時、柱の陰に隠れていたラクスが姿を現した。
 目的であるラクスが現れた事でサラの顔が愉悦に歪む。
 残っていた男達も一斉にラクスに銃口を向けた。

「駄目ですラクス様!」

 ミーアの悲鳴が響くがラクスは歩みを止めない。
 もう駄目だと思った瞬間、一発の銃声が響いた。

「ぐぅっ!」

 呻き声はラクスのものではない。
 マユを抱えていたサラは左腕の力が抜けマユを取り落としていた。銃を持った右腕はマユを取り落とし銃口がマユから離れた瞬間に撃たれ銃を取り落とす。
 予想もしない方向からの銃撃にサラが後方を振り返るとそこにはオレンジ色の髪の青年が銃を構えて立っていた。

「お前は・・・!?」
「俺も一応フェイスなんでね。」

 ハイネの登場に驚いている間にラクスは再び柱の陰に戻る。
 虚を突かれている間に標的に隠れられてしまった男達は慌てるがもう遅かった。

「だがこちらにはまだ・・・。」
「マユは返してもらった。」

 気づけば足元にいたはずのマユの姿がない。
 サラがハイネに気を取られている隙にアスランはサラの前まで来ていた。
 その足の後ろには怯えるマユが隠れている。
 形勢逆転を知ったサラが後ずさる。そのまま背を向けて走り出すサラを狙撃しようとするが男達が彼女を援護するようにアスラン達を撃ち始めた。
 物陰に隠れながら応戦する間にサラは走り去っていく。
 男達を次々と倒しながらハイネは彼女が劇場から出ようとしていない事に気づいた。

《この状況で何を・・・!?》

 劇場の真ん中へ走っていくサラが持っている物に気づきアスランは声を失う。
 黒い手のひらサイズの丸みを帯びたソレはよく知る物。

「手榴弾!?」

 ピンを外しラクスが隠れた柱のあたりへ向けて放たれるソレをアスランはどうにもできない。
 同じ位置にいるハイネも同じ事。
 サラの投げた物の正体を知ったキラ達が慌てて撃ちまくるが射撃の腕は今一つ。
 だが偶然か。そのうちの一発が手榴弾を弾いた。
 真っ直ぐにサラのいる方へと向かう手榴弾を彼女が防ぐ術は無かった。

 どごぉおお・・・・・・

 破裂した手榴弾の爆風でサラは吹き飛ばされる。
 彼女が動かなくなったのを確認し、アスラン達が降りてくると同時にアークエンジェルからの迎え、アカツキが到着した。

「遅いです! ムゥさんっ!!!」
【こっちは連絡貰って急いできたってーのに何だその言い草は!
 市街をMSが移動するのって手続きすっごく面倒なんだぞ!?】
「こっちはマユが誘拐されて大騒ぎだったんです! 急ぐのは当然!!
 ハイネが間に合わなかったらどうなってたと思ってるんですか!!!」

 戦闘中にこそ来て欲しかったのにと怒るキラとこっちも急いで来たんだと怒るネオ。
 どちらの言い分も間違ってはいないだけに皆苦笑するしかない。
 アスランに抱き上げられたマユは先程の戦闘が怖かったのか、アスランの首にしっかりと腕を巻いている。

「キラ、そんな事よりもマユを。」

 ラクスの言葉にキラが振り返ると、マユは嬉しそうにキラに手を伸ばす。

「ママ。」
「怖かったね、マユ。ゴメンね。ママがちゃんと見ていればこんな怖い事に巻き込まなかったのに・・・。」
「ハロをね、見つけたの。マユのハロがいたからおにーちゃんがそばにいると思って。」

 黙って行っちゃってごめんなさい。
 そう言って謝るマユにキラは涙が溢れた。

「そう・・・でも、今度から一人で飛び出しちゃダメだよ。」
「無事で良かった。」

 マユを抱き直すアスランもほっとした表情を浮かべる。
 一人事情がわからないミーアはラクスに問いかけた。

「あの・・・アスラン、さっきあの子の事。」
「言葉通りですわ。事情は複雑ですがマユはアスランの実の娘です。」

 がんっ!

 決定的な言葉を貰いミーアはショックで言葉を失った。

《いや・・・でも、ラクス様もあたしが思ってた人とは違ってたし、アスランも私が思ってた理想の婚約者と違ってたっておかしくないけど。だけどあの人確かあたしと一歳しか違わないはずだし、こんな大きな子がいるなんて普通おもわないし、逆算するともしかして・・・。》

「ぐるぐると混乱しているようなのでお答えしておきますわ。
 マユはアスランと私が婚約する前に出来た子ですので不倫とか二股とはまた違います。」
「なんで婚約したんですか・・・?」
「親の・・・と言うより国の命令の様なものでしたし、アスランもマユがキラのお腹にいる事は知りませんでしたから。」

《事情を知りながら微笑みを絶やさないラクス様って凄い。》

 自分だったら泣き喚いて一発引っ叩いていたかもしれない。
 色々とショックな事が多過ぎる中、ラクスがミーアの手を引いた。

「悩むのは後です。とにかくアークエンジェルに参りましょう。」
【どうぞ、お姫様。】
「それならあの子を先にした方が・・・。」

 ミーアの視線の先にいるマユに気付きラクスは頷いた。
 巻きこんだ事に罪悪感を持っているのだろう。ミーアがキラ達にお辞儀をするとキラとアスランは微笑み「わかっているよ。」と答えてマユをラクスに差し出す。
 何でとキラ達を振り返るマユにラクスが「私達と先にアークエンジェルに戻るのですよ。」と優しく語りかけている間、ミーアは視界の端で動くものに気づいた。

《何?》

 振り返った先、痛みに震える右手で隠し持っていた銃を構えるサラを見つけミーアは駈け出した。

「危ない!」

 ぱぁん!

 銃声が響きミーアの身体が傾く。
 どさりと倒れるミーアの向こうで銃を構えるサラを見つけた瞬間、ハイネの銃口が火を噴いた。
 一発の銃声でサラは今度こそ倒れる。
 ハイネが確認し振り返るとミーアの周りに皆が集まりミーアの名を叫んでいた。
 黒い服だから目立たないが、ミーアの胸から溢れ出し床に広がっていく血の量とスピードからハイネは悟った。

《もう、間に合わない。》

 今の状況で彼女の死を食い止める事は出来ない。
 止血も無意味と悟ったハイネは涙を流す少女を見つめた。

「もっと・・・ちゃんと・・・・・・お会いしたかった・・・・・・。」

 ギルバートに使われいつの間にか夢を失い、漸く自分を取り戻そうとした矢先にミーアの命は終わろうとしていた。
 それだけに悔やまれる事が多い。憧れの人ときちんと話したかった。ミーア・キャンベルとして向き合いたかった。
 なのに自分はもうこの世と別れなくてはならない。

「あたしの、歌・・・命・・・・・・忘れ、ないで・・・・・・・・・。」

 ポシェットから捨てられなかった一枚の写真をラクスに差し出す。

《あたしは何処かでわかってた。自分が・・・ミーア・キャンベルである事を捨てられないって。》

「明るい・・・優しいお顔ですわ。これが貴女・・・。」

 ラクスの言葉が胸を打つ。そばかすだらけで美人とは言えないけれど、褒めるところは沢山あった。
 写真だけでは分からない事も沢山ラクスに知ってもらいたかった。
 涙で視界が歪む中、幼い声がミーアの耳を打つ。

「マユはわすれないよ!
 ラクスおねーちゃんとちがうけどおねーちゃんのウタ好きだよ。
 ヨウランおにーちゃんもヴィーノおにいちゃんもおねーちゃんのウタ好きだって言ってた!」

 雰囲気が変わったと言われた。歌の方向性も変わったと離れたファンもいた。
 その一方で増えたファンもいると数字だけで知らされた。
 けれど名前で教えられるのはどうしてこうも心への響き方が違うのだろう。
 何も知らず巻き込まれたマユの言葉が嬉しい。だからこそ・・・・・・。

「ごめん・・・ね・・・・・・・・・ありが・・・と・・・・・・・・・。」

 言葉と共にミーアは目を閉じる。
 その瞳が再び開かれる事は無かった。



 * * *



「失敗か・・・・・・。」

 サラからの連絡が途絶え、サラの監視をしていた部下からの連絡にギルバートはチェスボードに向かった。
 番外にあった白い駒を一つ手に取る。

「既に退場していたと思っていたのに・・・生きていたのか。」

 ハイネ・ヴェステンフルスの生存確認

 その報告にギルバートは驚かずにはいられなかった。
 アスラン監視要員として派遣したフェイス。だが黒海の戦いで戦闘中行方不明でMIA認定された。

「彼を使うのは諸刃の剣だと知ってはいたがな。」

 妙に敏いところのあるハイネを使う事に最初は抵抗感があった。
 だが遺伝子解析の結果、アスラン監視に彼以上の適任者がいない事も事実だった。
 自分の勘と遺伝子解析結果。
 ギルバートは後者を選んだ。だが結果として計画に歪みが生まれている事実に表情が厳しくなるのは当然と言える。

「レイも・・・マユにあれほど興味を示すとは。」

 ラウ・ル・クルーゼの分身ならば他者に興味を抱くなど有り得ない。
 だがレイは何故かシンとマユに拘っていた。
 レイが計画の根幹を担う人物であるからこそギルバートはサラにマユの保護を命じた。
 実質それが本当に保護に当たるのかは怪しいところだが、マユのIDがプラントにある以上、ギルバートの言い分が通る。
 月からの連れ出しも『拉致されていたプラント国民の保護』で問題なく出来るはずだった。

「だが、計画の変更はしない。」

 ここまで来た以上、後戻りは出来ない。
 チャンスは今しかないのだ。
 ギルバートは立ち上がり執務机に向かう。机に設置された通信機のボタンを押し、命じた。

「私だ。プラン導入始動。声明発表の準備を。」

 それだけ言うと通信機を切り、パソコンを立ち上げた。
 モニターに浮かび上がるプラン説明のナレーションが流れる。

《漸く終わる・・・この苦しみから人類は抜け出せる。》



 * * *



 エターナル内でフレイは呆然としていた。
 アークエンジェルからの連絡で知らされた事実。

「死んだ? あの子が・・・・・・。」
「ああ、ラクスを守る為に撃たれたそうだ。死因は出血多量による多臓器不全。」
 ミーア・キャンベルという名前しかわからないそうだが、プラントで行方不明になっている同じ年頃の同じ名前の人物を探せば何処の誰かはわかるだろう。だが・・・この状況で問い合わせは出来ないからな。
 墓には名前と没年だけ刻んで月で埋葬するそうだ。」
「ラクス達を・・・庇って・・・・・・。」

 あまりいい感情は持っていなかった。
 ラクスの偽者を演じている彼女に抵抗感があったから。
 けれど、彼女もまた戦争に巻き込まれていたのだと知りやるせない想いに襲われる。
 ラクス・クラインを演じる事の意味を彼女は初めは何も知らなかったのだろう。
 ホテルでのはしゃぎ様からそれは読み取れる。
 自分が偽者と暴かれた後、ミーアがどんな想いで過ごしていたのかはフレイにはわからない。

《だけど、悪い子じゃなかった・・・・・・。》

 ラクスが憎いなら庇ったりはしない。
 良い意味でも悪い意味でも純粋だったのだろう。
 そして、利用されて命を絶たれた。
 目の前でミーアを失いラクスは今どんな思いで月にいるのだろう。
 自分のせいで失われた命。
 フレイは光の中で消えていく様を、ラクスは目の前で命の灯火が消える様を見つめたのだ。
 だからこそわかる。ラクスの中に生まれている後悔と覚悟が。

《こんな想い・・・もう誰にもさせたくないのに。》

「何で繰り返すの・・・。」

 涙が溢れる。
 無重力空間の中、雫が舞散った。

「泣いている暇は無いぞ。どうやら・・・。」
「始まったようですね。」

 後ろから掛かる声にフレイが驚いて振り返るとアルバートが立っていた。
 だがバルトフェルドがブリッジに入って来たことを注意することなく再び正面に向き直る。
 メインモニターに映し出された人物。

「ギルバート・デュランダル。」



 * * *



 アークエンジェルのメインモニターに映るギルバートを、ラクスを始めとしたアークエンジェルクルーは見つめていた。
 ラクスは特に険しい表情でギルバートを睨み続ける。
 ミーアを見送ったあの時、ラクスは誓ったのだ。

《許しません。ギルバート・デュランダル。私は貴方を・・・。》

【私達はつい先年にも大きな戦争を経験しました。そしてその時も誓いました。もうこんな事はもう繰り返さないと。】

 ギルバートの演説はプラントは勿論、地球上の全ての国に向けられている。
 世界のリーダーと言っても過言でない彼の言葉を聞かぬ者はいない。
 だれもがモニターに食い入る様に見つめる中、ギルバートの演説は続けられた。

【にも関わらずユニウス・セブンは落ち、努力も虚しく戦端は再び開かれ戦果は否応なく広がり悲劇は繰り返されました。】

 誰もが知る戦争の悲しみ。失いたくないと叫びながら戦う毎日に誰もが疲れ切っている。

【悲劇の要因の一つは、先にも申し上げた通り間違いなく死の商人ゴロスの存在があります。
 だが我々は漸く彼らを滅ぼす事が出来ました!】

 ジブリールの死は既に報じられている。
 だがギルバートに改めて告げられ世界中で歓喜の声が上がっていた。
 そんな中、硬い表情のままギルバートを見つめるのは彼の行動に疑問を持つ者達。
 タリアもまた、ミネルバの中で演説を続けるギルバートを見つめていた。

【だからこそ、今敢えて私は申し上げたい。】



「始まったな。」
「ああ。」

 オーブの行政府でカガリとラスティはモニターに映るギルバートを見つめていた。
 既にギルバートが行うであろうプランを前以て知らされていた新たな首長達も戸惑いの顔でギルバートの言葉を待つ。

【皆さんにも既におわかりでしょう。有史以来、人類の歴史から戦いが無くならない理由。それは我ら自身の無知と欲望だと言う事を!】

 欲望は競争心に刺激を与え進化の一端を担ってきた。
 ささやかならば希望や願い、祈り。言い替えれば何でもない誰もが持ち得るそれらの源は欲望と同意義である。
 喜怒哀楽と同じ人が抱える感情の一つであるが故に決して切り離せない。
 つまり今、ギルバートは人類そのものを否定したのだ。
 予想はしていた。だが言葉にされると怒りが生まれる。
 カガリが組んだ手に力を入れると指先が白くなった。

【地を離れて宇宙を駆け、その肉体と能力の秘密まで手に入れた今も人は自分を知らず明日が見えない不安を抱え、同等に、それ以上に豊かにと飽くなき欲望に限りなく手を伸ばし続ける。それが今の我々です。争いの種、問題は全て其処にある!!!】

 白くなる指先を暖かな手が覆う。
 驚いて見上げるとラスティが傍らに立っていた。

「大丈夫だ。オーブは理念を守る。俺も、お前も。」

 ラスティの言葉に頷きカガリは手を解いた。
 覆っていたラスティの手を握り再びモニターに見入った。



【だが、それももう終わりに出来る時が来ました。我々は最早、その全てを克服する方法を得たのです!
 全ての答えは皆、自身の中に既に持っている。】

《ギルバート、貴方まさか!?》

 ギルバートの言葉にタリアは息を呑んだ。

【それによって人を知り自分を知り、明日を知る・・・これこそが繰り返される悲劇を止める、唯一の方法です!】

 浅い付き合いではない。だからこそタリアは知っていた。
 遺伝子の研究に没頭していたギルバートを。
 そして、婚姻統制を理由に別れを告げた時の微笑みを。

《貴方は微笑みながら泣いていたの?》

 格好悪い別れ方はしたくなかった。互いに意地っ張りだったのだ。
 あの時、形振り構わずギルバートが自分を引き止めていたらオーブか何処かの中立国に移住して家族三人で暮らしていたかもしれない。
 自分から別れたくないと泣きつくのが嫌だったタリアはギルバートが行動を起こす事を願った。
 けれどギルバートはタリアからの別れの言葉を承諾した。

《絶望した貴方はずっと考え続けていたの?》

 再び絶望しなくて済むように、傷つかずに済むように。
 泣いている子供の様に殻に閉じ籠って。

【私は人類存亡を賭けた最後の防衛策としてデスティニープランの導入実行を今ここに宣言します!!!】

 何かが砕け散る音が聞こえた。
 現実には割れていないだろうタリアとアルバートが写った写真を納めたフォトフレーム。
 叶うならフレームの中に入れたい写真があった。
 親子三人が写った家族の肖像。
 それは永遠に叶う事は無いのだと告げる様に今、タリアの心のフォトフレームは砕け散ったのだ。


 続く


 終わる・・・のかな?


 2008.7.21執筆時のSOSOGUの戯言です・・・。
 残ってたので載せてみました。(苦笑)

 (2008.11.22UP)

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